昨日の新聞に懐かしい記事がありました。
小湊鉄道の上総牛久駅周辺の散歩記事です。
写真の「内田未来楽校」は私が子供の頃(疎開していたとき)通っていた小学校を改修したものです。
この記事には「駅前さんぽ」を表題にしているのに肝心な「上総牛久駅」の写真がありませんが、偶然にも私は4日前の26日に
この駅に行き写真を撮ってきました。徳さんが「歌声列車」で通過する駅ですが、始発の駅(五井)と終着の駅(上総中野)を除いた駅の
中では最も大きな駅だと思います。この近辺は沿線の中で最も人口が多く繁盛している街ですから・・・
驚くべきことですが、ペンキは塗り替えたのでしょうが70年前と同じで、乗客はこの窓口で駅員から手渡しで切符を買っていました。
私も70年前にこうして切符を買って乗車したのを思い出しました.
下の写真は私が通学していたころの内田小学校の姿です。ここで小学校4年の2学期(昭和19年9月)から卒業する(昭和22年3月)まで
通いました。中学校はこの校舎の裏側にあり中学3年の5月(昭和24年5月)に千葉市に引っ越して来るまで通いました。
私事ですが、家内もこの小学校と中学を出ていまして、この日は先日急逝した恩師のお墓詣りを兼ねた同窓会があり、私が車で送って
行ったのでした。その時この駅で遠くから来る同窓生と待ち合わせしたのでした。
新聞の記事を見た時は「あれれ」と驚いたことでしょう。
一度も乗ったことのない電車ですが、有名でいつかは
乗ってみたいと思っていました。
懐かしい記事で子供のころを思い出して、ちゃんと
70年後の駅舎の写真をとっていたのですね。
奥様のアッシー君をされてのご褒美みたいですね。
地域の人々の愛着が保存となって千葉の宝となるようにと念じます。
それで急遽今回のブログの題材にしました。
更に驚いたことは、70年前と同じ駅舎で切符を手渡しで売っていたのです。「歌声列車」で有名になったのに・・・
でも昔のままの姿がいかにも懐かしいですね。
「アートミックス」のおかげでしょう。小湊鉄道の始発と終列車は牛久です。五井ではありませんね。この鉄道の中心ですね。「歌声列車」も昭和の歌を載せて走ります。
5年近い疎開生活の足場でした。牛久駅は父親の実家、家内の実家が近いです。高滝には母親の実家があります。戦前からの駅舎がいまだに活躍していて驚きました。
滅多にない事ですので興奮しますね。
切符が手渡しで売っている駅が未だにあるとは
何だかとっても良いです。
大事にして欲しいですね。
ねえ、ねえ、ねえ、こんな記事が出ていたよ、て皆に知らせたくなります。些細なことですが自分にとっては記念すべきことです。
切符を手渡しで売るなんて、これもゆったりしていますね。
めぐんちゃんのアメリカ紀行とはまた違ったおおらかさが感じられます。