食品のカラクリと暮らしの裏側

食品の安全・安心が総崩れ、また政治・社会の矛盾や理不尽さも増大
暮らしの裏側の酷さやまやかし、危険性・不健全さに迫る!

資生堂◇中国古典・易経の「万物資生」(ここから生まれる)から明治初期の薬局名に/社名・商品名のイワレ

2022年11月11日 | 社名・商品名のイワレ
Nametp175 社名・商品名のイワレ[製品編]
資生堂|中国古典・易経の「万物資生」(ここから生まれる)から明治初期の薬局名に

6e531c5a76fd77ded7c1797542a1187a_s

◆元々の商標登録の鷹から一転、椿をモチーフにした花椿マークに
1872(M5)年、海軍病院薬局長だった福原有信氏が、日本初の洋風調剤薬局「資生堂薬局」として東京・銀座で創業した。粗悪な薬品が出回る状況を憂え、日本にはなかった「医薬分業」のシステム化を目指した。資生堂の名は、中国の古典「易経」の一節「至哉坤元 万物資生」(いたれるかなこんげん・万物(ばんぶつ)資(と)りて生ず)~「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものはここから生まれる」の意から取られた。但し日本語の「資生」(しせい)の意味は、生命を助ける生活の具、衣食住の具。創業当初は日本初となる練り歯磨きの販売など薬品事業が中心だったが、97年に化粧水「オイデルミン」を発売。これをきっかけに化粧品事業に軸足を移した。

1919(T8)年、当時ヒットしていた髪油「香油・花つばき」にちなみ、ツバキをモチーフにした花椿(はなつばき)マークを商標登録。薬局時代には商品の容器や店の看板に勇壮な鷹(たか)の絵が描かれていたが、「化粧品中心の事業展開には不似合い」として商標を改めた。戦時下で化粧品が販売できなかった時期には、靴クリームや万年筆のインクを販売してしのいだ。戦後の高度経済成長期に急拡大し、世界シェア5位の化粧品会社に成長。2014年に発売した美容液「アルティミューン」は、世界約90の国・地域に販売を広げ、17年の初の売上高1兆円達成にも貢献した。今後は収益が低い日用品事業を売却し、売り上げの7割強を占める中高価格帯の化粧品に投資を集中させる方針だ。「攻めの成長戦略」で次のステージへの飛躍を目指す。

TOPページへ

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「木枯らし1号」はいつ吹く... | トップ | 回転寿司の真相シリーズ第2... »
最新の画像もっと見る

社名・商品名のイワレ」カテゴリの最新記事