とうさんのつれつれ日記

日ごろの生活の中で気が付いたことを日記風に書き残します。

懐かしい--その2

2015-09-06 11:46:42 | つれつれ日記

懐かしいことの続きがありました。

前回のブログで家内の同窓会があって上総牛久駅まで車で送っていったことを書きました。
その同窓会で家内の仲間のAさんが「姉が千葉労災病院にまた膝の手術のため入院した」というのを聞いてきました。

Aさんのお姉さんKさんは同じ内田小学校中学校で私と同級生でしたが、私が千葉労災病院で6年前に腰部脊柱管狭窄症
を手術した時に、同じ時に同じ病院で膝の手術のために同じ整形外科病棟に入院してきたのでした。
その時、何十年も会わなかったのに奇跡的な再会を果たしお互いに何という奇遇かと感激したのでした。

それから6年以上経過した今回、Kさんはまた膝(今回は左、前回は右)の手術のため同じ病院に入院したということでした。

早速、9月3日お見舞いに行ってきました。手術は無事終了し毎日リハビリに励んでいまして日一日と恢復に向かっているとのことで
安心しました。

 

6年振りの再会が嬉しく夢中でおしゃべりをして、あっという間に1時間以上が経ちました。

今回の再会はいろいろな奇遇から実現したのでした。

家内の弟の新盆→私の小学時代の同級生Sさんに会う→同じ同級生Mさんが先月亡くなったことを聞く→亡くなった同級生Mさんが
書いた記事を数か月前に読んだことを
思い出す→その本(内田小学校の創立百年沿革誌、開校百年、昭和56年作成・下記写真)


を同じ学校の後輩だった家内に見せる→家内が自分の中学時代バレーボール部で活躍した記事がこの本に書かれているのを発見
→同じバレー部で活躍した仲間に知らせる→関係者で一度集まろうという話になる→その時恩師の急逝を知る→
恩師のお墓参りを兼ねて同窓会をやろうという話にエスカレート→その同窓会で家内が仲間のお姉さんが千葉労災病院に入院したことを聞く

こういういきさつがあって、Kさんにお見舞いかたがた再会出来たのでした。お互い嬉しく、手術のことをわきへ置いておしゃべりに熱が入り
看護師さんから「夕食ですよ」という知らせが来た時まで続いたのでした。

私が
小学校4年だった時の2学期(昭和19年9月)から中学校3年(昭和24年)の5月までの4年9か月の間、それは疎開生活でしたが、
懐かしい思い出がいっぱいの充実した時期でした。