サイコロジスト101

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健康心理学、生理心理学、ストマネを学びましょう!

湊小学校避難所(4)チーム神戸の若者

2011-07-18 06:30:14 | Weblog
チーム神戸は、金田さんの指揮の下、全国から若者がボランティアとして活動しています。

この日は、東京から活動に参加する男性が動き回っていました。

また、滋賀県の若い女性がいろいろ切り盛りされていました。

蝿がとびかう被災地で、暑い日差しの下、こうした若者の元気こそが避難生活を余儀なくされているお年寄りには何よりなのかもしれません。

2011/07/18・記

湊小学校避難所(3)チーム神戸

2011-07-18 06:26:09 | Weblog
湊小学校の避難所入り口前に白いテントが。

何だろうと思っていたのですが、これがチーム神戸のテント。

チームのリーダーである金田さんからお話を伺うことができました。

震災後1週間めに湊小学校に入り、活動をはじめられたとか。

阪神淡路大震災では被災者として過ごしたあと、いくつかの災害時の支援活動を行ってこられたとか。

この日、神戸からもどってきたところとか。

日焼けした元気な関西弁にこちらが戸惑う始末。

いっしょに写真をとってご満悦です。

2011/07/18・記



湊小学校避難所(2)水の話~1F廊下の跡形

2011-07-18 06:19:34 | Weblog
阿部先生に、避難所となっている校舎内を案内してもらいました。

1F廊下の壁には、津波の跡形がくっきりと出ていました。

津波のあと、1400名ほどの避難者が身を寄せ合っていたこの校舎。今は140名ほど。

当初は水がなく、自衛隊のヘリコプターから投下される救援物資に入っているボトル水が唯一の水。

弱っている人、粉ミルクが必要な子どもをもつ母親のためだけにこの貴重な水をつかったとか。

「水があってはじめて避難所は成立するんです」と強調する阿部先生。

水道が復旧してからは、お風呂ボランティアさんが来て、避難者も体を洗うことができるようになったとか。

私たちが持参したポカリスウェットの粉末も、水で溶かして機能性飲料になり、自由に飲めるタンクに入れられました。

2011/07/18・記

阿部先生と私

2011-07-18 06:13:01 | Weblog
阿部先生と並んで写真を撮りました。

ここは湊小学校2階の図書室。

今でも避難生活をしている人が140名ほどいるこの校舎。教室が家のようになっていました。

そしてそのなかには、湊小の生徒の家族も10所帯くらいいらっしゃるとか。

そうした子どもたちを対象として、ご父兄がストレスマネジメント教育のようなセッションをなさっているのがこの図書室。

案内されたときには既にご担当の星さんはいらっしゃらず、お会いできませんでした。

音楽や遊びを通じて、子どもたちの心の癒しをと、星さんたちが活動されている姿がみれなかったのが残念でした。

小澤先生たちもこの活動に参加されているとかで、先日写真をみせてもらいました。

この教室で阿部先生とお話を伺ったのです。

大阪府池田市のかたたちが、こうした子どもたちへの遊び活動などを支援されているとか。

大学近くの池田市の人たちとの交流があったことは初めて知りました。

阿部先生は、8月20日辺りに池田市の招待で大阪においでになるとか。

ぜひお会いする機会を作りたいとおもいました。

2011/07/18・記




湊小学校避難所(1)阿部先生訪問

2011-07-18 06:02:17 | Weblog
車で南下。

一路湊小学校へ。

途中、川を越える橋があるのですが、このあたりの風景がすごい。

ほとんどの家の1階が一掃され空洞になっています。まるで祠。人が住んでいる家もまばらに。

橋を越え、湊小学校へ。広い運動場の向こうに避難所となっている校舎入り口。

右横にテント。左に仮設の風呂。

小澤先生に教えて頂いた、湊荘(幼稚園つき公民館)の前館長(3月末まで)の阿部先生にお会いしたいと入り口の人にお聞きしたら、すぐ初老の男性が来られました。

阿部先生は、3月11日の地震直後、津波を予感して、全児童を湊荘から湊小学校に移動させ、100名を超える児童の命を救ったという先生。

また、津波が湊小を襲い、建物が流れあがってくる風景を2階の窓から見下ろしているとき、隣の屋根におばあさんがみえたのだとか。とっさに窓ガラスを割り、鉄の柵をはずしておばあさんの手にひっかけ、すくい上げたとのこと。

写真の窓の手前に置いてある徹柵がそのときつかわれたもの。

いずれ、東日本大震災が落ち着き、記録が残されることになったとき、阿部先生の偉業は必ずや掲載されるとおもいました。

2011/07/18・記

石巻市役所を訪ねました

2011-07-18 05:50:49 | Weblog
湊小学校in住吉中学校を出て移動した先は、カーナビの指図にしたがって市役所。

JRの線路を渡った瞬間から、風景がころっとかわります。

周りの建物の壊れ方がすごい。

津波で相当な被害があったとみえて、1階が空洞となった家の軒先がいくつも。

まだ人が住んでいるところもあり、空の家もあり。

道路が怖い。信号がつかないので、ガードマンか警察管が手旗で指図してくれます。

小さな角では、どんな車が飛び出してくるかわからないので怖い。

で、市役所らしきところに出たのですが、何もない。

車を降り、石段をあがり、建物をぐるりとみまわしました。

隣の消防署に出て、人に聞いてみると、これは旧市役所とか。今は石巻駅前のピンクの建物に移っていますとか。

急遽駅に戻り、ピンクの建物をみつけました。

小澤先生からうかがっていた教育委員会へ。関係者以外の入場お断りの駐車場に入れてもらい、5F教委へ。

日曜日なので誰もいないかと思っていたら、閉まったシャッターの奥に人影が。

太田指導主事はいませんか?と訪ねたら、今野課長補佐が扉を開けて招いて頂きました。

太田先生に携帯で連絡をとっていただき、直接話すことができました。

湊小学校の今後はどうなるのかとか、石巻市内の学校で、被災児童に対するストレスマネジメント教育を提案したいこと。今回はまずは挨拶にきたことなどなど。

次回ゆっくりお話に参りますといって電話を切り、今野課長補佐としばし会談。

現湊小学校は廃校になるのか、校舎はどこに造るのか、体育祭はいつごろどのようにするのかなどなど。

日曜日にもかかわらず、丁寧に対応いただきました。

2011/07/18・記


1年1組の教室

2011-07-18 05:47:42 | Weblog
教室には黒板がつきものです。

1年1組の教室の黒板の上に、斜めに大きな鏡がしつらえてありました。

一番前の子どもなら、教室全部が見渡せるようなつくりです。

私と鈴木くんとでみあげてみました。

子どもたちの教室風景が少し想像できました。

壁にはさまざまな絵や、張り紙が。そして窓の外には朝顔が。

小学校が中学校の中にあるという違和感は、この部屋の中では消え去りました。

2011/07/18・記

湊小学校in住吉中学校

2011-07-18 05:40:56 | Weblog
湊小学校児童は毎朝バスで川を越え、JRをまたいで北上し、この住吉中学校に登校します。

子どもたちの教室をみせてもらうことになりました。

1年1組の教室の入り口前です。

中学校の校舎の中に、「湊小学校1年1組」って、なんだかへんな感じがしました。

1階の奥でしたが、中学の風景の中に1年生。

平日の学校内の景色や騒音を想像するのですが、なかなかイメージできない。

2011/07/18・記

石巻市立住吉中学訪問

2011-07-18 05:04:59 | Weblog
2011年7月17日午後14時10分頃でしょうか、住吉中学校を訪問。

小澤先生たちの「さくらサポート」チームの一員としてネームカードをつけ、中学のぐるりを一周。

正門入ったところに車をとめ、避難所となっている体育館入り口の女性職員にお話を伺いました。

彼女の名前は聞き損ねたのですが、3名の市役所臨時職員が避難所の入り口に常にいるとのこと。

ポカリの差し入れは喜んで受け入れていただきました。

まだ4-50名の避難者のかたがいらっしゃるとのこと。

湊小学校の児童がつかっている教室をみせてほしいというと、教頭先生がいらっしゃるとのことで教員室に。

斉藤教頭と立ち話。

中学校は津波被害はなかったとのこと。

湊小学校のために教室を提供していますとのこと。

体育館は避難所になっている加減で使えないけれど、運動場は使えるので湊小学校の児童も体育はやっているそう。

運動場は広く、阪神淡路大震災のときの印象とはずいぶんちがいます。

教訓は生かされていました。運動不足が懸念されたのですが、これならなんとかなります。

とはいえ、震災当初は運動場は駐車場のようにもなっていたとのこと。

教室もみせていただくことになりました。

2011/07/18・記



イオンで買い物

2011-07-18 04:56:30 | Weblog
2011年7月17日13時ジャスト。

石巻市街地に入りました。

大きな建物がいくつか。その一つは、イオンモール。

駐車場がいっぱい。お、げんきなんだ!といい感じになりました。

太陽直下の屋上駐車場に車を止め、イオン内部に。

食品街でまず買ったのは避難所への差し入れ。

小澤先生に教えられたとおり、生野菜ジュースなどもみたのですが、熱中症予防の必要物を。

そう、ポカリスウェットの粉末。それに、熱中予防と書かれた機能性飲料粉末。

人は満杯。元気そのもの

そしていよいよ食堂へ。家族連れで賑やかなこと。

私は天ぷらそばを、鈴木君は親子丼を平らげました。

いや、うまかった。

2011/07/18・記



なんと札幌ナンバー

2011-07-18 04:39:26 | Weblog
借りられた車はなんと札幌ナンバー。

保有していた車のほとんどが水没して廃車になったため、近辺からの支援でいろんなナンバーが。

道産子として石巻まで移動することに。

ここで各種の不安が。

石巻で昼ご飯たべられるんだろうか?

いざというときのためにと、おにぎりとお茶を購入。

日照りの強さと、仮設店舗内の暑さから、「熱さまシート」を大量に。

虫除けスプレーも購入。これは蚊除けだったので、蝿除けには効果なく失敗でした。

車は走り出すとクーラーも効き、快適。

有料道路(仙台東部道路、三陸自動車道?)は仙台空港から鳴瀬奥松島本線料金所まで(1500円)。

そのあとは無料の道路を快適に過ごし、石巻河南インターで降りることになりました。

2011/07/18・記




仙台空港は何とか動いている

2011-07-18 04:23:39 | Weblog
2011/07/17午前10時45分すぎの仙台空港。

3月11日の地震、そしてその後の津波で水没した仙台空港。

伊丹からの定期便がなく、未だに臨時便というので、再開後の姿をいろいろ想像してはいたのですが、相当なダメージ。

施設内はほとんどがパネルで囲われた状態で、トイレは仮設のまま。

レンタカーの常設デスクがないのでうろうろ。

日産レンタカーの方が、予約客を出迎えにきていたので声をかけました。

数百メートル先の同仙台空港店に出迎えの車で移動。

なんとか移動手段が確保されました。

2011/07/18・記