高齢者医療が語られるとき、しばしば過剰医療がキーワードとして使用される。
しかし、もちろん高齢者に施される総ての医療が過剰医療であるわけがないことは明白だ。それでも、高齢者医療に携わるものは、何かしら後ろ暗い気持ちにさせられる。
ところが、臓器移植が話題になるとき、過剰医療という言葉は忘れられる。
もしも、公の場で臓器移植を過剰医療と表現したなら、袋叩きにあってしまう。
あたかも、高齢者医療は不自然な医療であり、臓器移植は自然な医療であるかのようだ。
しかし、少なくとも高齢者医療は他者の死を前提として医療ではない。
移植を語るなら、まず本書を読むべし。, 2006/7/11
By markgreen
臓器移植は、ドナーとレシピエントが非対称な医療であるが故に不完全医療(=金持ちしか受けられない不公平医療)であること。
それが国内では実験医療=無料であることから見えなくなっていること。
資本主義下の医療のキャナライゼーションの一環としてあるが故に「過剰医療」の一種に過ぎず、それに資源配分することは多くの救える他の命を軽視することになるが故に社会的に推進されてはならないこと。
従って、それは環境倫理・世代間倫理的に間違いであること。
そして、人間はいつかは死ぬものであり、どんな偉人でさえ、その人間の代わりはいくらでもおり、誰かを犠牲にしてまで生き延びる価値など万民に存在しないこと。
筆者の論点は明快であり、無条件に善行ゆえ推進すべきと考えさせられてしまっている医療関係者(=賛成派)や、何となく気持ち悪いから嫌だと感情的反対論を唱える一般人(=反対派)も共に真っ先に踏まえるべき書である。
しかし、もちろん高齢者に施される総ての医療が過剰医療であるわけがないことは明白だ。それでも、高齢者医療に携わるものは、何かしら後ろ暗い気持ちにさせられる。
ところが、臓器移植が話題になるとき、過剰医療という言葉は忘れられる。
もしも、公の場で臓器移植を過剰医療と表現したなら、袋叩きにあってしまう。
あたかも、高齢者医療は不自然な医療であり、臓器移植は自然な医療であるかのようだ。
しかし、少なくとも高齢者医療は他者の死を前提として医療ではない。
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移植を語るなら、まず本書を読むべし。, 2006/7/11
By markgreen
臓器移植は、ドナーとレシピエントが非対称な医療であるが故に不完全医療(=金持ちしか受けられない不公平医療)であること。
それが国内では実験医療=無料であることから見えなくなっていること。
資本主義下の医療のキャナライゼーションの一環としてあるが故に「過剰医療」の一種に過ぎず、それに資源配分することは多くの救える他の命を軽視することになるが故に社会的に推進されてはならないこと。
従って、それは環境倫理・世代間倫理的に間違いであること。
そして、人間はいつかは死ぬものであり、どんな偉人でさえ、その人間の代わりはいくらでもおり、誰かを犠牲にしてまで生き延びる価値など万民に存在しないこと。
筆者の論点は明快であり、無条件に善行ゆえ推進すべきと考えさせられてしまっている医療関係者(=賛成派)や、何となく気持ち悪いから嫌だと感情的反対論を唱える一般人(=反対派)も共に真っ先に踏まえるべき書である。