gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

C型肝炎訴訟原告団代表に感銘

2008-01-14 16:18:00 | 日記・エッセイ・コラム

 1月13日に放送されたTBS報道特集「薬害を止めよ・患者全員を救え・C型肝炎患う母が国を動かすまで」に感動し、知らず知らずに熱いものが込み上げてきた。

C型肝炎薬害訴訟全国原告団代表 山口美智子さんの活動を母として、夫としての観点を交えたドキュメンタリーであった。

山口美智子さんをここまで強く支えたものは何であったのか?
小生が感じたのは、究極の人間愛と正義感ではなかろうかと思う。

政府から最初の和解案が提示されても、山口さん個人は対象になっても全員一律救済ではないとの理由で、受け入れを拒否された。
しかも、原告団の足並みが崩れることなく、一致団結して行動された。

なぜ、山口さんの決断に皆さんがついていったのであろうか?
小生が思うに、山口さんの考えは個人の利得を超えた崇高な人間愛に基づいており、「被害者全員の救済、更には将来にわたって決して薬害被害を発生させない」との強い信念があったからこそ全員の心を一つに出来たのではないか。

山口さんは小学校の教師をなさっていたそうであるが、まさに教師の理想像を見た思いがした。小生も小学校の教師をされていたある方への想いもあり、その方と重なってしまった。


サイの神

2008-01-13 15:54:47 | 季節

 今日、町内の児童公園でサイの神行事が行われた。
全国的には「どんど焼き」として知られている小正月の行事である。
従来は小正月の一月十五日に行われたが、ハッピーマンデーで休日が月曜日となったことに合わせ、今日十三日に行われた。
子供達が小さい頃は一緒に参加していたが、夫婦二人の世帯になってから小生一人だけで参加するようになって久しい。

 「サイの神」をネット検索すると次のような解説があった。

 「歳の神」は「さえのかみ(賽の神・障の神)」のこと。行路を守る道祖神のことです。
近世になって、その姿、形から良縁、安産、夫婦円満の神様に変化しました。
この神様を祭る風習が東北地方では歳の神(さいのかみ)・歳の神焼き、西の方では差義長(さぎちょう)、全国的には「どんど焼き」として親しまれている風習です。地域により時期は違いますが小正月(115日頃)におこなわれます。
歳の神には、去年飾った正月飾りなどを藁とともに燃やして無病息災を祈願します。この火にあたると風邪を引かないとか、灰を小屋に入れると牛が丈夫になる、書き初めを焼き、その灰が高く上がると書が上手になるなどの言い伝えがあります。


 当地でも、解説とあまり変わらないが、四百世帯近い大きな町内会をまとめる行事として、参加者へのお神酒、トン汁の振舞いに加え、福引も行われ参加者が多い。
小生も古い御札・しめ縄・正月飾りを藁の櫓に括り付けて一緒に燃やし、縁起物の「するめ」をサイの神の火で焼いて持帰り家内と頂いた。    
福引の結果は通常外れでテイッシュペーパー一箱であるが、過去を振り返ると二等と一等が当たり「シンビジュウム」と「ハロゲンヒーター」を持ち帰っているから、当たっている方かも知れない。


鏡開き・蔵開き

2008-01-11 10:10:56 | 日記・エッセイ・コラム

今日、一月十一日は鏡開きの日であり、蔵開きの日でもある。

[鏡開き]
 鏡餅を自宅の臼でついて作ったのはいつ頃までであったろうか。

 その昔、生家では十二月二十六日頃、朝早くから自宅の土間に臼を出し家族総出で正月用の餅をついた。
その後は、臼から電気餅つき機に代わるも年中行事として家族全員で餅をついたものだが。

 いつの頃からであろうか、家内が餅つきをわずらわしいと言って手伝わなくなったのは。
それでも、昔からの慣習に郷愁をおぼえる小生は一人で数年何とか続けたが虚しく結局やめてしまった。

 家でついた餅は、無添加で密封もしていないので、鏡開きの頃にはカビが生え割れが生じていた。

 鏡餅は包丁で切らず、金槌で割るものだと教わってきた。元々硬くて包丁では切れず、手で割るか、何かで叩いて割ることになるのだが。
最近市販されている鏡餅の多くは小餅が詰まっていたり、一体の物でもプラスチックで密封包装されているため割れも入らない。
結果として、金槌で割ることが出来ず、止むを得ず包丁で切っている。

 今朝も、下げた鏡餅を包丁で切って食した。

[蔵開き]
 
まだ生家に住んでいた頃は、新年になって今日から土蔵を開けてもよいことになっていた。
特に行事をするわけではないが、元旦から十日の間は土蔵を開けてはならず、この間に必要な物は大晦日までに土蔵から出しておく必要があった。

 理由は分からないが、元旦から十日までは仕事はせずに、正月気分で過ごそうと言うことであったのではと推測している。

 何故十一日なのかご存知の方がおられたら教えていただきたい。