江戸しぐさシリーズ第16話
喧嘩しぐさ/暗黙の決め事を守った喧嘩
■喧嘩しぐさ
「火事と喧嘩は江戸の華」とはよく言ったもので、しょっちゅう火事や喧嘩が絶えず江戸名物でした。薄い板と簡単な壁で造られた長屋は、一旦、火がつくとよく燃えたそうです。また家の中に竈(かまど)があるので、どうしても失火が多かったのです。
さて江戸は、男の数が圧倒的に多くどうしても喧嘩が起こりました。特に初期の江戸では、いわゆる後世を形作る江戸の町を建設する最中でした。そのため、各地から大勢集まった気の荒い連中の喧嘩が、至る所で起こっていたのです。しかし次第に江戸生まれが多くなると、喧嘩と言っても暗黙の了解ができてきました。
まず、いきなり襲いかからないこと。始めに警告をして、それでも収まらない場合に殴り合いになったようです。殴り合いにしても、首から上は殴らないこと。顔を殴れば、殺人になりかねないからです。そこそこやらせて最後に決着が付いたと見るや、周囲が止めに入り仲裁をしたのです。
これが「喧嘩しぐさ」です。これを守れば殺人事件になることもなく、仲裁者の顔を立て喧嘩は終了です。相手をとことん傷付けるのではなく、大事(おおごと)にしないための約束ごとです。
▽不粋オヤジの独りゴト
まあ喧嘩をするにも、一定のルールとマナーが必要というものでしょうか。現代では、無言で、いきなり背中にブスッ!と刃物を刺す事件ばかりです。それでも犯人は、「殺す気ははなかった!」と言い張る。「誰でもよかった」というが、未だかつてヤクザや屈強な男性が通り魔に遭ったことはない。結局、「(女性やお年寄りなどの弱い者なら)誰でもよかった」が犯人の本音でしょう。
全くの想像力の欠如と分別のなさ、これが現代の大人なんですね(悲)。ご紹介している「江戸しぐさ」が今日まで少しでも伝承されていれば、悲惨な殺人事件は繰り返されないと思うのですが。
江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。
喧嘩しぐさ/暗黙の決め事を守った喧嘩
■喧嘩しぐさ
「火事と喧嘩は江戸の華」とはよく言ったもので、しょっちゅう火事や喧嘩が絶えず江戸名物でした。薄い板と簡単な壁で造られた長屋は、一旦、火がつくとよく燃えたそうです。また家の中に竈(かまど)があるので、どうしても失火が多かったのです。
さて江戸は、男の数が圧倒的に多くどうしても喧嘩が起こりました。特に初期の江戸では、いわゆる後世を形作る江戸の町を建設する最中でした。そのため、各地から大勢集まった気の荒い連中の喧嘩が、至る所で起こっていたのです。しかし次第に江戸生まれが多くなると、喧嘩と言っても暗黙の了解ができてきました。
まず、いきなり襲いかからないこと。始めに警告をして、それでも収まらない場合に殴り合いになったようです。殴り合いにしても、首から上は殴らないこと。顔を殴れば、殺人になりかねないからです。そこそこやらせて最後に決着が付いたと見るや、周囲が止めに入り仲裁をしたのです。
これが「喧嘩しぐさ」です。これを守れば殺人事件になることもなく、仲裁者の顔を立て喧嘩は終了です。相手をとことん傷付けるのではなく、大事(おおごと)にしないための約束ごとです。
▽不粋オヤジの独りゴト
まあ喧嘩をするにも、一定のルールとマナーが必要というものでしょうか。現代では、無言で、いきなり背中にブスッ!と刃物を刺す事件ばかりです。それでも犯人は、「殺す気ははなかった!」と言い張る。「誰でもよかった」というが、未だかつてヤクザや屈強な男性が通り魔に遭ったことはない。結局、「(女性やお年寄りなどの弱い者なら)誰でもよかった」が犯人の本音でしょう。
全くの想像力の欠如と分別のなさ、これが現代の大人なんですね(悲)。ご紹介している「江戸しぐさ」が今日まで少しでも伝承されていれば、悲惨な殺人事件は繰り返されないと思うのですが。
江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。