旅立ちの春を後押ししてくれるにはあまりにも風の強かった3月9日、石巻市立牡鹿中学校の卒業式に学習支援プロジェクトのメンバーとして出席させていただきました。今年度(昨年7月から今年2月)の取り組みは、3年生が受験勉強に向けて土曜日に行っていた学習会での支援。毎回の学習会に3〜4名のメンバーで伺い、生徒たちへの学習指導・質問対応や交流を行ってきました。
8カ月間、子どもたちの努力と成長を見てきたため、もう卒業かという思いと、感慨深さがこみ上げてきました。凛とした姿で前を見据える卒業生19名。その胸には、さまざまな思いが去来していたことでしょう。
牡鹿中学校は、三つの中学校が合併して、2010年に開校しました。そのため今回の卒業生が、3年間この牡鹿中学校で学んだ生粋の牡鹿中生と呼ばれています。この学年は当初、33名でスタートしました。それが、1年生の終わりに発生した東日本大震災の影響で、ひとり、またひとりと転出され19名となったそうです。
生徒の答辞の中で涙ながらに語られた「33人で学校生活を送ることができたらどんなに楽しかっただろうかと、今でも思います」という言葉には、胸がつまりました。
これだけの悲しみを経験しても、子どもたちは負けないようにと前を向いて頑張ってきました。運動会や文化祭など楽しい思い出もたくさんつくってきました。きらきらと輝く子どもたちの笑顔は、牡鹿の希望そのものだと思います。
「それでもこの19人で卒業できて本当によかった」
答辞の中で続けられた言葉です。目の前にある環境を受け入れ、周りに感謝し、力強く生きることのできる牡鹿中生にただただ感服しました。
彼ら彼女らの限りない前途に幸多からんことを願ってやみません。(品川彩子)
8カ月間、子どもたちの努力と成長を見てきたため、もう卒業かという思いと、感慨深さがこみ上げてきました。凛とした姿で前を見据える卒業生19名。その胸には、さまざまな思いが去来していたことでしょう。
牡鹿中学校は、三つの中学校が合併して、2010年に開校しました。そのため今回の卒業生が、3年間この牡鹿中学校で学んだ生粋の牡鹿中生と呼ばれています。この学年は当初、33名でスタートしました。それが、1年生の終わりに発生した東日本大震災の影響で、ひとり、またひとりと転出され19名となったそうです。
生徒の答辞の中で涙ながらに語られた「33人で学校生活を送ることができたらどんなに楽しかっただろうかと、今でも思います」という言葉には、胸がつまりました。
これだけの悲しみを経験しても、子どもたちは負けないようにと前を向いて頑張ってきました。運動会や文化祭など楽しい思い出もたくさんつくってきました。きらきらと輝く子どもたちの笑顔は、牡鹿の希望そのものだと思います。
「それでもこの19人で卒業できて本当によかった」
答辞の中で続けられた言葉です。目の前にある環境を受け入れ、周りに感謝し、力強く生きることのできる牡鹿中生にただただ感服しました。
彼ら彼女らの限りない前途に幸多からんことを願ってやみません。(品川彩子)