車で南下。
一路湊小学校へ。
途中、川を越える橋があるのですが、このあたりの風景がすごい。
ほとんどの家の1階が一掃され空洞になっています。まるで祠。人が住んでいる家もまばらに。
橋を越え、湊小学校へ。広い運動場の向こうに避難所となっている校舎入り口。
右横にテント。左に仮設の風呂。
小澤先生に教えて頂いた、湊荘(幼稚園つき公民館)の前館長(3月末まで)の阿部先生にお会いしたいと入り口の人にお聞きしたら、すぐ初老の男性が来られました。
阿部先生は、3月11日の地震直後、津波を予感して、全児童を湊荘から湊小学校に移動させ、100名を超える児童の命を救ったという先生。
また、津波が湊小を襲い、建物が流れあがってくる風景を2階の窓から見下ろしているとき、隣の屋根におばあさんがみえたのだとか。とっさに窓ガラスを割り、鉄の柵をはずしておばあさんの手にひっかけ、すくい上げたとのこと。
写真の窓の手前に置いてある徹柵がそのときつかわれたもの。
いずれ、東日本大震災が落ち着き、記録が残されることになったとき、阿部先生の偉業は必ずや掲載されるとおもいました。
2011/07/18・記
一路湊小学校へ。
途中、川を越える橋があるのですが、このあたりの風景がすごい。
ほとんどの家の1階が一掃され空洞になっています。まるで祠。人が住んでいる家もまばらに。
橋を越え、湊小学校へ。広い運動場の向こうに避難所となっている校舎入り口。
右横にテント。左に仮設の風呂。
小澤先生に教えて頂いた、湊荘(幼稚園つき公民館)の前館長(3月末まで)の阿部先生にお会いしたいと入り口の人にお聞きしたら、すぐ初老の男性が来られました。
阿部先生は、3月11日の地震直後、津波を予感して、全児童を湊荘から湊小学校に移動させ、100名を超える児童の命を救ったという先生。
また、津波が湊小を襲い、建物が流れあがってくる風景を2階の窓から見下ろしているとき、隣の屋根におばあさんがみえたのだとか。とっさに窓ガラスを割り、鉄の柵をはずしておばあさんの手にひっかけ、すくい上げたとのこと。
写真の窓の手前に置いてある徹柵がそのときつかわれたもの。
いずれ、東日本大震災が落ち着き、記録が残されることになったとき、阿部先生の偉業は必ずや掲載されるとおもいました。
2011/07/18・記