先月19、20日のことですが、ふんばろうの在京組メンバーを中心に企画した被災地ツアー 『冬が来る前に、被災地での生活支援や物資支援をふんばろう!』へ同行してきました。2週間経っているのでツイートを辿りながらログを残しておきたいと思います。
「東北の冬は雪が降って車での移動も困難になってくるため、年内の被災3県での活動は今回が最終」ということで、60人を超すふんばろうメンバーが集まりました。それも超ハードスケジュール…。18日の夜にバスで東京を出発した一行は、翌19日に南三陸町と岩手大槌町に分かれて支援物資の配布と仮設住宅に住む方々を対象にしたイベント(モールアート、ミシン教室、学習支援、PC教室など)に取り組みました。当方は仙台駅で大阪支部の大川さんと都内に住む沢口さんを乗せて、いざ南三陸・平成の森仮設団地へ。
「モールアート教室」では老若女(男性の参加者はいなかった)約30名が参加され、会話を楽しみながら素敵なサンタベアーを製作されていました。
宿泊は、大船渡市にある碁石海岸「ホテル碁石」。碁石浜は碁石状の黒い石が混じる石浜で、伊達公に粒を揃えて碁石として献上したことから、一帯を碁石海岸と呼ばれたそうです。ひと足早い忘年会は初めて会う方ばかりでしたが、思いを一つにしている方たちばかりなのですぐに打ち解けられました。「どーれ二次会でも…」と思いきや、みなさん長時間の移動で疲れたのでしょう、ソッコーで寝入ってしまいました。
翌20日は気仙沼市民会館でのピアノコンサート&炊き出し、岩松中学校仮設団地集会所にてミシン教室、小中学生を対象にした学習支援などを行いました。
当方は、ふんばろう代表の西條剛央さんと早稲田大の学生たちと南三陸・ホテル観洋で、女将さんの阿部憲子さんへのインタビュー(西條さんのゼミの課題)に加えていただきました。
※真剣にインタビューする西條さんのゼミ生
震災以降、地域の方々の避難所として、またボランティア団体の拠点として施設を提供してきたホテル観洋。「水が確保できなかった4カ月間は大変でした」という阿部さんは、お客様を守る、そして地域を守ることが観光産業にとって最も大切なことだと力説されました。また、地域から若い人たちが去っていくことを何とか食い止めたいとも。開所から19年になるという従業員用の託児所の充実ぶりも地元からの雇用創出がその根底にあるとのことでした。
「被災した地元企業は現状を維持するのも大変で、いったん解雇した従業員をまた迎え入れることで手一杯。そのような地元企業が資本力のある新興企業との競争に追いつけるはずもなく、さらに経営が厳しくなるという悪循環が起きている。失業保険の延長などではなく、地元の若者が“ふるさとを捨てない”で働ける場所の確保を行政や財界の方へ求めたい」と阿部さん。創業から39年となる今年は大変だったけれど、来年はさらに南三陸町の玄関口としてふんばっていただきたい企業だという思いを強くしました。(こせきかつや)
「東北の冬は雪が降って車での移動も困難になってくるため、年内の被災3県での活動は今回が最終」ということで、60人を超すふんばろうメンバーが集まりました。それも超ハードスケジュール…。18日の夜にバスで東京を出発した一行は、翌19日に南三陸町と岩手大槌町に分かれて支援物資の配布と仮設住宅に住む方々を対象にしたイベント(モールアート、ミシン教室、学習支援、PC教室など)に取り組みました。当方は仙台駅で大阪支部の大川さんと都内に住む沢口さんを乗せて、いざ南三陸・平成の森仮設団地へ。
「モールアート教室」では老若女(男性の参加者はいなかった)約30名が参加され、会話を楽しみながら素敵なサンタベアーを製作されていました。
宿泊は、大船渡市にある碁石海岸「ホテル碁石」。碁石浜は碁石状の黒い石が混じる石浜で、伊達公に粒を揃えて碁石として献上したことから、一帯を碁石海岸と呼ばれたそうです。ひと足早い忘年会は初めて会う方ばかりでしたが、思いを一つにしている方たちばかりなのですぐに打ち解けられました。「どーれ二次会でも…」と思いきや、みなさん長時間の移動で疲れたのでしょう、ソッコーで寝入ってしまいました。
翌20日は気仙沼市民会館でのピアノコンサート&炊き出し、岩松中学校仮設団地集会所にてミシン教室、小中学生を対象にした学習支援などを行いました。
当方は、ふんばろう代表の西條剛央さんと早稲田大の学生たちと南三陸・ホテル観洋で、女将さんの阿部憲子さんへのインタビュー(西條さんのゼミの課題)に加えていただきました。
※真剣にインタビューする西條さんのゼミ生
震災以降、地域の方々の避難所として、またボランティア団体の拠点として施設を提供してきたホテル観洋。「水が確保できなかった4カ月間は大変でした」という阿部さんは、お客様を守る、そして地域を守ることが観光産業にとって最も大切なことだと力説されました。また、地域から若い人たちが去っていくことを何とか食い止めたいとも。開所から19年になるという従業員用の託児所の充実ぶりも地元からの雇用創出がその根底にあるとのことでした。
「被災した地元企業は現状を維持するのも大変で、いったん解雇した従業員をまた迎え入れることで手一杯。そのような地元企業が資本力のある新興企業との競争に追いつけるはずもなく、さらに経営が厳しくなるという悪循環が起きている。失業保険の延長などではなく、地元の若者が“ふるさとを捨てない”で働ける場所の確保を行政や財界の方へ求めたい」と阿部さん。創業から39年となる今年は大変だったけれど、来年はさらに南三陸町の玄関口としてふんばっていただきたい企業だという思いを強くしました。(こせきかつや)