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ビキニ被災70年③太平洋マーシャル諸島で米水爆実験・日本船1000隻に「死の灰」が/少数派

2024年02月27日 | 核兵器・原発を失くせ
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/核兵器・原発を失くせ
ビキニ被災70年③太平洋マーシャル諸島で米水爆実験・日本船1000隻に「死の灰」が



■投稿者の文章|原子爆弾投下・ビキニ被災も国民の記憶から遠ざけようとした自民党政策
ビキニ環礁による水爆実験の多大な被災70年、第2回目の投稿です。今号は、▽どんな水爆実験が行われたのか、また▽日本の漁船が受けた大変な被害について、さらには▽こんな核実験が行われたにも関わらず、被爆70年後の現在、日本国民のほとんどが知らない現状をお伝えする。伝えると言っても、丁度、毎日新聞が「なるほドリ」という少年や若い方向けの企画記事に「ビキニ事件」の特集が掲載されその記事だ。この水爆実験の被害も日米政府の「機密保持」にされ、当時、不幸にも政治決着されようとした。しかし国民の間に3200万筆の署名が集まり、「反核運動」の原点になったのも事実だ。今回の記事はそこで終わっているが、その後の自民党政権によって、広島・長崎の原子爆弾投下やこのビキニ被災も国民の記憶から遠ざけよう、潰しに掛かった政策は否めない。ぜひ当ブログの連載をご覧になって頂きたい。



■水爆実験は広島原爆の1000倍もの威力・160キロ離れた漁船が被曝し船員が死亡
毎日新聞を活用しています/太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で1954(S29)年3月1日、米国が実施した水爆実験の後に広く降った「死の灰」を多くの島民や船員が浴びました。日本ではマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が死亡するなど衝撃が広がり、原水爆禁止を求める世論が高まりました。「ビキニ事件」から70年。今も健康被害は続き、破壊された環境は取り戻せず、事件は核の脅威を世界に告発しています。アメリカ軍は54年3~5月、太平洋中西部マーシャル諸島のビキニ環礁とエニウェトク環礁で水素爆弾の爆発実験を計6回しました。3月1日午前6時45分、ビキニ環礁で爆発した「ブラボー」は、粉砕されて放射能を帯びたサンゴを「死の灰」として広範囲に降らせ、東に約160キロ離れた海にいた静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が遭遇したのです。米軍が設定した危険区域の約30キロ外側でした。ブラボーは広島に投下された原子爆弾の1000倍もの威力がありました。

3月14日に焼津港に戻った乗組員23人は発熱や下痢、脱毛などの症状に見舞われ、急性放射能症と診断されました。出荷されたマグロからは強い放射線が検出され、無線長だった久保山愛吉さん(当時40歳)は半年後の9月23日に亡くなり、日本は広島と長崎への原爆投下から10年もたたないうちに、またも核兵器による犠牲者を出したのです。当時は日本から多くの遠洋漁船が出漁しており、全容は不明ですが日本船の被害は延べ1000隻(※下記・投稿者補足)に及ぶとされます。その頃は米国とソ連(現ロシア)による核開発競争が激化しており、事件を早期に収拾したい日米両政府は55年1月、米国が法的責任を問われない「見舞金」の200万ドル(当時の金額で7億2000万円)を支払うことで政治決着を図りました。被害の実態解明はされないまま「全て解決」とされたのです。広島、長崎の被爆者が対象の「被爆者援護法」(95年施行)はビキニ事件の被害者には適用されず、第五福竜丸以外の元船員や遺族らは事件から60年以上たって国家賠償や船員保険の適用を求める訴訟を起こし、いまも救済を求めています。※投稿者補足・諸外国を含むと1400隻に及ぶ。<次回に続く>

Sankoub
次号/ビキニ被災70年④原水爆禁止署名3200万筆超、原水爆禁止運動が広がり反核の原点に
前号/ビキニ被災70年②第五福竜丸などの被爆を隠蔽し放置した日本政府、核実験被害者救済を

Ntopkeiji

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