おてら日記

願船坊での日々のことをつづります

猿も木から落ちる

2021年02月17日 07時53分00秒 | 住職の戯言

猿も木から落ちる

今朝の朝活は、事前に曲目の定まらないどうしようかと言うスタートだった。
困ったときの1曲と言うようなものがあれば良いのだが、あるようなないような感じで始まった。
とりあえず素朴に今朝の自分の気持ちを伝え、朝活でいつもいただくお経の冒頭の意味合いに沿って演奏が始まった。
それはバッハの無伴奏組曲第6番の前奏曲であった。
チェロ弾きであれば容易に想像がつくが、ウォーミングアップもなしにいきなり弾くような曲ではない。がしかし、弾き始めてしまったんだ。
初めてしばらくは、寝起きの手だったので少し定まらない音程はあったが、だんだんと温まってくるに連れ、調子は上々だった(ホントか?)
後半で1番難所に来た時は、さすがにろれつが回らない感じだったが、大きな傷はなくいよいよもうすぐ終盤と言う時に、あろうことか何のコードを弾いているのか指がわからなくなってしまい、ぐちゃぐちゃになってしまった。
すぐに気を取り直して最後の締めをしたものの、斜め前で録画をしている嫁には、きっと録音は途中で諦めているだろう、と心の中で思った。
裏に引き上げた時「なかなかチャレンジャーだなぁ!」と言われたが、困った時の〇〇が私にとっては今日のこの曲だったのだ。
「猿も木から落ちる」→「何とか難所もこなしてホッとした直後、階段を踏み外してしまった私」であった。

おわり


2021/01/31

2021年01月31日 15時28分00秒 | 住職の戯言

みなさま

大変遅くなりましたが、新春のご挨拶を。

今年は昨年からのコロナのこともあり、正直なかなか新年のご挨拶を考える事が出来ませんでした。

また、両親の介護の始まりにより、これまで全く関わっていなかった事柄の確認等に日々奔走しておりました。更に年末からの厳しい寒波の影響により自宅や保育所の日常生活に支障が出たりと、暫くバタバタしておりました。

アメリカ合衆国の新しい大統領の言葉に「恐怖でなく希望へ」「分断でなく結束へ」ということをご自身の使命として話されていたと思います。

改めて自分自身に問うところですが、お念仏のことはさておき、お釈迦様の示された道、仏道から学ぶことは多々あると思います。その中から少しずつですが、私からお寺の掲示板を使って発信していきたいと思います。

当寺は新型コロナ感染防止のため、月忌参り、法要や行事を取り止めざるを得ない状況です。ただ、ご法事に関しては、ご相談しながらではありますが、基本お引き受けしておりますし、毎水曜日の朝活・朝コンは何とか続けております。Facebook にて配信しておりますので、ご覧になっていただけます。

では、このコロナ禍にあって、今逆に見出すことのできる何かに対して、感謝のお念仏をいたしましょう。

なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶ。


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残暑見舞い、台風お見舞い申し上げます

2019年08月15日 21時39分21秒 | 住職の戯言
また今年も8月がやってきました。
そして、いろんなことがありましたね。
8月6日、8時15分その時間になると街のサイレンが鳴り、サイレンに合わせるようにお寺の鐘をつきました。
そしてその時間に合わせて保育所の園児たちも外に出てきて、一緒に黙祷してくれました。
続いて9日は長崎の原爆の日。長崎市長さんがお話になられた「平和宣言」は、心に沁みわたる内容でした。
あの時に起きた事を思い、沢山の亡くなられた方々に哀悼の気持ちで手を合わせ、二度とあの様な事が起こらない様に戦争について考える、原爆について考える、自分が考える、家族と一緒に考える。
この考えることこそ、意味があることと捉えて、家族と話を交わしました。

今日は台風のことで持ちきりですが、終戦記念日ですね。

台風のお陰で家の中にいる時間が長いので、テレビを見て少しは戦争にまつわる話に耳を傾けるのも一考かと。

では、くれぐれも今日は安全を確保してください。

合掌

記憶の確認

2019年03月13日 09時01分54秒 | 住職の戯言
一昨日は東北の震災の日でしたね。
自坊では14:45にお念仏と共に大鐘を打ち、続いて本堂でお勤めをし、たくさんの命が失われたこと、またテレビを通してではあっても、目の前で起きた受け入れ難い事実に対して黙祷。いまここでは何事もない平和であることに有り難さを感じ、また同時にいつ何時何が起こるかもわからないのだということを思ったのでした。

心を打たれます

2018年07月12日 02時19分02秒 | 住職の戯言
タイでの洞窟内の子供たちの救出劇について、本当に良かったなぁと思うと同時に、その奇跡を起こした裏には心温まる話がたくさんあったようです。
まずは子供たちのサッカーチームのコーチの方は元僧侶だったと言うこと。
そのコーチの適切なアドバイスあったからこそ、危険な救出劇の中での子供たちの心の強さ、平静さを保てたと言う事だと言うこと。
また、たくさんのダイバーたちの綿密な計画もあったんでしょうけれども、地元の人々のたくさんのボランティアの力もまたそれを支えていたと言うこと。
また、弱い立場の人を助けるのは当たり前。という考え方がタイでは一般的であり、それは正に仏教国であると言うこと。
日本人としても、また自分僧侶としても見習いたいことだと思うと同時に、なまんだぶ、なまんだぶを申させていただきました。