おてら日記

願船坊での日々のことをつづります

御正忌報恩講のご案内

2019年01月14日 10時26分04秒 | 法座
みなさま

御正忌の法座があります。
この度は、いつもと変わらずの事と、毎回その時の話題に即しての内容と合わせての法座としております。
まずは、お正信偈のお勤めの後は、御文章や宗祖親鸞聖人の御生涯を語った御伝鈔の拝読があり、往時を偲んで頂きます。
その後、お善哉をお出ししてからのちに、住職がお話しをいたします。
何のお話になるかは、敢えて申し上げませんので、悪しからず。

明日15日は昼1時半からと夜7時から。16日は昼1時半からです。

今回は住職はチェロの演奏も交えての講話とさせていただきますので、こちらもお楽しみに。

では、どうぞご縁にお合いください。

合掌


謹賀新年

2019年01月04日 07時36分48秒 | 報告
皆さま、新年のご挨拶が出遅れてしまいました。
ここに改めまして、年頭のご挨拶を。

さて、昨年末のことですが、
大晦日のゆく年来る年コンサートでは、厳寒の中、沢山の方々にご来場、また還暦のお祝い、災害の義援金をいただきまして、ありがとうございました。
先ずは、御礼申し上げます。

実は我が家は長女の中学受験を控えていて、只今追い込み中!
でありまして、正月返上で家族一丸となって彼女を見守り、叱咤激励しながらの日々でございます。

そんな中、嫁(坊守)は暮にインフルになり、ゆく年来る年コンサートには、ギリギリで復活をして何とか事なきを得た感がありましたが、無理がたたり、中々ペースが上がってこないのであります。

次女は、姉の受験戦争に巻き込まれ、いろんな我慢を強いられていて、可愛そうな事になっています。そのフォローは母親が基本ですが、長女の勉強の手ほどきは母親なので、微力ながら私が次女の遊び相手に。

そして自分のことですが、昨年一年間を振り返って見ますと、出来た事に対する自負、評価に対しては、素直に受け止め、出来なかった事に対する事に関しては、自分からは言い訳はなし、愚痴は出ても引きづらないようになり、周りからの慰めの言葉によって生かされている自分に目覚め、
この、「謝罪」と「感謝」に尽きる一年でした。言葉を変えると「ごめんなさい」と「おかげさまでありがとう」を沢山連発した事でした。
振り返って見ますと、「お陰様で」という言葉は、我々日本人はいろんなシーンでこの素晴らしい言葉を使っていますよね。お聴聞を重ねていると、その言葉の鉾先が具体的に誰と決まってなくても使っている時、そこには「阿弥陀さま」の存在やお釈迦さまにお示しいただいたものを感じるのではないでしょうか。
共にお念仏させていただくことの有難さを、是非ひとりでも多くの方々が受け取っていただけるよう、微力ながらお手伝いさせていただきます。
また、能力は次第に落ちている現実を踏まえての今年一年、皆様に見守っていただきながら、頼られる住職となりたいものです。

いくつかのお詫び
「かけはし」「お寺の掲示板」「ホームページの掲載」などなど。

気長に待ってやってください。
よろしくお願いいたします。

合掌