ふんばろう宮城プロジェクト

東日本大震災から発足した「ふんばろう東日本支援プロジェクト」公認団体として2013年4月から活動する復興支援プロジェクト

子どもたちの笑顔は、牡鹿の希望そのもの

2013-03-26 09:19:58 | 活動報告
 旅立ちの春を後押ししてくれるにはあまりにも風の強かった3月9日、石巻市立牡鹿中学校の卒業式に学習支援プロジェクトのメンバーとして出席させていただきました。今年度(昨年7月から今年2月)の取り組みは、3年生が受験勉強に向けて土曜日に行っていた学習会での支援。毎回の学習会に3〜4名のメンバーで伺い、生徒たちへの学習指導・質問対応や交流を行ってきました。


 8カ月間、子どもたちの努力と成長を見てきたため、もう卒業かという思いと、感慨深さがこみ上げてきました。凛とした姿で前を見据える卒業生19名。その胸には、さまざまな思いが去来していたことでしょう。


 牡鹿中学校は、三つの中学校が合併して、2010年に開校しました。そのため今回の卒業生が、3年間この牡鹿中学校で学んだ生粋の牡鹿中生と呼ばれています。この学年は当初、33名でスタートしました。それが、1年生の終わりに発生した東日本大震災の影響で、ひとり、またひとりと転出され19名となったそうです。
 生徒の答辞の中で涙ながらに語られた「33人で学校生活を送ることができたらどんなに楽しかっただろうかと、今でも思います」という言葉には、胸がつまりました。

 これだけの悲しみを経験しても、子どもたちは負けないようにと前を向いて頑張ってきました。運動会や文化祭など楽しい思い出もたくさんつくってきました。きらきらと輝く子どもたちの笑顔は、牡鹿の希望そのものだと思います。

 「それでもこの19人で卒業できて本当によかった」
 答辞の中で続けられた言葉です。目の前にある環境を受け入れ、周りに感謝し、力強く生きることのできる牡鹿中生にただただ感服しました。
 彼ら彼女らの限りない前途に幸多からんことを願ってやみません。(品川彩子)

震災から2年 それぞれの思いを胸に刻む

2013-03-11 11:04:35 | 日記
 きょうであの大震災から2年。

 多くの方が鎮魂の思いで午後2時46分を迎えられると思います。

 twitterやFacebookなどのソーシャルメディアでは「被災された方のために何かをしたい…」という意見や被災者から「震災があったことを風化させないでほしい」といったメッセージがアップされている一方で、そのようなメディアを利用されていない高齢者や子どもたちの声に耳を傾けるように心がけています。それぞれの気持ちをうまくマッチングさせることもボランティアの役割。その意味ではボランティア間の連携がさらに必要になってくると感じています。

※きょう観音像「祈りの塔」の開眼式が行われます
 きのう、ふんばろう宮城支部の有志7人で仙台市若林区荒浜にある震災犠牲者慰霊塔へ手を合わせてきました。線香に火をともすこともままならない強風でしたが、多くの弔問者が訪れていました。

※住居の基礎部分だけが残った荒浜地区のいま
 お隣の閖上エリアまで足をのばし、閖上中学校へも献花してきました。「3.11閖上追悼イベント2013」で用意された絵灯篭も強風でその多くが飛ばされてしまい、スタッフの方がとてもご苦労されていました。
▽思い、託す 東日本大震災、きょう2年(河北新報3月11日付)

※閖上中学校に設けられた献花台
 この2年間でいろいろなものが変わり、多くのことがそのままになっています。でもそれが現実。この現実をしっかり見極めながら被災された方の自立支援と被災エリアの復旧・復興のお手伝いを続けていきたいと思っています。

※閖上中学校の時計は2時46分のままで止まっています。

 合掌(こせきかつや)