おてら日記

願船坊での日々のことをつづります

報恩講のお参り始まりました

2010年10月25日 09時00分54秒 | 住職の戯言
今年のお題は「謂れを聞く」です。

一年を通じてなかなか勉強がままならない私ですが、この時期になるといつもあまり開けない本棚を開けて、今年のネタ探しをするのです。

今年目に付いたのが「唯信鈔文意」(ゆいしんしょうもんい)でした。
その本には「親鸞に学ぶ仏教の極意」と書いてあったので、ちょっと目を引いたのでしょう。

これを書かれたのは親鸞聖人ですが、「唯信鈔」(ゆいしんしょう)は法然上人のお弟子であった「聖覚法印」というお方です。(せいかくほういん。法印は朝廷から賜る僧の位です。ですから聖覚さんということです。)

親鸞聖人が比叡山から降りられて法然上人のところに行かれたときに、先輩として既にそこにおられて、法然上人からもとても信頼されていたようです。詳しいことはさておき、その当時仏教の主流であった聖道門の中にあって、法然上人の開かれた浄土門は、いわゆる新興宗教として民衆の中に拡がっていったわけですが、僧侶の中からは不満が拡がり、ついには朝廷をも動かして弾圧をかけられていくわけです。

聖覚さんのお父さんの澄憲法印は、天台の説法家として有名な方だったようで、その息子である聖覚さんもまた説法が上手だったようです。でも、のちに法然上人の教えに遇い、その教えに影響を受け、比叡山を降りられたのです。

その後、朝廷から聖覚は「聖道の諸宗の他に別に浄土宗があってはならない」ということを明らかにせよという、難中心難な勅請をうけることになるのですが、何故聖覚さんがその命を受けたかが、窺い知ることが判りますね。

そのどちらの門にも顔が利く聖覚さんにしか出来ないその苦しみを、今風に思うと、ある大きな会社にいた凄腕さんが、そののちある会社の創設者の話に感激して、その会社に移ることになるが、元の会社からあれこれと難くせを言われ、しいてはその新しい会社を潰しにかかられたような状態ですかね?

この事件のうわさを聞かれた法然上人が、聖覚さんのところに、事の詳細を確かめるため、親鸞聖人を使いとして出されたようです。聖人はこのとき、法然上人からのおおせを正しくに聖覚さんに伝え、聖覚さんが、聖道門、浄土門の二門の仲立ちをしようとしていることを法然上人にお伝えになりました。
また、法然上人のお弟子さんたちの中でも混乱が生じておりましたので、聖覚さんの論旨を忠実に報告して、お弟子さんたちを安心させたのでした。

ですから、この二人の人物がいかに重要な任務を受けていたかが窺えます。


では、また。

智承




親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要

2010年10月23日 23時33分59秒 | 日記
先週末のことになりますが、可部地区のお寺「超円寺」で、親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要として、盛大に法要が行なわれました。

広島北組18ケ寺合同の行事で、各寺のご住職さまはじめ、関係者の方々、ご門徒の方々が集まり、大変賑やかな一日でした

その中でも、ひときわ華を添えたのが、200名を越えるかわいいかわいいお稚児さんたちによる稚児行列です

2歳~6歳程度の参加、ということで、うちの娘も参加させていただきました。
こんな衣装です。



皆でお念珠と仏花を持ち、お勤めを行い、稚児行列後、本堂の内陣(御仏さまのところです)まで上がらせていただき、とても貴重な体験をさせていただきました。

お天気も良く、絶好の法要日和でした

この度新しく宗祖讃仰作法を皆で事前に練習し、献香献華を様々な年代の方々で行い、式典も盛大に行なわれました。

そして、本願寺御影堂の灯火(常灯明)の分灯が、広島別院から灯火リレーとして出発し、超円寺に無事到着されました。

その灯火は更に分灯され、願船坊にも届きました



この大きな行事を通して、少しでも多くの皆様とともに浄土真宗について、親鸞聖人について、想いを馳せるきっかけになったのでは、と思っています。

なかなかこれだけ大きな行事が可部地区で行なわれることはありませんが、来年はいよいよ親鸞聖人750回大遠忌です。
全国から京都の本山へ向けてぞくぞくと集まって来られます。
願船坊からも40名の方々の参加予定で本山へお参りいたします。
来年を心待ちにいたしましょう


明後日25日の月曜日からは仏教婦人会法座が始まります。
また法座後に、ご法話のことなどアップしたいと思います
それではまた


若坊守