2023年1月13日上月城に登ってきました。
昨年10月末に白旗城に登った際に一緒に攻略しようと思ったのですが、出来なかったため単独で挑戦。
毎度お世話になってきた姫路駅で姫新線に乗換え。9時48分発に乗ります。
姫新線を2回乗換えて佐用駅に10時57分。智頭急行がいてくれました。
目的地の上月駅には11時9分に着きました。3時間も列車に乗っていたことになりますね(笑)
ちなみに姫新線は、途中からICカードが使えなくなり、清算が面倒になります( ;∀;)
上月駅です。
帰りの時刻表を押さえておく必要があります。15時25分には乗りたいな。
上月駅は無人駅で特産物特売所が併設されています。
では向かいます。駅から10分ほど歩いて案内が出てきましたよ。
マンホールはお城ではなく蛍。夏には蛍が見れるのでしょうか。
11時半です。コンビニもないので昼食を取ります。
実は事前に気になるお店があって、調べていたのですよね。
カレーうどんのお店、かずらさん。
外観はこんな感じです。外国の雑貨を取扱う感じっぽいです。
中は一転してダイナーっぽくなっています。
BGMは50年代、60年代のアメリカンオールディーズ。ダイアナとかビーマイベイビーとか。
私が頼んだのはビッグとんかつカレーうどん980円。後でライスを頼もうと思っていましたが、量が多くて無理でした。
汗かいてふうふういいながらカレーうどんと決闘し、薄氷の勝利。
大満足で、ポンポンいっぱいになって、外に出ます。バイカーがたくさん訪れて繁盛している感じでしたよ。
では攻城に向かいます。
上月城の看板が見えました!!あの山の上なんですね。
もうすぐですね。
明治維新志士立石孫一郎生誕地、と書いてあります。
立石孫一郎ってあまり聞いたことないのですが、帰って調べました。
上月の庄屋の生まれで倉敷の庄屋の養子になったそうです。幕末の動乱に乗じて、長州にシンパシーを感じたのか、奇兵隊に入ります。
第二奇兵隊幹部となった立石さんは、本隊を脱走、約100人を引き連れて、馴染みのある倉敷の天領代官所を襲撃してしまうのでした。続いて、総社にある浅尾藩陣屋を襲撃。
ところがその後、広島の幕府軍の攻撃で自軍は壊滅、立石さんは長州に逃亡します。
桂小五郎こと木戸孝允は、非情の決断をします。
長州藩の命で倉敷、浅尾藩陣屋を襲ったと取られない様にするため、残党を捕える様に指示を出しました。
助命嘆願中でしたが、立石孫一郎は潜伏先で殺害されてしまいます。赤報隊っぽい話でもありますね。
その先には赤松円心(則村)廟所と書かれた石柱が。興味を引かれますが先に行きます。
ああ見えてきました、上月歴史資料館。
説明図が幾つか。
この話は面白いですね。
織田方として戦った黒田官兵衛の奥さんの姉妹が、上月城主の奥さんらしいのですよ。
地図も。簡単に登れそうな感じです。
資料館で御城印入手しました。
向かいますよ~
白旗城と同じで、登った人数を計測する機械がまたありました。
頂上まで380メートル。
こんな道です。ヒイヒイ、3人ほど上から降りてきました。
おや、何か見えてきました。
堀切です。
斜面はきつくて落ちたら戻れなさそう。風が強くなってきました。
晴れてるのに……雨?いや雪かな?
ここまで来てそれはないわ、とボヤキながら歩きます。
と!平たいところに出ました。
まさかの頂上、登ってから15分足らずです。ヤッタ━━━ヾ(*≧∀≦*)ノ━━━!!!
織田方に責められて自害した赤松政範さんの墓です。南無~
お城の詳しい見取り図。あんまり設備らしいものは見掛けませんでしたね。
お墓と地図のみ。
ここから戻るのも面白くないので、反対側の下山道を降りてみます。
築地、目高集落と書いてあります。
幻の城、利神城が見えるとのことですが、私には見えません。
利神城はこんなところ。攻城したくなりますでしょ?
南側にも堀切です。
目高の築地目指して行きましょう……雪と風が強いです。
はためく上月城の幟。
砦の跡。痕跡は分かりません( ;∀;)
道が広がってきました、少し安心。
油断大敵、大木が折れて道が塞がっていました。
これは洒落にならんのですよ、迂回迂回。
先に進むしかないのです。
おや三叉路。右は柊神社だそうですので、行ってみます。
ホラー感漂う柊神社。夜は絶対無理。(夜は登れませんわ!)
今回の探索の無事を祈願しましたよ。
三叉路に戻って左に行きましょう。
目高の築地、北側の砦に入っていきます。
到着しましたが……素人目には分からず。
転がった石は、名残りなんでしょうか。
平らなところ……何も見当たらず。
大成山城?違う山城に来てしまったのかもしれません。
私はどこにいるのでしょうか。
この辺りだと思うのですが。
下り道に差し掛かりました。
電波塔と急な斜面を下りましょう。
この先は牧場めいたところと目高の集落があり、4キロくらいを歩く羽目になりました(笑)
下りですから思ったほどキツくありません。
上月城の搦手道ですが、すでに15時。帰りの列車が15時25分なので少々焦ります。
上月氏発祥の地。
上月氏は播磨赤松家の支流ですね。
上月歴史資料館が見えてきました。
ん?尼子橋?
上月城の戦いで散った尼子勝久さんを追悼した石碑です。こちらも南無~
上月城の戦いにおける戦没者供養の石碑。
最後に山中鹿介追悼の石碑。
彼はここで降伏し、備中松山城に護送される途中で毛利家によって最期を遂げました。
尼子再興の夢はここに潰えます。
15時8分。25分には駅を出ますので大急ぎで戻ります、さらば上月城。
駅の観光案内。15時18分駅に到着ですから、登山口から10分で行けるのですねえ。
帰りは、佐用から智頭急行に乗って上郡に出なければいけないようです。
それにしても、幻の城、利神城に行きたいですね!
でわ、また。
いやいや、昼間でも単独では、へっぴり腰になりそうです。
実戦のあった城址は…賑やかだったですか?
城址は穏やかでしたが、この日は雪が舞い、時折強風が吹いておりました。
鉄道ダイヤにも影響あったみたいです。
神社の朽ちた感じが恐怖感を煽りますよね(笑)
私もビビりながら近づきました、