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学ぶ沖縄戦2・77年前の沖縄戦なぜ犠牲が20万人も!日本軍は本土決戦備え降伏せずに時間稼ぎ/少数派

2022年05月24日 | 戦争を繰り返すな
少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
Okinawamanabu 毎日新聞「学ぶ沖縄戦」1945年 第2回 
77年前の沖縄戦なぜ犠牲が20万人も!日本軍は本土決戦備え降伏せずに時間稼ぎ
沖縄戦での日本軍の組織的戦闘の終結から6月23日で77年。
なぜ沖縄が戦場となり、多くの悲劇が生まれたのかを考える。

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日本軍が潜んでいた教会を見張る米兵=首里(現在の那覇市)で1945年(沖縄県公文書館提供)

Q.77年前の沖縄戦だけどどうして沖縄が戦場になったのか?
A.1941年12月に日本が米国や英国などの連合国軍と始めた太平洋戦争は、序盤こそ日本軍が優勢でしたが、兵力や装備で勝る米軍の反撃で撤退を繰り返しました。日本本土まであと一歩と迫った米軍は沖縄を占領し、本土上陸作戦のための拠点にしようとしたのです。

Q.日本軍の考えはどうだったのか?
A.戦いをできるだけ長引かせ、本土での決戦に備える時間を稼ごうと考えました。主戦場と想定した沖縄本島中南部に丘や洞窟を利用した地下陣地を張り巡らし、要塞(ようさい)化しました。

Q.その作戦はどうだったのか?
A.米軍は45年4月1日には本島に上陸し、沖縄戦が始まりました。約40日間に及ぶ一進一退の激戦が繰り広げられたのですが、米軍が戦闘を制し、5月中旬には首里(しゅり)城(現在の那覇市)の地下に掘られた日本陸軍の第32軍司令部に迫りました。日本軍は既に多くの戦力を失っていましたが、米軍の日本本土上陸までの時間を稼ぐため、沖縄本島南部に撤退して徹底抗戦をする方針を選びました。日本軍が降伏しなかったことで、沖縄本島南部は避難してきた住民と敗走する兵士とが入り交じる戦場と化してしまい、住民の犠牲が飛躍的に増えたのです。

Q.どれぐらいの人が亡くなったのか?
A.6月23日で日本軍の組織的戦闘が終わったとされていますが、戦死者は米軍の1万2520人を含め約20万人です。このうち一般住民は約9万4000人(推計)とされています。

2021年、毎日新聞が同タイトルで10回の連載を掲載したものです。
戦後77年など時間的な表現は、一部変えております。


投稿者からのひと言/この連載に当たって再び強く言いたいのは、沖縄戦で20万人が死んだのは本土と本土の人間を守るために、また本土決戦備え降伏せずに無駄な戦争を長引かせ時間稼ぎしたことだ。言わば、日本本土のために「捨て石」にされたことだ。それが現在に至っても根底にあり、沖縄の方には日本の中枢、政治への反発が強くなっている。

Sankoub
次号/3・地獄絵図」激しい戦闘で沖縄県民の1/4が死亡、集団自決、軍が食料強奪、県民餓死
前号/1・20万人が戦死した1945年の「沖縄戦」、まずは初歩版の連載「学ぶ沖縄戦」を

Akahatatop

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