先日の日曜のことですが、午後4寺より2年前に被災した高松山共同墓所で、新しく完成した合同塚の納骨式・建碑式を勤修いたしました。
また、土砂流出の際、山から転げてきた大きな岩に、園山さんという画伯が仏様の絵を書かれたのですが、その除幕式も続いて営まれました。
災害当初から関わった色々の方が参列されましたが、当日はいい天気になり、西日が容赦なく照りつける中、今回私が導師の大役をいただき、近所のお寺さんや教区広島北組の副組長さんと共に、声高らかにお勤め、表白(御仏様に向けての宣誓文のようなもの)を読み上げました。
ご先祖様の遺骨が流され、どこに向けて心を、手を合わせていいのかわからなくなられたご家族にとって、ひとつのステップが終わったことと思いましたが、しかしながら、言いようのない悲しみの二年間の心中を思い、お念仏を唱えさせていただきました。
覚悟していったので、汗はかいたけれども、充実感はありました。
あとで、墓地関係者の方々から感謝の言葉をいただけた時、この度の法縁に対してのご褒美を頂戴した感が一杯でした。
写真は、別の日に視察した際のものです。
また、土砂流出の際、山から転げてきた大きな岩に、園山さんという画伯が仏様の絵を書かれたのですが、その除幕式も続いて営まれました。
災害当初から関わった色々の方が参列されましたが、当日はいい天気になり、西日が容赦なく照りつける中、今回私が導師の大役をいただき、近所のお寺さんや教区広島北組の副組長さんと共に、声高らかにお勤め、表白(御仏様に向けての宣誓文のようなもの)を読み上げました。
ご先祖様の遺骨が流され、どこに向けて心を、手を合わせていいのかわからなくなられたご家族にとって、ひとつのステップが終わったことと思いましたが、しかしながら、言いようのない悲しみの二年間の心中を思い、お念仏を唱えさせていただきました。
覚悟していったので、汗はかいたけれども、充実感はありました。
あとで、墓地関係者の方々から感謝の言葉をいただけた時、この度の法縁に対してのご褒美を頂戴した感が一杯でした。
写真は、別の日に視察した際のものです。