6年目に入った「3.11」。
東日本大震災によって犠牲になられた方は宮城県内で9541人(3/12現在)。そして、いまだに1237人が行方不明として家族のもとへ帰れていません。精一杯ふんばっている人もいれば、もう忘れたいと耳をふさぐ人もいます。いろいろな思いが交錯する被災地で行った私たちの「3.11」を紹介します。
▽「3.11なとり・閖上追悼イベント」にて被災された方やボランティアへ豚汁の炊き出しをしました
閖上小・中学校の解体工事も着工し、「思い出を語れる場所」も少なくなってきました。追悼イベントをお手伝いするボランティアも少なくなり、昨年は200人分を拵えた豚汁も今年はその半分となりました。でも、毎年駆けつけてくれるボランティアの方々が絵灯篭を並べ、追悼キャンドルへ点火する姿を見るたびに、あの震災を「忘れない」という気持ちが伝わってきました。
昨年は当プロジェクトから食材などの費用を支援させていただいたのですが、今回は実行委員会(代表・佐々木悠輔さん)が炊き出しにかかる費用を支出し、私たちは「調理」のお手伝いをさせていただきました。
閖上の復興支援を継続しているパナソニック名取工場の従業員や高校生ボランティアの皆さんによって、全国の支援者から寄せられた絵灯篭が配列され、とても丁寧に飾り付けられました。夕方から灯篭に火が灯され、訪れる方々の頬を伝う涙を照らしていました。
▽「HOPE for project2016」へ仮設トイレ3基のリース費用を支援しました
仙台市若林区にある荒浜小学校(仙台市の震災遺構に確定)の同窓生たちが毎年行っているこのイベントは、風船リリースや追悼コンサートを荒浜小の校舎で行っています。災害危険区域となるこのエリアは上下水道も5年前に破損したままで、トイレ問題が集いの広がりの障害となっていました。昨年に引き続き、ふんばろう宮城プロジェクトから仮設トイレ3基分のレンタル費用を支援させていただき、トイレ問題を解消するお手伝いができました。
同小学校は仙台市の震災遺構として校舎は残されますが、今年度末で七郷小へ統合され140余年の歴史に幕を閉じます。
*
上記2つのイベントの実行委員会には、今回の支援要請を受けるにあたってこのような言葉をかけました。「今後は人的なお手伝いは出来る限り協力するが、資金面では当てにしないでほしい」と。地域をあげての追悼イベントは今後も継続されるはずですが、ふんばろうサポーターズクラブ(ふんばろう支援基金)の皆さまからお預かりした支援金もそろそろ底をつくことを伝えました。心苦しい連絡への返答はこうでした。「多くの方々の支援のみで続けられた5年間でした。『思い』だけで続けていくことの難しさ。毎年、次年度はどうなるかわからないまま続けるのではなく、続けるのであれば足下をしっかり見据えながら活動できるようにしていきます。伝えづらいことをご丁寧に書いて下さりありがとうございます」。
当プロジェクトは発足時に「プレハブ仮設住宅がなくなるまで活動を続けよう」という方針を掲げました。災害公営住宅の建設が遅れるなどの理由もあって、プレハブ仮設の入居期限は延長され続けていますが、活動資金が底をついても〝まだまだやれることはある"と思いをいたした「3.11」となりました。(こせきかつや)
東日本大震災によって犠牲になられた方は宮城県内で9541人(3/12現在)。そして、いまだに1237人が行方不明として家族のもとへ帰れていません。精一杯ふんばっている人もいれば、もう忘れたいと耳をふさぐ人もいます。いろいろな思いが交錯する被災地で行った私たちの「3.11」を紹介します。
▽「3.11なとり・閖上追悼イベント」にて被災された方やボランティアへ豚汁の炊き出しをしました
閖上小・中学校の解体工事も着工し、「思い出を語れる場所」も少なくなってきました。追悼イベントをお手伝いするボランティアも少なくなり、昨年は200人分を拵えた豚汁も今年はその半分となりました。でも、毎年駆けつけてくれるボランティアの方々が絵灯篭を並べ、追悼キャンドルへ点火する姿を見るたびに、あの震災を「忘れない」という気持ちが伝わってきました。
昨年は当プロジェクトから食材などの費用を支援させていただいたのですが、今回は実行委員会(代表・佐々木悠輔さん)が炊き出しにかかる費用を支出し、私たちは「調理」のお手伝いをさせていただきました。
閖上の復興支援を継続しているパナソニック名取工場の従業員や高校生ボランティアの皆さんによって、全国の支援者から寄せられた絵灯篭が配列され、とても丁寧に飾り付けられました。夕方から灯篭に火が灯され、訪れる方々の頬を伝う涙を照らしていました。
▽「HOPE for project2016」へ仮設トイレ3基のリース費用を支援しました
仙台市若林区にある荒浜小学校(仙台市の震災遺構に確定)の同窓生たちが毎年行っているこのイベントは、風船リリースや追悼コンサートを荒浜小の校舎で行っています。災害危険区域となるこのエリアは上下水道も5年前に破損したままで、トイレ問題が集いの広がりの障害となっていました。昨年に引き続き、ふんばろう宮城プロジェクトから仮設トイレ3基分のレンタル費用を支援させていただき、トイレ問題を解消するお手伝いができました。
同小学校は仙台市の震災遺構として校舎は残されますが、今年度末で七郷小へ統合され140余年の歴史に幕を閉じます。
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上記2つのイベントの実行委員会には、今回の支援要請を受けるにあたってこのような言葉をかけました。「今後は人的なお手伝いは出来る限り協力するが、資金面では当てにしないでほしい」と。地域をあげての追悼イベントは今後も継続されるはずですが、ふんばろうサポーターズクラブ(ふんばろう支援基金)の皆さまからお預かりした支援金もそろそろ底をつくことを伝えました。心苦しい連絡への返答はこうでした。「多くの方々の支援のみで続けられた5年間でした。『思い』だけで続けていくことの難しさ。毎年、次年度はどうなるかわからないまま続けるのではなく、続けるのであれば足下をしっかり見据えながら活動できるようにしていきます。伝えづらいことをご丁寧に書いて下さりありがとうございます」。
当プロジェクトは発足時に「プレハブ仮設住宅がなくなるまで活動を続けよう」という方針を掲げました。災害公営住宅の建設が遅れるなどの理由もあって、プレハブ仮設の入居期限は延長され続けていますが、活動資金が底をついても〝まだまだやれることはある"と思いをいたした「3.11」となりました。(こせきかつや)