ふんばろう宮城プロジェクト

東日本大震災から発足した「ふんばろう東日本支援プロジェクト」公認団体として2013年4月から活動する復興支援プロジェクト

アクティブなメンバーの活動に終わりはない/第6回定期総会開く

2018-04-21 18:35:41 | 活動報告
 人生の半分以上(たぶん)を過ごしてきた輩が言うのは、青臭くてむずかゆいのですが、本当に「無我夢中」の7年間でした。そして震災がなければ出会うことのなかった仲間たちと一緒に過ごした時間はこれからも忘れることのない財産です-冒頭のあいさつで小関勝也代表はこう語りました。

 ふんばろう宮城プロジェクトの第6回定期総会が4月15日、河北仙販ビル(仙台市青葉区一番町)で開催されました。参加者は6名と昨年の半分以下になりましたが、これまでの総括を自分の目線で、言葉で話してくれました。2017年度の活動報告、会計報告、会計監査報告が承認され、2018年度の活動方針を確認しました。

 2018年度については現状の活動を継続しつつ、ふんばろう宮城プロジェクトの発展的解消に向けて、支援者からお預かりしている東日本大震災で被災された方への支援金の譲渡や引き継いでいただけそうな団体の模索など、議論を重ねていくことが承認されました。
 私たちの活動もそろそろ終止符を打つ時期になったようです。当初から「このプロジェクトは早く無くすことが目的」としていましたが、個人のつながりは日に日に大きくなります。ふんばろう宮城プロジェクトとしての活動は今期末で終了となりますが、個人レベルで動き回るアクティブなメンバー(仲間)とともに活動がストップすることはありません。(こせきかつや)

少しずつでも前へ向かって進んでほしい/ふんばろう宮城PJ今年の「3.11」

2018-04-07 16:58:35 | 活動報告
 東日本大震災から7年。

 被災地では8年目に入りますが、被災された方々の格差は広がるばかり。特に高齢者がポツンと置いて行かれているように感じてなりません。宮城県内で9540人(4/7現在)の命を奪った東日本大震災。いまだに1223人が行方不明として家族のもとへ帰れていませんが、少しずつでも前へ向かって進んでいってほしいと願います。私たちふんばろう宮城プロジェクトの「3.11」を紹介します。

▽「3.11なとり・閖上追悼イベント」でボランティアへ豚汁の炊き出しをしました
 今年も名取市役所を会場に、全国から寄せられた絵灯篭を並べた追悼キャンドルイベントを手伝うボランティア150人へ豚汁を提供してきました。毎年、県外から手伝いにきてくれるボランティアの方や日曜日ということもあって学生ボランティアの姿も多くみられました。
実行委員会代表の佐々木悠輔さんは「毎年絵灯篭を送ってくれる全国の支援者に感謝したい。名取、閖上地区も復興の兆しが見えてきたが、まだ道半ば。このような活動を続けてまち全体を元気にしていきたい」と語ってくれました。






▽「HOPE for project2018」では炊き出しとチャリティー活動の手伝いに奔走
 仙台市若林区にある荒浜小学校(仙台市震災遺構)の同窓生たちが毎年行っているこのイベントへ携わってから4年になります。バルーンリリースと追悼コンサートに今年も地元の方など約1000人の方が訪れました。






 当プロジェクトは発足時に「プレハブ仮設住宅がなくなるまで活動を続けよう」という方針を掲げました。災害公営住宅の建設が進むなか、石巻市や気仙沼市ではプレハブ仮設の居住期限の延長が繰り返されています。また、プレハブ仮設の再集約などで地域のコミュニティーを根付かせるには、まだまだ時間がかかりそうです。
 これからのボランティア活動のあり方を自問自答しながら、今しばらく「3.11」と関わっていこうと思います。(こせきかつや)

南三陸町の幼児施設へ真実さんからのXmasプレゼントをお届け

2017-12-22 11:12:08 | 活動報告
 「復興も一歩ずつ着実に進み、故郷の形が見え始めています」。
 南三陸町立保育所の先生方から送ってもらったメッセージカードの文字をなぞりながら、これまでの月日を思い返します。

 東日本大震災から6年9カ月。
 何がよくて、何が不十分だったのかを考えながら、今年のふんばろう宮城プロジェクトの活動を総括しています。来年も私たちにできること、私たちにしかできないことを愚直に取り組んでいきたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
 *
 ぽかぽか陽気に包まれ、被災沿岸部は海と空の青さが際立った今月18日、熊谷真実さんが震災直後から続けている「子どもたちへのXmasプレゼント」を届けに、南三陸町立保育所とあさひ幼稚園へうかがいました。今年はスケジュールが合わず真実さんの訪問は叶いませんでした、サンタクロースの衣装をまとった筆者が代役を務めてきました。

▽南三陸町立志津川保育所は来年2月から新校舎へ移転
 南三陸町立志津川保育所へうかがいました。同所のクリスマス会は20日に行われるとのことだったので、プレゼントのみお渡ししてきました。


 今年3月3日にオープンした「南三陸町さんさん商店街」に近い町立保育所は、この地に開設されて44年の歴史ある施設でしたが、来年2月から同町志津川小学校と同じ場所へ建設されている新校舎へ移られるとのことでした。所長に話を聞くと「震災以降、いつ避難勧告が出されるか心配で、子どもたちの昼寝の時間にパジャマへ着替えさせられなかった。移転先は高台にあるのでパジャマに着替えてゆっくりと休ませられるし、ボタンのつけはずしも教えられる」と語っていました。
 来年は新校舎への訪問となりますね。真実さん!


▽25人の園児は風邪もひかずに元気いっぱい!
 続いて、同町にあるあさひ幼稚園を訪問。園のクリスマスパーティーにゲスト登場させていただきました。

 筆者がサンタに扮して真実さんからのプレゼントを子どもたちへ手渡し。みんな「どうもありがとう」と大きな声でお礼を言いながら受け取ってくれました。お返しにと、「慌てん坊のサンタクロース」を合唱してくれて、メッセージカードまでいただきました。

 みんなありがとう!
(こせきかつや)
▽ふんばろうの支援スタイルに共感・熊谷真実さんの支援は続く
http://blog.goo.ne.jp/fumbaro2011/e/cc1aaf161b966ef83e71ae50f9303fc8
▽今年は真実さんと一緒にXmasプレゼント届けました!
http://blog.goo.ne.jp/fumbaro2011/m/201512
▽真実さんからのクリスマスプレゼント
http://blog.goo.ne.jp/fumbaro2011/m/201412



「それぞれができる支援を続けよう」とファンへ訴え/FEEDERメンバーが旧荒浜小を訪問

2017-12-07 18:28:08 | 活動報告
 ふんばろう宮城プロジェクトのメッセージコーナーへ楽曲を提供してくれたイギリスのロックバンド「FEEDER」。
 
 メンバーのタカ ヒロセさんは東日本大震災の直後から、被災地支援として「サイド・バイ・サイド」の楽曲をiTunes Storeでチャリティ配信し、日本赤十字協会への寄付活動をするなど、被災地支援に取り組んできた人だ。

 震災から8カ月後の2011年11月に宮城に来られたタカさんと熊谷真実さんを連れて、気仙沼市と南三陸町のプレハブ仮設住宅を回り、被災された方へストーブなどの物資支援に同行してもらった。その時からの付き合いとなる。

 やり取りはもっぱらFacebookとなるが、「小関からの被災地の情報をいつもチェックしている」として「いいね!」が付く。そして、海外からの視点で薄れゆく被災地への関心や福島第一原発の影響、捉え方などを伝えてくれる。

 去る12月1~2日、仙台市若林区荒井地区にできた「仙台ギグス」で「FEEDER×アジアン・カンフー・ゼネレーション」のライブが開かれた。FEEDERの仙台でのライブは5年ぶりとなる。タカさんから事前に連絡がきて1日のライブを鑑賞。とてもパワフルなライブだった。その後、楽屋を訪れて再会の固い握手を交わし、短い時間だったが酒を酌み交わした。

 翌日はリハーサルの前に沿岸部を視察したいとの要望を受け、ほかのメンバーを含む4人を仙台市震災遺構の旧荒浜小学校へ案内した。ふんばろう宮城PJメンバーの古澤きみえさん、森雅彦さんにもアテンドをお願いし、同遺構の臨時職員・高山智行さんにもガイドの協力をいただいた。

 5年前、タカさんをこの場所に案内したときは、津波で押し流されたバイクや自転車の廃材置き場だったことを思い出す。高山さんの説明をタカさんが通訳して、メンバー(全員イギリス人)に伝えてくれた。メンバーもいろいろ感じてくれたと思う。別れ際には「あのような場所に連れて行ってもらい感謝する」とハグされた。(英語が話せたら…と悔やむ)

 その日のライブでタカさんは、旧荒浜小学校を訪問したことに触れ、(被災地への支援について)「それぞれができることを続けよう」とファンへ訴えてくれたそうだ。

 ありがとうタカさん!(こせきかつや)

【関連記事】
▽「マー姉ちゃん」が突然の訪問…。 人とのつながりは国境を越えた!
http://blog.goo.ne.jp/fumbaro2011/e/885e325bf6af3b14007ad20d3d08d7a7
▽僕たちにできることは、東日本大震災の現状を伝えること/FEEDER・タカさん
http://blog.goo.ne.jp/fumbaro2011/e/3b7189469d4423f4ea88ceffe837a341
 

次のステージに歩みを進めた"おのくん"に集う仲間たち

2017-10-18 18:49:41 | 活動報告
 東日本大震災から6年7カ月。
 宮城県内の応急仮設住宅は9月30日現在で2,867戸、5,717人が居住しています。最も多い時期の入居戸数は21,610戸(ピーク時から18,743戸の減少)、入居者数は53,269人(ピーク時から47,552人の減少)。しかし、民間賃貸借上住宅にもいまだ5千人近くの方が「間借り」をしており、独居老人世帯が取り残されている現状が浮き彫りになっています。

 全国に10万もの里親がいる「おのくん」が生まれた場所。小野駅前仮設住宅集会所が、9月いっぱいで閉鎖になるとの連絡を受けて、30日に開催された感謝祭へうかがってきました。
 
 ふんばろう宮城プロジェクトのメンバーにも「おのくん里親」が多く、震災の視察にこられた方の多くをお連れしました。また、毎年ゴールデンウィークに開催されるおのくん祭りにも、ブースを出させていただき売上を寄付する取り組みを続けています。

 10月からはJR陸前小野駅近くにある「空の駅」へ拠点を移し、引き続き地域の復興支援活動に取り組むそうですが、なんとなく寂しい気持ちになります。会長の武田文子さん、新城隼さんは「みんなのお陰でここまでこれた。感謝しかない」と語ってくれました。そして「これからが本番」とも。
 次のステージに歩みを進めた"おのくん"に集う仲間たち。これからも応援していきます。(こせきかつや)


<おのくん>制作女性ら「里親」と交流 東松島仮設閉鎖で感謝祭
 東日本大震災で被災した宮城県東松島市の小野駅前仮設住宅が30日、閉鎖される。入居者の女性らがキャラクター人形「おのくん」を手作りし、年間2万人近い来訪者と交流してきた。「おのくんを通じて楽しい時間を過ごせた」。女性らは思い出を胸に刻み、最終日の30日に感謝祭を開く。
 東松島市によると、小野駅前仮設住宅の入居者は1日現在、11人。2011年12月には約280人がいたが、生活再建が進み、閉鎖が決まった。
 おのくんは靴下や綿が材料で、サルがモチーフの人形。自治会長武田文子さん(66)らが12年4月に作り始めた。1個1000円で販売し、全国的な人気を集め、国内外の延べ10万人が「里親」となった。グッズや絵本なども生まれた。
 現在は30~60代の女性20人が仮設住宅の集会所のほか、市内の野蒜、牛網両地区に再建した自宅などでおのくんを作っている。
 震災から6年半となる今でも「里親」との交流が続く。その一人、兵庫県川西市の小野昂希(こうき)さん(22)は今月6日、初めて集会所を訪れ、「自分の名字と同じおのくんに会えてうれしい。見た瞬間、親近感が湧いた」と喜んだ。
 武田さんは「震災後、ここまで来られたのは応援してくれた皆さんのおかげ。これからも明るく、前へ進んでいきたい」と言う。
 おのくん作りの拠点は10月、JR陸前小野駅前の交流施設「空の駅」に移る予定。武田さんらは、地元食材を使った料理とコーヒーを提供したり、高齢者の居場所として活用したりする構想も描く。
 おのくんのPR活動などのプロジェクトに携わる同市の新城隼さん(46)は仲間を募っている。感謝祭本番、感謝祭に向けての催し、空の駅の運営など取り組みは多岐にわたり、「デザイナーやライターなどさまざまな人たちと一緒に構想を練り、形にしたい」と協力を呼び掛ける。
 集会所の連絡先は0225(98)8821。PR活動などに関する連絡先は「ソーシャルイマジン」0225(90)3314。【河北新報の9月22付紙面から引用】


<おのくん>制作女性ら「里親」と交流 東松島仮設閉鎖で感謝祭
 東日本大震災で被災した宮城県東松島市の小野駅前仮設住宅が30日、閉鎖された。キャラクター人形「おのくん」を手作りしてきた入居者の女性らはこの日、感謝祭を開催。おのくんの購入を通して支援してきた県内外の「里親」らと親睦を深めた。
 仮設住宅の集会所前に出店が並び、焼きそばやたこ焼きを提供。おのくんの関連グッズや絵本を販売した。おのくんの着ぐるみがギターを演奏し、会場を沸かせる場面もあった。
 おのくんは靴下や綿が材料で、サルがモチーフ。おのくんを作ってきた女性たちは震災後の日々を振り返り、感謝の言葉を口にした。「震災に遭って大変な思いをしたけれど、おのくんに出会えて心のゆとりができた」「この仮設で皆さんと過ごせて楽しかった」
 おのくん作りの拠点は1日、JR陸前小野駅前の交流施設「空の駅」に移る。仮設住宅の自治会長武田文子さん(66)は「今までのように気軽に立ち寄ってほしい」と望む。
 徳島市の会社員正木伸一郎さん(47)は震災から間もなく武田さんと会い、仮設住宅の入居者らに徳島産の野菜を届けたり、年越しそばを振る舞ったりしてきた。正木さんは「生活再建に伴い仮設住宅がなくなることは大きな前進だと思う。引き続き交流したい」と話した。【河北新報10月1日付紙面から引用】