東日本大震災から5年半(8/30で2000日)が過ぎようとしています。
甚大な被害を受けた宮城県沿岸部では、さまざまな形で復旧・復興に向かって前進しています。私たち、ふんばろう宮城プロジェクトもふんばろうサポーターズクラブの皆さんをはじめ、本当に多くの方々からのご支援をいただきながら、支援活動に取り組んできました。
しかし、5年が過ぎて宮城の沿岸部が「いま」どうなっているのか―。どのように復興したのか、していないのかを考えています。
ご支援をいただいた方々に対して発信するボランティアの数も減り、マスメディアでの扱いも5年を過ぎ、少なくなっていると感じます。他方、物資支援など緊急性の高い支援活動が縮小するに伴い、活動をしていた私たちも、「あの時は毎週のように足を運んでいたけれど、実は『いま』の様子についてはあまり知らない」ということに感慨を深くしています。
そこで、宮城の「いま」について、あらためて現地に足を運んで復興の度合いを肌で感じ、被災された方々の話を聞き、多くのご支援をいただいた方々に発信していこうと思っています。私たちの視点で綴ってまいりますのでご一読いただけたら幸いです。
*
シリーズ「宮城・沿岸部探訪 被災地のいま―気仙沼編」
「フカヒレの産地」として有名な宮城県気仙沼市は、カツオの水揚げ19年連続日本一を誇る水産業が盛んな港町。震災直後、一晩中「火の海」と化した気仙沼は水産業が活気を取り戻しているものの、そこで暮らす人々は防潮堤の建設計画など行政主導の復興計画をどのように捉え、これからの町づくりに何を期待しているのか。気仙沼みなとまつりに沸く8月7日、同市を訪ねた。
▽復興公営住宅の建設はまだこれから
気仙沼港を目指して車を進める。すれ違うダンプカーがけたたましく砂埃をあげる。車窓から見える真新しい復興公営住宅だけを見れば、町が再生していく息吹を感じるものの、新しい町づくりの全容はまったくイメージできない。やっと区画整理が終えて「これから」という段階のように映る。
南気仙沼地区の区画整理事業は、復興公営住宅は数棟完成しているものの空き室も目立つ。個人の住宅再建はまだ手付かずで、掲げられた「将来のまちなみイメージ図」の1割程度しか進んでいないように感じた。
▽自然環境を守って、防災・減災に取り組むべき
気仙沼市本吉町前浜に住む佐藤俊夫さん(63)に話を聞いた。佐藤さんの自宅は海抜16mにあるが、津波で1階天井まで浸水した。109世帯あった前浜地区は佐藤さんの自宅海側の約30世帯が流出。現在も危険区域に指定されている。
佐藤さんたちは気仙沼市が進める高さ9・8mの防潮堤計画よりも道路の10mへのかさ上げなどを訴える。当初計画ありきの行政側の姿勢に「地域住民とのギャップがありすぎる」と疑問を呈す。
「目に見えるところは(復興が)進んでいるけれど、そうでないところとの格差が広がっている。まだプレハブ仮設住宅に住む人も少なくないしね」と佐藤さん。前浜地区は住民同士の団結が強い地域だったが、震災後は若者らが地区外に流出し、絆が弱まってきていることを危惧していた。しかし、支援団体などが足を運び、新たな人とのつながりが増えて大きな励みになったという。前浜地区に残っている人たちの多くは(支援してもらった方々に)恩返しがしたいという気持ちが心の支えにもなっていると実感した。
佐藤さんたちは、目白大社会学部専任講師・廣重剛史氏や早稲田大学ボランティアセンターの協力を得ながら、危険区域の土地を借り上げて「椿の森プロジェクト」に取り組んでいる。「津波に負けない前浜地区の椿を植樹して、灰色のコンクリートの壁に囲まれた津波防災ではなく、風光明媚な三陸の自然を生かした津波減災」というコンセプトが佐藤さんたちの心に響いた。椿の種の採取から育苗、植樹までの工程を学生ボランティアが担うこのプロジェクトはこれからも続く。
最後に佐藤さんは「自然と共存共栄しながらこの地域で生活してきた。防潮堤は自然を壊してしまう。アワビやウニが採れる豊かな海(磯場)を守って行きたい」と語ってくれた。
*
▽SNSを駆使し、若い世代でのまちづくりをけん引
「20代がきてます!」と熱く語る小山裕隆さん(38)に話を聞いた。被災を機に若い世代でまちづくりをしよう―との雰囲気が出てきたと語る小山さんは、いわば気仙沼の若手リーダー的存在だ。県外からの移住者の影響か、気仙沼は20代の人口が微増しているという。
自ら営む菓子店は130年続く老舗で小山さんは5代目。店は津波で浸水した。
気仙沼の若者たちは行政側が進める復興計画をどのように見ているのか。よいところを聞くと「大きく失敗していないところ」と笑いながら答えてくれたが、舌鋒は鋭い。「沿岸部の区画整理が進んでいないが、鹿折地区や南気仙沼地区に住んでいた被災者へのアンケートでは、帰る予定の人が10%だった。計画されている復興公営住宅のうち、2棟分は空き家になると分かっているのになぜ建てるのか理解に苦しむこともある」と語る。補助金を使って繰り広げられる復興計画には多くの疑問も投げかけられているようだ。
行政側と意見交換する機会はないのかを問うと、「既にまちづくりの議論は終わっている。気仙沼市民の7割は水産業に関わって生活している。その地域性を生かして水産、観光業を資源にするとの方向は一致している」という。観光センターの再構築や気仙沼の魅力を伝えるツアーを「ば!ば!ば!プロジェクト」を立ち上げ、定期的に実施している。
小山さんを中心とした若手の活躍が、今後の気仙沼のまちづくりに大きく影響してくるだろう。応援していきたい。(文:こせきかつや)
▽気仙沼市震災復興サイト
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1375178463618/
▽気仙沼市被害の状況
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1300452011135/
甚大な被害を受けた宮城県沿岸部では、さまざまな形で復旧・復興に向かって前進しています。私たち、ふんばろう宮城プロジェクトもふんばろうサポーターズクラブの皆さんをはじめ、本当に多くの方々からのご支援をいただきながら、支援活動に取り組んできました。
しかし、5年が過ぎて宮城の沿岸部が「いま」どうなっているのか―。どのように復興したのか、していないのかを考えています。
ご支援をいただいた方々に対して発信するボランティアの数も減り、マスメディアでの扱いも5年を過ぎ、少なくなっていると感じます。他方、物資支援など緊急性の高い支援活動が縮小するに伴い、活動をしていた私たちも、「あの時は毎週のように足を運んでいたけれど、実は『いま』の様子についてはあまり知らない」ということに感慨を深くしています。
そこで、宮城の「いま」について、あらためて現地に足を運んで復興の度合いを肌で感じ、被災された方々の話を聞き、多くのご支援をいただいた方々に発信していこうと思っています。私たちの視点で綴ってまいりますのでご一読いただけたら幸いです。
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シリーズ「宮城・沿岸部探訪 被災地のいま―気仙沼編」
「フカヒレの産地」として有名な宮城県気仙沼市は、カツオの水揚げ19年連続日本一を誇る水産業が盛んな港町。震災直後、一晩中「火の海」と化した気仙沼は水産業が活気を取り戻しているものの、そこで暮らす人々は防潮堤の建設計画など行政主導の復興計画をどのように捉え、これからの町づくりに何を期待しているのか。気仙沼みなとまつりに沸く8月7日、同市を訪ねた。
▽復興公営住宅の建設はまだこれから
気仙沼港を目指して車を進める。すれ違うダンプカーがけたたましく砂埃をあげる。車窓から見える真新しい復興公営住宅だけを見れば、町が再生していく息吹を感じるものの、新しい町づくりの全容はまったくイメージできない。やっと区画整理が終えて「これから」という段階のように映る。
南気仙沼地区の区画整理事業は、復興公営住宅は数棟完成しているものの空き室も目立つ。個人の住宅再建はまだ手付かずで、掲げられた「将来のまちなみイメージ図」の1割程度しか進んでいないように感じた。
▽自然環境を守って、防災・減災に取り組むべき
気仙沼市本吉町前浜に住む佐藤俊夫さん(63)に話を聞いた。佐藤さんの自宅は海抜16mにあるが、津波で1階天井まで浸水した。109世帯あった前浜地区は佐藤さんの自宅海側の約30世帯が流出。現在も危険区域に指定されている。
佐藤さんたちは気仙沼市が進める高さ9・8mの防潮堤計画よりも道路の10mへのかさ上げなどを訴える。当初計画ありきの行政側の姿勢に「地域住民とのギャップがありすぎる」と疑問を呈す。
「目に見えるところは(復興が)進んでいるけれど、そうでないところとの格差が広がっている。まだプレハブ仮設住宅に住む人も少なくないしね」と佐藤さん。前浜地区は住民同士の団結が強い地域だったが、震災後は若者らが地区外に流出し、絆が弱まってきていることを危惧していた。しかし、支援団体などが足を運び、新たな人とのつながりが増えて大きな励みになったという。前浜地区に残っている人たちの多くは(支援してもらった方々に)恩返しがしたいという気持ちが心の支えにもなっていると実感した。
佐藤さんたちは、目白大社会学部専任講師・廣重剛史氏や早稲田大学ボランティアセンターの協力を得ながら、危険区域の土地を借り上げて「椿の森プロジェクト」に取り組んでいる。「津波に負けない前浜地区の椿を植樹して、灰色のコンクリートの壁に囲まれた津波防災ではなく、風光明媚な三陸の自然を生かした津波減災」というコンセプトが佐藤さんたちの心に響いた。椿の種の採取から育苗、植樹までの工程を学生ボランティアが担うこのプロジェクトはこれからも続く。
最後に佐藤さんは「自然と共存共栄しながらこの地域で生活してきた。防潮堤は自然を壊してしまう。アワビやウニが採れる豊かな海(磯場)を守って行きたい」と語ってくれた。
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▽SNSを駆使し、若い世代でのまちづくりをけん引
「20代がきてます!」と熱く語る小山裕隆さん(38)に話を聞いた。被災を機に若い世代でまちづくりをしよう―との雰囲気が出てきたと語る小山さんは、いわば気仙沼の若手リーダー的存在だ。県外からの移住者の影響か、気仙沼は20代の人口が微増しているという。
自ら営む菓子店は130年続く老舗で小山さんは5代目。店は津波で浸水した。
気仙沼の若者たちは行政側が進める復興計画をどのように見ているのか。よいところを聞くと「大きく失敗していないところ」と笑いながら答えてくれたが、舌鋒は鋭い。「沿岸部の区画整理が進んでいないが、鹿折地区や南気仙沼地区に住んでいた被災者へのアンケートでは、帰る予定の人が10%だった。計画されている復興公営住宅のうち、2棟分は空き家になると分かっているのになぜ建てるのか理解に苦しむこともある」と語る。補助金を使って繰り広げられる復興計画には多くの疑問も投げかけられているようだ。
行政側と意見交換する機会はないのかを問うと、「既にまちづくりの議論は終わっている。気仙沼市民の7割は水産業に関わって生活している。その地域性を生かして水産、観光業を資源にするとの方向は一致している」という。観光センターの再構築や気仙沼の魅力を伝えるツアーを「ば!ば!ば!プロジェクト」を立ち上げ、定期的に実施している。
小山さんを中心とした若手の活躍が、今後の気仙沼のまちづくりに大きく影響してくるだろう。応援していきたい。(文:こせきかつや)
▽気仙沼市震災復興サイト
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1375178463618/
▽気仙沼市被害の状況
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1300452011135/