馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

北畠氏館に登ってきた思い出を語ります

2023-07-08 23:33:46 | 城攻め

天気が悪いのでどこにも出かけられません。

なので、続100名城の中の到達の難易度が高い北畠氏館と霧山城に行った思い出でも語ることにします( ;∀;)

 

北畠氏館は続100名城153番目です。

2020年8月27日名古屋から車で向かいました。

松坂ICを降りて国道368号から向かったのですが、これが正に酷道なんです。細い、峠道、片側崖、すれ違い大変で同居人も顔が真っ青!

私も着くまでにヘトヘトになりました。なるほど南朝のアジトになる訳ですねえ。

なので、この日の探訪は麓の北畠氏館だけに留まりました。

津市美杉ふるさと資料館に寄って、基本的な知識を勉強してから向かうことにします。

JAみえなか多気店さんで買い物をして、車を停めさせてもらいます。

その隣がすぐ北畠神社です。

赤い橋を渡って神社境内へ。

左に行くと霧山城址なんですが、今日は敬遠。

北畠顕能(陸奥鎮守府大将軍北畠顕家の弟)の歌碑がありました。

いかにして 伊勢の浜風 ふく風の 泊まりにきと 四方に知らせむ

神社です。

鎮魂の碑。

北畠顕家さんの像が置いてありました。花将軍の艶やかさよ。

庭園があるそうです。

有料でしたので、外から失礼してパシャっと。

神社入口に戻って撮影、今日はここまでした。

家に戻ってからしばらくすると、霧山城も含めて是非再探索したいという欲望に駆られてしまいました(笑)

これも北畠公の呪いでしょうか(;´Д`)

 

日にちを改めて、車ではなく公共交通機関で行くことにしました。

2020年9月18日松坂まで出て、JR名松線に乗ります。松坂から伊勢奥津まで約1時間半。

JR名松線は松坂と名張の間を結ぶ……んではいません。松坂から伊勢奥津で計画が頓挫してしまいました。

伊勢奥津駅でJR名松線を撮影しましたよ。終点の乗客は私だけ( ;∀;)

JR伊勢奥津駅。小さくて可愛いですね。「みんなで守ろう名松線」が泣けます。

左側にレンタルサイクル屋さんがあるので、自転車をお借りして北畠神社を目指すことにします。

何とレンタルサイクル代は無料、2台あるので早い者勝ちですよ!

さあ、目指しましょう!

電動付きで登ったり、下ったり、トンネルに入って約30分で到着です。

意外と楽勝でした。赤い自転車が私のこの日の愛機(マシン)ですよ。

神社に入ってすぐ左の霧山城址方面に向かいます。

道は結構険しめです。しばらくすると見晴らしの良いところに出ました。

ちょっと休憩┐(´д`)┌ヤレヤレ

ここが北畠氏館詰城跡だそうです。

こんな道が続きます。

孤独との闘いに挫けそうになりながら、ひたすら歩くのですよ。

誰とも会いません。熊出たら(いるかどうか分かりませんが)どうしようかなと焦りながら登ります。

妖しいキノコ。蒼白いです。

決して食べてはいけないと思うのです。食べたら死ぬかも。

1時間くらい歩くと、何か表示されているところに出ました。鐘突堂跡ですって。

城の見取り図です。

鐘突堂跡ですが何も見当たらず。

眺めはこんなもの。

矢倉跡。

頂上らしき場所です。

あ、到着していたようです(笑)本丸跡ですよ!!

霧山城址の碑。これがあれば一安心。

疲れました~

ではぼちぼち降りていきましょう。

下りは2、3組の人々と会いました。40分くらいで順調に下山できましたよ。

改めて北畠氏館跡庭園を散策します。300円の入園料です。

中は……

広いです。

落ち着く感じですが……

山を登って降りてきたせいで汗だらけ。おまけにお腹も空いてきました。

ところで日本三大庭園だそうですよ。

室町時代に幕府管領の細川高国によって整備され、一乗谷朝倉氏庭園、旧秀隣寺庭園と並んで三大庭園となったらしいのです。

お昼時ですので食事します。

神社隣に雪姫亭というお店がありました。雪姫亭はこちら。

 

雪姫亭(お食事処・コテージ) | 三重県津市美杉町上多気1148北畠神社境内

雪姫亭(お食事処・コテージ) | 三重県津市美杉町上多気1148北畠神社境内

 

ちなみに雪姫とは織田信雄(出た、三介殿です)の奥様。北畠具教の娘さんで、可哀想(!)なことに信雄へ嫁ぎます。

織田家は結局北畠家を滅ぼしてしまうのですが、それを悲しんで雪姫は自害しようとします。

信雄は彼女を木に縛りつけ自害しない様にさせます。雪姫が悲しんでいると山から白狐が現れて、縄を切って助けます。

その後の雪姫は……分かりません。三介殿のなさることですから、仕方がないのです。

信雄の最初の奥さんは千代御前とWikiには出ていますよ。

 

と、お昼を食べた後、自転車の鍵を開けていると、おじ様に話し掛けられました。

「上まで登ってきたの?」

「はい、登ってきました」

「今から登っても平気かな」

おじ様は何と2台目の電動自転車に乗っていました。時計を見ると13時過ぎ。

山を登って降りて伊勢奥津駅まで帰るとなると、遅くなりそうです。電車の本数もないので厳しそう。

その通り告げると、残念な顔をされていました。

……どうも申し訳ありません。

 

私はJR伊勢奥津駅を目指して帰途につきます。

ほうら無事到着です、それでは帰りますよ。

どうか北畠神社と霧山城に公共交通機関で行かれる場合には、必ずお昼までに切り上げて下さいな。

 

という思い出を綴りました、でわ。

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古淀城に登れませんでした

2023-07-01 21:15:50 | 城攻め

2023年7月1日古淀城に登れませんでした( ;∀;)

 

淀城から淀駅に戻ってきました。

周辺観光図ですが、ここには古淀城の表示がありませんね。

唐人雁木跡なるものがありますが、これは朝鮮通信使が上陸した船着き場のことです。

本題の古淀城。

秀吉が側室の茶々を住まわせた場所なのです。お茶々はこれにより淀殿と呼ばれるようになった訳ですね。

先に寄った淀城は違う「淀」なのです、面倒なお話。

あんまり遺構が残っていないそうですが、妙教寺なるお寺がそれらしいということですので、向かいます。

競馬場の治安を守る警備員さんに誘導されて交差点を渡ると、すぐに見えました。

妙教寺ですよ~

お寺がたくさんあります、あ、妙教寺さんですよ。

詳しい説明です。

城の中にあったお寺が妙教寺で、淀古城の名残りが妙教寺ではないのですね、勘違いしていました。

さあ、登城しますよ、と思ったら……!!

やられた!! 結界が張ってあり入ることができません。

残念(´・ω・`)

撤収します。

帰り道に見つけた京都競馬場の騎手バージョンの飛出しボーイ。

君だけが傷ついた私の心を癒してくれるのだわ。

でわ、小雨の中、撤退します、また。

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淀城に登ってきました

2023-07-01 19:22:23 | 城攻め

2023年7月1日淀城に登ってきました。

本当はもっと遠くに行くつもりでしたが、線状降水帯とお天気のせいで行き先を変更したのです。

ほらもう京阪電車の淀駅ですよ。

お隣の駅が石清水八幡宮なんですね、知りませんでした。改めて石清水八幡宮に寄ってみたいです。

駅で地図を見ます。

京都競馬場が近すぎです。警備員の方があちらこちらにいました。

その地図の右下(?)方面に目指すべき淀城があります。近いです。

淀城跡は今は淀城址公園になっていて、2つの神社があります。

與杼(よど)神社ともう1つは稲葉神社、です。

こちらが與杼神社。大きなお社ですね。

その傍らにあるのが、こちら稲葉神社。

小さくて可愛いらしい。

稲葉神社?

首を捻って近づくと、石垣が現れました。

どうです!?(興奮気味)

もう城址内なのでした。

ところで稲葉神社の由来について。

主祭神は何と稲葉正成さんでした。

美濃斉藤家の重臣稲葉一鉄の後を継いだ稲葉重通に婿入りしたのが、稲葉正成さん。

ただし稲葉重通の娘が早くに亡くなったため、重通は姪を改めて養女として正成に嫁がせるのです。

新しい奥さんは、明智光秀の重臣斉藤利三の娘でもあるお福ちゃん、即ち後の春日局なのです。

一方、稲葉正成さんは秀吉に命じられて小早川秀秋の家老になりますが、関ケ原で嫌気が差したのか(大嘘)秀秋のところから逃げ出してしまいます。結局秀秋が若死にして断絶したため、元に戻れません。

ところが家康に気にいられたのか、孫の松平忠昌の家老としてスカウトされました。大坂の陣では若い松平忠昌を助けたようですが、忠昌が戦功により越前福井に転封されるとそれには従わず、蟄居することとなりました。

またもここでスカウトされ、今度は下野真岡藩の藩主となります。強運の持ち主なんですかねえ。

ちなみに真岡はこの間登城してきました。

話は長くて申し訳ありませんが、真岡に転封された稲葉家の子孫が淀藩として移動してきたんですね。

で、その際に稲葉正成さんを神様として祀ったそうであります。いや~いろいろあって武将の世界も大変(笑)

皮肉なことに、幕末の鳥羽伏見の戦いにおいて、淀藩は幕府軍を結果的に裏切ってしまいます。

これって戦争なのよね、悲しいなあ。

 

稲葉神社の本殿。今回の無事を祈ります。

在りし日の淀城図。こんなに広いのです。

淀城の由来について詳しく書いてあります。

城内は公園になっていますが、高台に天守台らしきものがあります。登ってみましょう。

と思ったら、結界が張ってあります(´・ω・`)

でも階段があって別途外周部に登れました。

でもまた結界が。

近づいて覗き込んでみます。ここまでが限界。

素敵な石垣。

淀城の石碑です。

公園を抜けて一回外へ。完全に遊具もある公園です。

お堀に関する但し書きです。水車を使って水を引き込んだとか。

小堀遠州、本阿弥光悦らの名前が出ています。

明治天皇の輿が立ち寄られたのでしょうか。

京阪電車の電チラです。特急待ちかな。

一回外に出て周囲を探訪します。

駐輪場から石垣を眺めると、またいい感じ。

他の駐輪場からも良く見えます。

更に別の駐車場からも。

整備するともっと良い城址になる様な気がしました。

でわ、駅に戻ります。

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