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野坂昭如氏の戦争中・戦後その1/思考停止70年・敗戦から学べ
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ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。
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※新聞記事も著作権を有します。しかし野坂昭如氏の思いを綴った文章が素晴らしく、何とか皆様にお読み頂きたくブログ掲載した次第です。
『たとえ無責任、出まかせといわれようが、物書きの端くれとなって以後、お上のあやかし(注)に取り込まれてはいけない。日本が現状のまま推移すれば、駄目になる。やがては、沈没してしまうなどと言い続けてきた。食い物しかり、原発しかり。これすべて、勘によるもの。そして残念ながら、この勘はほぼ当たってしまった。もう1つ、日本は再び戦争に巻き込まれようとしている。
注:「あやかし」とは妖怪のようなもの・投稿者追記
昭和20年、戦争が終わった年、ぼくは14歳。あれから70年、ずっと敗け戦の日々である。70年前、一面の焼け野原だったあとに、たちまち屋根が並び、昭和30年にもなると、飢えの恐怖も遠ざかった。つれて日本は高度経済成長の波に乗り、これでめでたしめでたし。民主、平和、自由など各種の主義がデカイ顔をしてまかり通った。物質的豊かさの、良いとこ取りを決め込んだ。
ぼく自身、時代に身を合わせて生きのびてきた。だが一方で、言いようのない苛立ちが失せない。違和感がある。これは世間に対してと、自分についてのこと。すべて上っ調子で、前進あるのみ。日本はあの戦争で、立ち止まって考えることをしなかった。まさに着の身着のまま、食うや食わずの混乱の中で、今日を精いっぱい生きのびるのがやっとのことだった。それにしても、やや落ちついたところで、あの戦争は何だったのか、振り返るゆとりはあったはず。
お上の暴走、それを許した世間。仕方がなかったで片づけて、空襲は天災の一つの如く受け止めて、戦争を人ごとのようにみなす。戦中は「一億一心」「挙国一致」「忠君愛国」をスローガンに揚げ、戦後は「平和」さえ唱えていればそれでよし、考えることをやめてしまった。どこかで抱く違和感はあっても、誰かがどうにかしてくれると考えておしまい。お上を筆頭に、誰も矛盾に向き合わなかった。ぼくにしたって、エラそうなことは言えない。結局は、時代に身を合わせて生きてきた。
14歳の夏、突然戦争が終わり、世の中が一転、何もかもすべてガラリと変わってしまった。もの心ついた頃は、戦時下。お国のために、命を捧げることがあたり前。成長盛りにロクな物を口にせず、授業も満足に受けられなかった。ぼくら昭和ヒトケタ時代は、かなり特別な少年時代を過ごした。やがてウロウロするうち経済大国、戦後はその繁栄の恩恵を十分に受けて、ギクシャクしながらも生きてきた。ぼくらの世代にも、責任はある。』 <次号に続く>
追記/野坂昭如さんは、2015.12.9に亡くなりました(85歳)。
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