第十一回から第十五回まで超意訳:南総里見八犬伝をお届けしました。
ようやく安房編伏姫の物語が落ち着き、犬士列伝に入っていくようです。
気になったあれこれについて書いてみます、どうかおつきあいのほどを。
①中将姫伝説
第十二回で、姫の心映えは、横佩大臣(よこはぎのおとど)と呼ばれた右大臣藤原豊成の息女である中将姫(ちゅうじょうひめ)にも等しい、と中将姫が出てきました。
詳しい逸話は下記Wikiをご覧下さい。
二上山と当麻寺に行ったお話はこちら。
曼荼羅を蓮の花で作った場所も見て参りましたが、ちと信じにくい感じです。
現物の曼荼羅も見ることができず、不完全燃焼でした。
まあ、中将姫のお話は継子虐めと仏教説話潭ですね。
中将姫のふるまいと等しく、伏姫の行いは立派だった、という引合いにされてしまったのだと思います。
ちょっと可哀そうな、咬ませ犬的な中将姫さん(´・ω・`)
②生の腕を生んだ話
第十二回で不思議な童が出てきます。
まあ生意気で腹が立つ神童なのですが(笑)、生の腕を生んだ話を例え話として説明します。
あんまり聞いたことがないので、調べてみました。
と思ったらWikiまでありましたよ。
手孕説話(てばらみせつわ)は、女性が、その身体に男性の手が接触したのが原因で孕み、片手を産んだという説話。
この説話を地名の起源とする土地に、滋賀県旧手孕村(現在の栗東市手原)があり、『広益俗説弁 遺篇』その他に記載がある。兵庫県旧手孕村にも村名の起源として同じ説があり、下総結城の手持観音の縁起もおなじ筋を説く。
下総結城、というのが引っ掛かりませんか?八犬伝世界と微妙にリンクしている様な、違う様な(笑)
こんなブログもありました。
手原駅のオブジェ怖すぎ(笑)
歌舞伎と文楽に源平布引滝という演目があり、女性が産んだのは手だったという哀しくも怖い話。
馬琴翁は舞台を見たのでしょうかね。
③鉄砲伝来の謎
鉄砲伝来は、通説では1543年天文12年8月25日、大隅国の種子島、西村の小浦に一艘の船が漂着したことが、始まりとされています。
えーと第十三回で金碗大輔が鉄砲を撃ったのは1458年長禄二年ですから、あれ?計算が合いませんよ。
仕方ない、八犬伝世界ではポルトガル船漂着前に鉄砲が伝わっていたことになる訳です、としましょう。
④二つ玉とは?
第十三回で、
飛来した二つの弾の一つに八房は咽喉を撃ち抜かれて、煙の中にはたと倒れ込んだ。
もう一つの弾は伏姫の右の胸を撃ち、あっと一声叫んで、経典を手に持ったまま、姫は横に転ぶのだった。
とあります。
この二つの弾については、栗八さんからコメントをいただき、
Q:玉の弾を2つ込めたということですかね?
とあり、私は、
A:玉は2発撃っているようです。連射式か2回引き金を引いたかは分かりません。
としました。連射式か2回引き金を引いたか、って同じこと書いてますやん、私(´・ω・`)
調べていくとやはり歌舞伎にぶち当たりました。
仮名手本忠臣蔵五段目二つ玉の段というのがあります。
「二つ玉」という呼び方は、歌舞伎では、揚幕(あげまく)の中と花道に出てからと、早野勘平が2度鉄砲を撃つからだとも、大きな猪を撃つとき、通常の2倍の火薬を使うからだともいいます。
ふーむ、何かしっくりこない。
他に検索すると、戦国のゴルゴ13、杉谷善住坊が出てきました。
杉谷善寺坊と申す者、佐々木左京太夫承禎(六角承禎)に憑まれ(たのまれ)、千種・山中道筋に鉄砲を相構へ、情なく十二、三日隔て、信長公を差し付け、二つ玉にて打ち申し候
信長公記ですが、ここでも善住坊は2発の銃弾を放った、とされていますから、やはり二連発なんですかねえ。
それもしつこく検索すると面白いものを発見しました。
信長には鉄砲の師匠がいました。橋本一巴さんです。
愛知県稲沢市のHPに逸話がありました。
子供向けで平仮名が多いのですが、
一把のもっているてっぽうから、火がふいた。
”ズドーン”
てっぽうには、二つの玉が、こめられていた。
ですって!!
1回の発射で2発の弾を撃ったのですよ!!
更に城郭研究家長谷川博美さんのブログにもこうありました。
下段で上記の橋本一巴の話と二ツ玉のことに触れています。
対談者
ニツ玉って一体何ですか?★★
長谷川★★
鉄砲玉を2個込めた被弾性の高い殺傷能力のある鉄砲!従って当時の合戦でニツ玉鉄砲を使う砲術家は名人級!
一般様★★
ニツ玉鉄砲を使うのは橋本一巴だけと言うことですね?
長谷川★★
いいえ!杉谷善住坊もニツ玉を使う鉄砲名人なのです!
橋本一巴のWikiには、2発の弾丸を込めることとして、紹介されています。
従って散弾銃ではありませんが、1回の発射で2発の弾が飛んだ、これならしっくり来ます。
更に検索。
火縄銃のWikiのノートです。
真ん中くらいに、火縄銃の進化について意見が述べられています。
(信長公記)の中にある信長狙撃事件の記述で「ふたつ玉にて打ち申し」という記述、もう一カ所鉄砲名人と弓の名人が騒乱中に対決した記録でも「ふたつ玉にて云々」という記述。(橋本一巴さん?)
これを二連式銃によるとか、二梃の銃を取り替え射撃したと書いた小説家がいますが、これは根拠を示すことの出来ない想像創作です。
可能性が高い二つ玉とは各種伝書に共通して現れる二個の弾丸を紙と糸でくくり合わせた一種の散弾で、命中確率もしくは殺生力が非常に高いと信じられていたものだと思われます。
長谷川さんと同じ意見がですかね。
1つは狙い通り、八房の咽喉を撃ったまでは良かったのですが、もう一発は姫の胸に当たってしまったのです。
発射音も1回しかないし、これでスッキリしました。あなたもそう思うでしょ!!(半ば脅迫)
⑤犬を何度も殴る金碗大輔はんの恨み
第十三回は陰惨なシーンがあり、突込みも多くなります。
そして鉄砲を振り上げて、倒れた八房を五六十度も叩いた。骨を砕き皮は破れ、もう甦りそうもないのを見てから、若き狩人はにっこりと笑って、鉄砲を投げ捨てた。
……やり過ぎじゃないの?
動物愛護協会からクレーム来るわ、こんなに叩いたら。
鉄砲の様に重い物を持って叩くとしても、5、6回で息が切れますわ。
まだこの時点では、里見義実が姫の婚約者として金碗大輔を指名していないので、恋敵の恨みとも言えなさそうです。
は、それとも実は金碗大輔は姫を慕っていて、犬に取られたから復讐をした、それなら……いやそれでも50回も60回もやっぱり無理です。
⑥父を小禄とか言ってしまう番作君
第十五回、番作はお父上の匠作に対してこんな失礼なことを言うのです。
「ご安心下さい、ご教訓、ありがたきまでにかたじけなく、すべて忘れません。小禄のご身分であっても我が父は鎌倉殿足利持氏公の家臣でございました。私は本当に不肖な息子」
ホンマに不肖な息子やで、番作君。
他人に対して、我が父は小禄ではございましたが、精いっぱいお仕えいたしました、なら分かるのですが、本人に対して言うなんて。
匠作さんも、あ、俺ってやっぱり小禄だったんだ、息子はそんな風に思ってたんだ、となってしまいますよ。
もっとも殿の側近である近習というのは、江戸時代ではかなり身分が低く小禄だったそうです。
赤穂浪士なんかその典型だそうでして、近習の俸禄は微々たるそうでして。室町期はどうか分かりませんが。
⑦首を三つ持って、叫び、戦う番作君
垂井金蓮寺から木曾神坂峠まで126キロ、不眠不休、飲まず食わずで走った番作君。
いや途中で水くらいは飲んだのかもしれません。川とか滝とかで。
そもそもですよ、第十五回の挿絵を見て下さい。
右手は宝刀村雨、左手で2人の若君の首を持ち、口で匠作さんの髷を咥え、叫ぶのです。
「足利持氏朝臣恩顧の近臣、大塚匠作三戌が一子、番作一戌十六歳、親の言いつけを断ることができず、戦場から逃れ出た。父には知らせず、私もまた君父の先途を見果てるつもりで、ここまでやってきたのだ。その甲斐あって、親の仇は討ち取った。我と思わん者は、捕まえてみよ」
超絶カッコ良いです。
で も ど う や っ て 叫 ぶ の ?
乱戦修羅場で首を離すことは、至難の技ではありませんか。下手したら蹴飛ばされてサッカー状態になってしまいます。
仮にも父の首ですから、乱暴には扱えないでしょう。
それともお父上の首を地面に置いて、警固隊に対して、
「ちょっと待ってね、今名乗るから、首を置くね。手出ししたら駄目だよ」
とか言ってから名乗ったのでしょうか。
右手の宝刀村雨は武器ですからもちろん手放すことはできない、左手の若君たちの首は一番大切ですから置くのはもっと無理。
やはりお父さんの首を一瞬離してから、名乗ったとしか思えません。
左手で3個持ったのかなあ。
ちなみに首の重さですが調べてみました。
整骨院の方のHPでは、大体体重の10%だそうです。平均4キロから6キロなんですって。
若君は春王丸が11歳、安王丸が10歳で処刑されています。
なぜなに八犬伝Ⅱで使用した明治33年以降5か年ごと学校保健統計:文部科学省を見てみましょう。
11歳が27キロ、10歳が25キロですから、体重の10%として2.7キロと2.5キロ、足して5キロ!!
匠作さんは年齢不明、この表では50キロしましょうか。10%は5キロ。
3つの首を持つとおよそ約10キロです。これを持って、戦い、走って、しかも126キロを走るのです。
ビックリするほどタフな男ですね、番作さん。凄いわあ。
以上なぜなに八犬伝Ⅲでした、でわまた。
鉄砲の年代は逆に不思議ですね。
馬琴翁ならそれくらい調べてると思うのですが、第二回では、神余光弘が弓で誤射されているので、避けたのでしょうか。
何か今後にも仕掛けがあるかもしれません。
また気になっていた二つ玉、まさか信長が出て来るとは思いませんでした(笑)
ちょっとスッキリ。
① 各地にある神社仏閣の岩屋、独特の雰囲気があって、一人で夜を過ごすのは避けたいです。
② 手孕ベンチ…ちょっと座る勇気がありません…ムリです。
③ 馬琴翁の頃にはちゃんとした年代が伝わって無かったのでしょうかね?200年以上も経ってますし。
④ いろいろ取り上げられてたんですね! 歌舞伎は、義経千本桜、仮名手本忠臣蔵くらいしか知りませんが、
おかる、勘平にあったとは…
お宝鑑定団で、連発銃が出たことありましたが、、あれとはまた違う気がします…
⑤ やはり、「犬」じゃなかったのではないでしょうか?
「犬」の身を被った「鬼」とか?
⑥ 「それ、言う? 今、言う?」 って最近の芸人みたいです。ちょっと父ちゃんツライ。
⑦ 十五回読みながら私も思っていました、、
が、超人的な要素を持たせなければ成り立たない場面だったのでしょうね。
いや~毎回楽しすぎ(笑)