今年も師走を迎えた。
例年と変わりなく世界や日本の各地で様々な事件や災害が多数
起きたのは残念なことだが、大自然は刻々と時を刻み、ついに
今年も残すところわずかとなった。
師走の語源や由来、意味を辿ると一般的に多く使われている
説明以外にも実に多くの意味を持った言葉が紹介されている。
そのひとつ一つにはすべてなるほど・・と頷ける説明がされている。
それはさておき我が家の師走はどうなのかと考えてみると・・・
近年は以前ほど慌ただしくないような気がする。
確かにリタイア後は時間があり、普段からこまめに整理や掃除ができるので
「年の瀬が迫ってから短時間であれもこれも・・と慌てて対応することが
なくなったこともあるのかもしれないが、昔のような緊張感などが
薄れてきて「何が何でも今年中に・・」などという意識も希薄になっている
からかもしれない。
本来几帳面なはずの私も「せっかち、思い込み、早とちり」の
千恵子選手の言葉に惑わされることなく(?)今年できなければ
来年でいいじゃないか・・と思うようになったのである。
でもこれは自分では決して怠惰であるとは思わないし、多少の
老化現象からくる意欲減退だとも思わないのである。
事実私は心身ともにいたって健康であると自負しているし、
このままだと125歳まで生きる目標はクリアできる・・・と
自分を信じているから・・・
そんなわけで我が家では一般的に言われる「年末の大掃除」に
あたるものは日常やっているつもりなので年の瀬の慌ただしさは
感じないのかもしれない。
例えば障子の張替えや天井の清掃、本棚や道具箱、工具類の整理なども
毎年から2年に一度・・と間隔を開けているなど・・・
こんな私でも月日の経つのが早いと思うのは人並に感じるのだ。
今年は私が大好きな夏があっという間に過ぎたという感覚が一番強く、
他のどの月も、「あっという間」だった。
「今年もカレンダーがあと2枚になったのか・・」と思ったのが
1週間前だったような錯覚に陥る。
昔は年末になると「来年は・・・」と抱負を語ったりしたが
近年はそういう「心に新鮮な風」や「熱い風」を吹き込もうとする
気持も薄れていることに今朝気づいた。
それは自室の11月のカレンダーを切り取り線からビリビリッと
切り取って12月のカレンダーの絵を見たとき・・・
そして私にはまだまだ若さやその気持ちが有り余るほど残っている
筈なんだと。
今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』
(青の太文字はfumiel-shimaの一言)
今日は残念ながら曇天・・先日の突き抜けるような青空よ再び・・・
空に向かい、心晴れやかに足、腰は痛いがなんのこれしき・・と
このささやかな抵抗(?)が足を踏み出す勇気を生むのか
この落ち葉からちょっと寂しい この落ち葉は風に乗って
オノマトペが聞こえるようだ はるか遠くまで飛んでいく
あの人ならきっと上手く あの人の庭で今年も
利用して家族の笑顔を イキイキとした実が
呼ぶ美味しさに・・・ 順調に育っているだろう
主婦の感覚はより一層 息子の妻ソニアとはお互いに
美味しい結果を生むようだ 本当の親子の感覚で明るく
付き合えるのが嬉しい。