2024年10月26日、山本山城に登ってきました。
余呉駅発13時10分に乗って、一瞬目を閉じたら乗り過ごして長浜駅!!
あ~山本山城のある河毛駅行きの電車は30分来ません( ;∀;)
これだったら、毛受兄弟のお墓に行けたな、と思いましたが後の祭り。
とにかく敦賀行きに乗り、河毛駅で降りたら、14時10分。
小谷城でもお借りしたレンタサイクルに申込むと、少し係のおじ様の困ったお顔。
小谷城に行った話はこちら。
17時までに自転車を返して下さいとのこと。そりゃそうですね。
では急いで参ります。5キロほど20分掛かりそうです。
こちらが山本山。こんもりした可愛い山です。
この上にお城があるのですね。
山本山麓の朝日山神社。お参りしてお城に向かいます。
神社脇の登城口です。結構目立たないところにあるので要注意。
熊出没注意ですって( ゚Д゚)
史蹟天孫御降臨御守、山本判官古城と書いてあります。
山本義経は近江源氏で、新羅三郎義光の血を引いております。各地の源氏が反乱を起こした際に近江で暴れ回りました。
山本山城に籠って平家と戦いますが、一旦負けて城は落城、山本義経は鎌倉まで逃げて頼朝に仕えます。
これが本当であれば、そのころ源九郎義経が黄瀬川で頼朝と対面しており、同じ陣に2人の義経がいたことになるのですって( ゚Д゚)
しかしこの後、山本義経は源義仲の木曽軍団に加わり、入京後は源範頼と義経軍と戦うことになります。
源義仲敗北後は、山本義経は行方不明となります。なかなか劇的な運命の方ですね!
朝日山神社脇階段を登ると常楽寺というお寺がありました。更にこのそばを上がって行きます。
鳥居と獣防止柵。熊と猪に気をつけて行きましょう。15時2分です。
忠魂碑が現れました。ちょっぴり紅葉してますね。
うーん、眺めがあんまり良くないです。
上から2人組の若い男性が降りてきました……負けないで登りましょう。
後500メートルです。
結構、道が急で休まないと厳しいです。1日2山城はさすがに厳しいです(´Д⊂グスン
本当に約15分で登れました。下の登り口からは30分でしたよ。
上は開けています。
ここは二の丸でした。
琵琶湖が望めました。
竹生島です~
ここを降りると北部へ繋がっているようですが、15時37分、厳しいですね。
今いるところは山本山324.4メートルなのです。
一応三角点です。
賤ケ岳縦走ができるようですが、7.3キロもあります。
15時41分ですので降りましょう。おじ様との約束を守らなくては。
足がガクガクになっており、神社まで降りるのに30分も掛かってしまいました。
急いで河毛駅に戻ります。16時45分の電車に乗れそうです。
山本駅の御城印をいただきました~
JR長浜駅に行って買い物をして、夜ノ長浜城でも撮影しましょうかね、でわ。
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yamamotoyama/
こちらの方のブログに石碑の詳しい説明がありました。
ニニギノミコトが高天原から降臨されて、この山本山に降り立って、葦原の中つ国をお造りになった。
その子孫が三上山、三笠山、三輪山を経由して、橿原で神武天皇になられた。
というお話だそうですよ。
普通のお話と違って面白いですね。
私は行かなかったのですが山本山北部には古墳もあるそうで、さもありなん(笑)
機会があれば三上山、滋賀県の山ですが、登ってみたいです。
気になって調べてみましたが、いつもの如くよくわかりません…ナサケナイ
話は同じようなのですが、場所が違うということなのでしょうか?
そこに城を築いたというのもまた?な話…と思ってしまいます。
近江は戦が古いのと数が多いのでわからないことばかりです。
いつも勉強になります。
上方に近い出自のため、義仲についたのかもしれません。
その後は名前も出ずに消えてしまった様です。
城の遺構は余り良く分かりませんでした。
義経VS義経は、宇治川ですかね?
こういう山城はどうなってたか、ぜんぜんわかりません。
すごい神秘的な竹生島
こういうのを見ると、いろいろ話が生まれそうなところですね
で、もう一か所行くのですかっ!?シラナイフリフリ