マンションの大規模修繕工事がまだまだ続く中、今日はドリル、
グラインダーや各種の電動工具の振動音がなく、私の住むA棟では
スケジュールどおり予定された住戸の入口ドア付近の塗装と
機械式駐車場の金属部分の塗装が行われている。
今週は私の駐車位置区画も該当箇所になっているので、あらかじめ
決められたとおり、日曜日(昨日)に300メートルほど先の民間駐車場に
車を移動済みなのだが・・・
今、こうしてパソコンに向かっている静かな時間・・・
聞こえてくるのは私の部屋のエアコンから出てくる微かな風音だけ・・
週の始まりだが何故か気持ちもゆったりとして胸の中にも暖かく
緩やかな湯気が立ち昇り、ゆっくりと循環しているようだ。
こんな日も先日(16日)の記事の「思い出のグリーングラス」を
聴きたくなる。
傍らに熱いコーヒーでも置きながら・・・
そのコーヒーは温かいのではなく、舌がやけどをするくらいの
熱いものが望ましい。
それは・・・
何十年経ってもあの熱い思いとでも言うべき初恋(?)の同級生、
幼なじみの眞佐美ちゃんとの純愛(?と思いたいこと)を思い出すから・・・
となりの家で小さいころから育ったこの眞佐美ちゃんとの
エピソードのようなものはブログでもたびたび書いてきたが、あの
「北上夜曲」のような哀愁を含んだ寂しく切ない感じのものではなく、
現代っ子のように「元カレ」「元カノ」などとサラッと言えるものでもない。
むろん、告白したり手をつないだこともない眞佐美ちゃんとの思い出の
中に、はっきりとしたデートと言えるものなどはまったくないのだが、
眞佐美ちゃんへの思いは私が大好きな春から真夏にかけての明るい
陽射しのもとで年々、大きく拡がっていったのである。
確かめたことなど勿論無いが眞佐美ちゃんも好意をもってくれて
いたのではないかと思いたい。
眞佐美ちゃんの目は・・・
「北上夜曲」の歌詞に出てくる「匂い優しい 白百合の濡れているよな
あの瞳・・」ではなく、何事にも明るく真剣に、一生懸命取り組む
「キラキラした眩しくさえ感じる瞳」だった。
私の上京後、眞佐美ちゃんは新宿駅に近い「文化服装学院」
(所在地は渋谷区)で洋裁の技術を学び、地元富山で洋裁店に勤務・・・
私の勤務先の寮が渋谷にあったので近くにいたのだが、会うことはなかった。
彼女は一人っ子で、両親も嫁には出さず、婿入り婚を強く望んでいた
ことがもしかすると私の心にも残っていて自然に「フェードアウト」に
繋がったのかもしれない。
その後小学校の同窓会で会ったが、彼女は溌剌と幹事役を務めて
いたのには驚いた。
なぜなら・・・
彼女は明るく元気な子ではあったがあまり積極性ではなく、目立たず
何事にも控えめ過ぎるくらいだったので・・・
ただ、お手玉だけは大道芸人も敵わないだろうと思えるほどの達人だった。
どこでどう覚えたのだろう?‥
一般的にお手玉は2個~3個を扱える人は珍しくないかもしれないが
眞佐美ちゃんは空中で同時に4~5個をいとも簡単に扱っていた。
あの時の笑顔は私の宝物のように今もそのまま輝いている。
現在ならテレビ出演もあり・・なのでは?
凄腕のおばあちゃんとして「ナニコレ珍百景」にも「登録けってーい!」
となるだろう。
そんなことも頭をよぎるが彼女も80歳・・・
いいおばあちゃんになっていることだろう。
逢ってみたいな・・家族ぐるみで・・
今だったら周りに誰がいても『お~~、眞佐美ちゃん!』、
『あら、お久しぶり!』とお互いに何の躊躇いもなく『ハグ』が
できるのではないかと思う。
私は今、メキシコで働いている24歳の孫娘が子供のころから
ハグには抵抗がないから・・・
眞佐美ちゃんもきっと・・・幼なじみの二人だから・・・
私はスキンヘッドを光らせ、眞佐美ちゃんはあの瞳を輝かせて・・・
周りにいて二人を取り囲んだお互いの家族から大きな拍手があるだろう。
はたして実現の日が来るのだろうか・・・いや、きっと来る。
私の中のリーダーの活動で・・・
これは同じ思いを書いたような昨年の記事
今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』
(青の太文字はfumiel-shimaの一言)
今日からは私(fumiel-shima)が嫌いな魚介類が登場・・・
[魚介類の1.]

年齢を考えると当然?・・でも自分で改善できれば・・と

一方、私(fumiel-shima)は この煮干しも何かを
相変わらず魚介類を食べない 思いだそうとしている
ような目で・・・


泳げない千恵子選手は海の中で ジョッキ代わりに?
見たいと思っているようだ それとも・・マグカップで
熱いコーヒー?

