自らも61歳まで草野球に親しみ、無類の野球ファンを自称する私は
先日(1月20日)、『成人T細胞白血病』を告白した元広島カープの
エース北別府学さんの放送と記事(後日)を見て心揺さぶられる思いで
今後の治療の効果により、一日も早い完治を願った。
私自身は子供の頃から阪神タイガースのファンだったが広島球団の
数々の記録を作り、精密機械と言われた北別府投手の素晴らしさを
理解する野球ファンの一人だと思っている。
と同時に私には彼(北別府さん)の若いころからの顔かたちが子供の
頃から今も忘れられない同級生の顔に酷似しているということが
より一層彼の印象を良くしているのだと思う。
その同級生は勉強をはじめ、いろんな面でも私といいライバル関係で
特に工作や物の改造が得意で、私もいろいろ教えてもらったり一緒に
考えたりして刺激を受けたことが今の私に繋がっている点も多いと思う。
小学生の高学年になると特に模型飛行機の改造をよくやったものである。
また道具の少ない時代に木を削り、ゴムを動力にした木造模型擬きの
潜水艦を作って用水池や小川の水をせき止めて動きを見ながらブリキ製の
潜水翼の角度を変えたり重心の移動をさせたり・・・その楽しい時間は
あっという間に過ぎて気が付くと夕日が鮮やかなオレンジ色になる頃には
二人ともシャツもズボンもビッショリと濡れていた。
将来は何かの技術者になりたいと思っていた私は船大工に憧れ、
彼は設計者を目指す・・・という話をよくしたものである。
そして高校受験が近づくと彼は全国に5校しかない「商船高等専門学校」を
目指し、私は大学へ進む道を選び進学校へと別れたが・・・
見事合格した彼は1年生の後半に病気(結核?)で継続が不可能となり
治療後、翌年県内の有名な工業高校を再受験。
教師であった父親の期待、希望でもあり私自身も大学を目指していたが
私は3年生の時に急遽大学受験を断念し、就職することに・・・
(その理由は2019年2月23日~28日までの”私の人生に大きく影響を与えたと
思われる人たち”シリーズの第4弾の投稿記事内にあり)
そして彼より一年早く就職した私は東京での忙しい生活が始まり、その後
彼も浜松の自動車メーカーの技術者として仕事を始めたという情報を
聞くまでは交流が途絶えていた。
そして月日が流れ・・・40歳の時に小学校の同窓会で久しぶりの対面。
そのころ広島の北別府投手は連続二けた勝利や優勝に貢献するなど
大活躍・・・私たちと北別府さんとは年齢が15~6歳も違い、大活躍の
北別府投手は25歳ぐらいなので彼(私の友人)の25歳ぐらいの時の
顔を知らない筈の私だが、40歳の彼を見て北別府選手も40歳に
なったらきっと・・・間違いなくこのような顔になるだろうと思っていた。
今回、『成人T細胞白血病』を告白した北別府学さんは62歳だが依然として
若々しく見え、40歳の時の友人にやはりそっくりだと思った。
その後も音信不通(?)だが今後いつ行われるかわからない小学校、
或いは中学校の同窓会の報せを待つことなく近いうちに消息を尋ねる
ために何かのアクションを起こしたいと強く思った。
彼はきっと自分の知識や技術を会社や後輩たちに繋ぎ、大きな技術革新を
やってきたことだと思う。
そしてきっと『あの車のあの部分は自分が開発、改善したのだ・・・』と
ひそかに自負していることだろう。
テレビの番組程大がかりではなくても昔の友達と連絡を取り合い、
『あいつ今何してる?』を実現して元気であろう彼にぜひ会ってみたい。