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野坂昭如氏の戦争中・戦後その2/戦争は気づいた時には始まっている
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ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。
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※新聞記事も著作権を有します。しかし野坂昭如氏の思いを綴った文章が素晴らしく、何とか皆様にお読み頂きたくブログ掲載した次第です。
1回目の投稿からの続きです。
『70年前の今頃(注)、大日本帝国は瀕死の状態だった。3月10日の東京大空襲で10万以上の命が失われ、それでもまだお上の暴走は続く。4月、ひたすら本土防衛のための沖縄戦がはじまる。沖縄県民の命を盾として、いたずらに死者を増やし、約20万人の命が棄てられた。この唯一の地上戦によって、沖縄は本土の捨て石とされた。今なお、それは続く。
(投稿者 : 注/当該の新聞掲載・2015.3.24)
5月24、25日東京空襲、山の手が焦土と化した。6月5日神戸に空襲、これによってぼくの家族、家も焼失。人生が、大きく変わった。70年前、昭和20年の今頃に生きていた大人達は、何を考えていたのだろうか。子供だったぼくの目にうつる身近な大人は、上辺、平静だったように思う。列島は空襲の嵐、戦争が迫っていた。お上の制度は猫の目の如く変転、変わりないのは、強気な大本営発表だけ。普通に考えれば、日本の敗けと見当つくはずだが、大人達に焦燥の色も諦めた感じもうかがえなかった。
今の日本がどんな状態なのか、ぼくにはよく判らない。ただぼくなりに、冷え冷えと眺めている。この歳では、眺めるしかない。あの命の危機を、目前にしていた時代とはまるで違う。だが今日あるが如く明日もあるとみなして、具体的に破滅を回避する手段を講じない。今も昔も同じ。大人達は、思考停止じゃないのか。飢えに苦しんだ経験をあっさり忘れ、食い物は他国にまかせ、その食い物の大半を廃棄し続けている。危なっかしい原発、安心、安価、クリーンは嘘だった。ツケは、子孫にまわす。年金、健康保険もそう長くないだろう。
日本には、金があるという。債権国だといったところで、ドルという紙切れ。1000兆(円)を超えた国公債の利子払いもある。これを免れるには、極端なインフレしかない。モノ不足の再来は、遠くないだろう。現状維持を最優先、後はすべて先送り。危機感を持たず、リスクを避けてきた日本。敗戦から何を学んだか。震災、原発事故から何を学ぶのか。
戦後70年、平和は奇跡的に続いた。安倍首相悲願の憲法改正は、日本を破滅に追いやるだろう。戦争というものは、気づいた時にははじまっている。今、戦後が圧殺されようとしている。』
以上
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追記/野坂昭如さんは、2015.12.9に亡くなりました(85歳)。
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