12月8日(土)お通夜、9日(日)告別式並びに納骨・・・忙しい週末でした。
母親の実家の従兄が85歳の生涯を閉じました。旅行が好きで国内に限らず海外にまで足を伸ばし、今年の7月にはご夫婦で元気に
東北に旅行にお出かけになり、その後も車でお孫さん(高校生)の通学の送り迎えをしていたそうです。
しかし前立腺がんを患っていて、最近は坐骨神経痛がひどくなっていたそうです。10月に入ってから急に様態が悪化し1か月半ほど
寝たきりとなり往診を受けていたそうです。
病院が嫌いだったのでしょうか、前立腺がんの治療を受けなかったのがいけなかったものと思います。
葬儀は市原市牛久の「白水会館」で行い、「いちはら聖苑」(市原市の火葬場)で荼毘に付し、その日のうちに、小湊線沿線の高滝の
近くの墓地に納骨しました。最後の精進落しの席上、私が親戚代表で挨拶をさせられました。悲しい忙しい一日でした。
思い返せば、20歳代で祖父や祖母の世代の人たちを送り、60歳台で親たちの世代を送ってきましたが、80歳前後になっていよいよ
我々の世代が送られる番が回ってきたという実感を味わったのでした。
補足:このお墓にはいわれがあります。明治25年、鶴岡弥惣治という巡査が殺人犯を護送中共犯者の刃に倒れたという事件がありました。
吉村昭の著書「下弦の月」という短編小説の「鬼熊事件」に似た事件でした。これが、私の母親のおじいさんのそのまたおじいさんなのです。
写真をご覧ください。
でしょうに一所懸命勉強なさったのはきっとお母様がしっかりなさっていたのだと思います。この頃は矢鱈訃報が
あって辛いですが今を大事に一所懸命生きるしか
ないのでしょうネ 私も時々鬱の神に取りつかれますが
100年クラブで将棋に取り組もうとする姿勢が偉いと
いわれますがちっともまだ上手くなりません
日々でしたね。
寒くなると訃報が届いて悲しいばかりです。
とうさんは気丈に親戚代表での挨拶もされてご苦労様でした。
一時代が終わりましたが、立派な石碑で代々誇りは残りますね。
「下弦の月」という本を読みたくなりました。
重なる葬儀本当にお疲れ様です
同じように感じる私ですが一日一日を大事に過ごしましょう 身近に大変な事が有ったのですね””
ご家族は辛い思いをなさった事でしょう!
これも世の習いで仕方のないことなのでしょうね。せいぜい一日一日を大切に過ごしたいですね。それにしてもご葬儀大変でした。ご苦労様でした。
シャーさんはいろいろなことに挑戦されてますます輝いています。将棋も頑張ってください。
日曜日の葬儀は寒くて大変でした。火葬場からお墓へ直行して納骨しましたがお墓で寒かったです。その日のうちに納骨することを知りませんでしたのでコートを持参しませんでした。