今年もあと10日間となった。
この時期になるといつも思たり考えたりすることなのだが・・・
元日に意を決して自分の心に誓うような明確な目標ではなく、
なんとなく『こんなことをやってみたい・・』『~へ行きたい・・』
『あの人に会ってみようかな?』という軽い気持で考えたことなどを
思い起こすと達成できないことも多いように思う。
それは必死の願望や達成すべきことなどではなく、あくまでも軽い
気持で思っていたことだからなのであろう。
今年の私はちょうど1年前に死亡した姉の家や諸々の整理などに
かける時間が多かったと思う。
それは、令和3年以後、独居高齢者だった姉のためにたった二人の
姉弟となった私が行動できたという喜びを感じる大切な時間でもあった。
神戸市在住の姉は自分の娘が阪神淡路大震災後に仕事や復旧の
ための活動による過労が原因で亡くなり、その後息子も30代半ばに
若くして死去し、夫婦二人暮らしが続いていたが、令和3年に夫も
亡くなり以後一人でも逞しく生きていたのだが17年前60代後半で
発症した「大動脈解離」の再発(?)であっけなく84歳の生涯を
閉じたのだ。
姉と我が家の千恵子選手(妻)とは実の姉妹以上に仲良く、
千恵子選手は私に向かって常に『あなたと結婚して良かったことの
一つは義姉さんや義母さんと知り合えたこと・・』と言っている。
姉の生前は毎日のように1時間以上電話で話していた。
そんな仲だった姉の死は千恵子選手にとってかなりのショックで
何につけても姉を思いだすようで1年経った今もしょっちゅう
涙ぐんでいる。
私自身は神戸は何度も通い、すべての処理や相続等の手続きが
終わったのが10月・・懐かしさと共に諸々の喪失感に襲われるような
時もあるが、『私は常に大丈夫だ!』の気持だけはしっかり
していると自認しているのだが・・・
それ以外では千恵子選手の「アルツハイマー型認知症」が緩やかでは
あるが少しずつ進行している状況で自分自身の変化にこれも何となく
気付いたことであろうか。
千恵子選手は昨年の夏に埼玉県の精神、神経科の専門病院で診察を
受けたところ「アルツハイマー型認知症」・・とのことだった。
加齢によるものや脳の海馬の萎縮によるものだと説明され、わかった
つもりでもやはり二人とも多少のショックを受けた
脊柱管狭窄症の影響もあり、足腰の痛みや痺れなどの治療のために
週3~4回のリハビリに通っていることと杖を使っての歩行はしているが
普段の生活、炊事、洗濯、掃除など日常の作業には何の問題もなく、
昔のことや古い記憶などには支障がないのだが数か月から数日前や
2、3日前・・そして数時間前などの記憶が曖昧だったり全くなかったり
という状態が少しずつ増えてきていることに気づいたので医師の奨めに
より、すぐに介護保険の申請をし、昨年の10月からは介護施設の通所者
としてデイサービスを受けている。
ケアマネージャーの心温まる対応をはじめ、介護施設の職員の方々も
みんないい人たちで本人はデイサービスを楽しく利用させていただいている。
私の千恵子選手に対する感情も以前とは少しずつ変化している。
最初の頃は『どうしてこんな簡単なことが出来ないのだろう?・・』や
『どうして覚えていないのだろう?・・どうして忘れるのだろう?・・』
などと思うと冷静なつもりでも多少は「緩やかなイラッ!」を感じたり、
つい、ため息が出そうになったりしていたが、毎日顔を出してくれる
娘やケアマネージャーとの時々の電話や月に一度の面談などで気持ちも
和らいだり落ち着いたりして最近は「イラッ!」とすることも少なく
なってきた。
こうして私自身の気持がややもすると「諦観」ということになりそうに
なっていた頃から今は「症状を理解する」というように変わって
きたことに気付いたことも良かったと思う。
あと10日間、新年を迎えると否が応でも(?)気分も改まるし
幾つになっても希望や前進への意欲も増すだろうと思う。
ブログ友さくらさんの「多重がんとの闘いの記録」の著書とその
実践である明るく希望の言葉『きっと良くなる、必ず良くなる』は
万人に通じるものだと思う。
私自身も自分の信念『いつも、いつでも元気炸裂!』と共に
全ての人が『良くなる』という方向に向ける社会のために非力だが
できることを考えてみたいと思う。
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