東北では夏休みの最終日となる8月25、26の両日、石巻の仮設団地自治会や地元の方々が主催する夏祭りに、ふんばろう東日本支援プロジェクト宮城支部の一員として参加してきました。両日ともに眩し過ぎるほどの太陽が容赦なく降り注ぐ、じりじりと暑いまさに「夏祭り」にうってつけの日和で、地元の方々が集い、笑顔と汗のほとばしるお祭りとなりました。
※石巻市指定民俗文化財「渡波獅子風流」
8月25日は石巻市で最も遅く建設された大森団地(1〜4団地・約400世帯)の「2012大森団地夏まつり」で、焼きそば、焼きもろこし、かき氷を出店。翌26日は石巻渡波・栄田地区の自治会が主催した「さかえだ夏まつり2012」にて、焼きそば、かき氷を出店してきました。また、いずれのお祭りにも、ふんばろうからポケモンカーをお呼びし、たくさんの子どもたちがピカチュウとの楽しい時間を過ごせたようです。
私自身は昨年5月からふんばろうで活動してきましたが後方支援がほとんどでしたので、ふんばろうの活動として現地の方々とふれあう機会は初めてのことでした。でも、私がそこで見たもの、触れたもの、感じたもの、そこに特別なものは何もありませんでした。と言うとなんだか聞こえが悪いのですが、私が居合わすことのできたこの二つの夏祭りは、「お祭り」という非日常的な高揚感をまとう「当たり前の夏の当たり前の夏祭り」だったように思うのです。
近所の人たちが集まる。祭りのためにきた人も、通りすがりの人も…。
夏休み中の子どもたちが集まる。待ち合わせをしたり、偶然会ったり…。
それでお互い知った顔を見つけては、声を掛け合う。笑いあう…。
それは、当たり前の夏祭りの風景。
「焼きそばまだなの?あとどれくらい待つの?」
「あそこのベンチさいっがら出来たら持ってきて〜悪いね〜」
「こいづ随分焦げてっこだ。焦げてねぇのがいんだげど」
それは、炊き出しではなくて、支援して貰ってるんじゃなくて、きちんと対価を払っているからこその、当たり前のやり取り。
この「当たり前」にこぎ着けるまで、どれほどの方々の、どれほどの想いと力があったことか。
今回お手伝いをさせていただいたお祭りは、地元の方が声をあげ、地元の方が主体となって開催したお祭りでした。当日の空間そのものも、準備段階におけるやり取りも、地域の方々がコミュニケーションを深めるきっかけとなったように思います。そして何より、「自分たちが自らの手で自分たちのお祭りを」開催することができた、という実感は、これからの地域再生へ向けて力強く作用していくことと思います。(※両日行われた夏祭りにて、焼きそばなどの購入代金は各主催自治会へ全額寄付しました)
昨年の今ころ。きょう一日を「生きて」いくために今ここで必要なことを、ふんばろうは必死で探しながらお手伝いをしていました。いま、来年、10年後、20年後、ここで地域の皆さんが「暮らして」いくために、私たちができることをお手伝いできたらと思っています。「被災者」からその地に生きる「当たり前の生活者」へと戻っていく、その過程で、「ごめんちょっと手ぇ貸して〜」と気軽に声をかけてもらえるような、そんな存在であれたらと思います。
この2日間、出店側・運営側に立ったボランティアが、手ぶらで夏祭りに遊びに来たよ!と言える日を楽しみにしています。(馬島実紀)
※石巻市指定民俗文化財「渡波獅子風流」
8月25日は石巻市で最も遅く建設された大森団地(1〜4団地・約400世帯)の「2012大森団地夏まつり」で、焼きそば、焼きもろこし、かき氷を出店。翌26日は石巻渡波・栄田地区の自治会が主催した「さかえだ夏まつり2012」にて、焼きそば、かき氷を出店してきました。また、いずれのお祭りにも、ふんばろうからポケモンカーをお呼びし、たくさんの子どもたちがピカチュウとの楽しい時間を過ごせたようです。
私自身は昨年5月からふんばろうで活動してきましたが後方支援がほとんどでしたので、ふんばろうの活動として現地の方々とふれあう機会は初めてのことでした。でも、私がそこで見たもの、触れたもの、感じたもの、そこに特別なものは何もありませんでした。と言うとなんだか聞こえが悪いのですが、私が居合わすことのできたこの二つの夏祭りは、「お祭り」という非日常的な高揚感をまとう「当たり前の夏の当たり前の夏祭り」だったように思うのです。
近所の人たちが集まる。祭りのためにきた人も、通りすがりの人も…。
夏休み中の子どもたちが集まる。待ち合わせをしたり、偶然会ったり…。
それでお互い知った顔を見つけては、声を掛け合う。笑いあう…。
それは、当たり前の夏祭りの風景。
「焼きそばまだなの?あとどれくらい待つの?」
「あそこのベンチさいっがら出来たら持ってきて〜悪いね〜」
「こいづ随分焦げてっこだ。焦げてねぇのがいんだげど」
それは、炊き出しではなくて、支援して貰ってるんじゃなくて、きちんと対価を払っているからこその、当たり前のやり取り。
この「当たり前」にこぎ着けるまで、どれほどの方々の、どれほどの想いと力があったことか。
今回お手伝いをさせていただいたお祭りは、地元の方が声をあげ、地元の方が主体となって開催したお祭りでした。当日の空間そのものも、準備段階におけるやり取りも、地域の方々がコミュニケーションを深めるきっかけとなったように思います。そして何より、「自分たちが自らの手で自分たちのお祭りを」開催することができた、という実感は、これからの地域再生へ向けて力強く作用していくことと思います。(※両日行われた夏祭りにて、焼きそばなどの購入代金は各主催自治会へ全額寄付しました)
昨年の今ころ。きょう一日を「生きて」いくために今ここで必要なことを、ふんばろうは必死で探しながらお手伝いをしていました。いま、来年、10年後、20年後、ここで地域の皆さんが「暮らして」いくために、私たちができることをお手伝いできたらと思っています。「被災者」からその地に生きる「当たり前の生活者」へと戻っていく、その過程で、「ごめんちょっと手ぇ貸して〜」と気軽に声をかけてもらえるような、そんな存在であれたらと思います。
この2日間、出店側・運営側に立ったボランティアが、手ぶらで夏祭りに遊びに来たよ!と言える日を楽しみにしています。(馬島実紀)