少数派シリーズ/政治情勢
与良政談★安倍氏がいなくなってもずっと「安倍派」の名でいたい?
毎日新聞の夕刊、「熱血!与良政談」というコラムからの記事をご紹介します。
コラムの中で、痛烈な批判をしています。ぜひお読み下さい。
*投稿タイトルは、新聞の原題・原文に基づいて投稿者が行ったものです。
◆今も「いい時代」が忘れられず今後も「安倍派」を名乗れば大きな影響力を持つ
安倍晋三元首相の父、晋太郎氏(元自民党幹事長)が闘病の末、亡くなったのは1991年5月だった。当時、私は晋太郎氏が率いていた「安倍派」(清和会)担当になったばかりの新米派閥記者だった。もたもたしながら連日、取材に追われたものだ。晋太郎氏が後継を指名してこなかったこともあり、派内では新会長を巡って、三塚博氏らと加藤六月氏らが激しく対立した。結局、死去から約1カ月後、三塚氏が新会長となるが、加藤氏らは派閥を出て行き、新グループを作る。そして翌92年には党内最大派閥だった竹下派が分裂し、野党も巻き込んだ政界再編につながっていく――。そんな時代だった。
あれから約30年。今また安倍派が後継選びで揺れている。当時と共通するのは「この人なら」と全員が一致して推せる人が見当たらない派内事情である。だが一方で「91年の時のような分裂だけは避けたい」という思いは大半の所属議員が持っているようだ。だから亀裂を恐れず、自ら手を挙げる人もいない。銃撃事件前の状況は、安倍派の人たちにとって、さぞ居心地がよかったことだろう。議員の数は党内最多。晋三氏は岸田文雄首相に対して大きな影響力を持ち、閣僚人事で岸田氏は安倍派に十分、配慮してくれるのだから。ところが一転、そうではなくなった。にもかかわらず、所属議員たちは今も「いい時代」が忘れられず、できれば「晋三氏の遺志の継承」を旗印に、今後も「安倍派」と呼ばれたいと願っているように思えてならない。
今回、仮に安倍派が分裂しても、91年のように、政界全体が流動化する動きにつながるとは思えない。これを機に「いっそ派閥自体の解消を」といった声が出てくる可能性もないだろう。後継選びが長引けば、この派閥の、いや、自民党の人材難は、一段とあらわになっていくだろう。ところで、派閥会長の姓を冠して「〇〇派」と呼ぶのは政界とマスコミが長年使ってきた通称である。改めて調べてみたら、晋太郎氏が死去した際には、直後から新聞は「安倍派」を「旧安倍派」に表記を変えていた。実態に即して、そう変更したと記憶している。今回もそろそろ「旧安倍派」とすべきではないか。私たちメディアも、「安倍離れ」をすべきなのである。
投稿者の文章/安倍派所属議員は、安倍派にいることで散々いい思いをしてきた。それだけに派閥の名称が消えることを避けたく、いつまでも「安倍派」の名称を継続すべく躍起になっている。呆れるのが、森友学園問題で無理やり嫌疑を拭おうとして、わざわざ閣議で「私人」と決定し国会議員でもない昭恵氏を、派閥の代表にしようとの動きがあると言う。一方、首相を8年8か月も務めたにも関わらず、派閥の後進を育てる意思が全くなかった生前の安倍氏の態度が大問題だったのだ。やめても「傀儡(かいらい)政権」の糸を操ることに傾注していて、育成の気などさらさらなかったのだろう。ワンマン社長の企業ほど次世代の人間を育てることをしないので、突然の死や失態や失脚すると会社がガタガタになる。安倍氏自身が殺害されるとは思っていなくても、時間を掛けて育ててこなかった責任は重い。安倍派を名乗るどころか中心人物がいないので、「分裂」の危機にさらされている。栄枯盛衰、時代は違ってもこの言葉が通じる。
与良政談★安倍氏がいなくなってもずっと「安倍派」の名でいたい?
毎日新聞の夕刊、「熱血!与良政談」というコラムからの記事をご紹介します。
コラムの中で、痛烈な批判をしています。ぜひお読み下さい。
*投稿タイトルは、新聞の原題・原文に基づいて投稿者が行ったものです。
◆今も「いい時代」が忘れられず今後も「安倍派」を名乗れば大きな影響力を持つ
安倍晋三元首相の父、晋太郎氏(元自民党幹事長)が闘病の末、亡くなったのは1991年5月だった。当時、私は晋太郎氏が率いていた「安倍派」(清和会)担当になったばかりの新米派閥記者だった。もたもたしながら連日、取材に追われたものだ。晋太郎氏が後継を指名してこなかったこともあり、派内では新会長を巡って、三塚博氏らと加藤六月氏らが激しく対立した。結局、死去から約1カ月後、三塚氏が新会長となるが、加藤氏らは派閥を出て行き、新グループを作る。そして翌92年には党内最大派閥だった竹下派が分裂し、野党も巻き込んだ政界再編につながっていく――。そんな時代だった。
あれから約30年。今また安倍派が後継選びで揺れている。当時と共通するのは「この人なら」と全員が一致して推せる人が見当たらない派内事情である。だが一方で「91年の時のような分裂だけは避けたい」という思いは大半の所属議員が持っているようだ。だから亀裂を恐れず、自ら手を挙げる人もいない。銃撃事件前の状況は、安倍派の人たちにとって、さぞ居心地がよかったことだろう。議員の数は党内最多。晋三氏は岸田文雄首相に対して大きな影響力を持ち、閣僚人事で岸田氏は安倍派に十分、配慮してくれるのだから。ところが一転、そうではなくなった。にもかかわらず、所属議員たちは今も「いい時代」が忘れられず、できれば「晋三氏の遺志の継承」を旗印に、今後も「安倍派」と呼ばれたいと願っているように思えてならない。
今回、仮に安倍派が分裂しても、91年のように、政界全体が流動化する動きにつながるとは思えない。これを機に「いっそ派閥自体の解消を」といった声が出てくる可能性もないだろう。後継選びが長引けば、この派閥の、いや、自民党の人材難は、一段とあらわになっていくだろう。ところで、派閥会長の姓を冠して「〇〇派」と呼ぶのは政界とマスコミが長年使ってきた通称である。改めて調べてみたら、晋太郎氏が死去した際には、直後から新聞は「安倍派」を「旧安倍派」に表記を変えていた。実態に即して、そう変更したと記憶している。今回もそろそろ「旧安倍派」とすべきではないか。私たちメディアも、「安倍離れ」をすべきなのである。
投稿者の文章/安倍派所属議員は、安倍派にいることで散々いい思いをしてきた。それだけに派閥の名称が消えることを避けたく、いつまでも「安倍派」の名称を継続すべく躍起になっている。呆れるのが、森友学園問題で無理やり嫌疑を拭おうとして、わざわざ閣議で「私人」と決定し国会議員でもない昭恵氏を、派閥の代表にしようとの動きがあると言う。一方、首相を8年8か月も務めたにも関わらず、派閥の後進を育てる意思が全くなかった生前の安倍氏の態度が大問題だったのだ。やめても「傀儡(かいらい)政権」の糸を操ることに傾注していて、育成の気などさらさらなかったのだろう。ワンマン社長の企業ほど次世代の人間を育てることをしないので、突然の死や失態や失脚すると会社がガタガタになる。安倍氏自身が殺害されるとは思っていなくても、時間を掛けて育ててこなかった責任は重い。安倍派を名乗るどころか中心人物がいないので、「分裂」の危機にさらされている。栄枯盛衰、時代は違ってもこの言葉が通じる。