おてら日記

願船坊での日々のことをつづります

お斎に着いてください

2011年11月26日 10時00分00秒 | 報告
もうすでに、ご周知の通り、来週28日と29日、願船坊にて報恩講の法座があります。

28日は午後1時半と午後7時から
29日は午前10時からと午後1時半です。

また、29日は10時から法座に引き続き、午前11時より、願船坊にて報恩講に付き物の「お斎」(おとき)を用意させていただきます。

ご門徒の方も、そうでない方も、どうぞ我が仏教婦人会の方々が、精魂込めて作って下さるお膳を、是非一度食べてみてください。



内容は、お煮しめ、白和え、ご飯とお味噌汁、香の物という精進料理になるのですが、宗祖親鸞聖人の90年の生涯の御苦労を偲び、一年に一度の大事な法縁に遇ってください。

合掌



歴史を感じます

2011年11月26日 09時00分00秒 | 住職の戯言


これは、あるご門徒のお宅の御文章です。

なんでも、かつてここ可部であった水害の時に家が水浸しになり、多分その時に水に浸かったものでしょうとのこと。

中を拝見すると、さすがに紙がしわしわで、さぞ字も滲んでしまって読みにくいのでは? と思いましたが、すごくきれいなのでびっくりしました。やはり、昔のものは紙の質も良いようですし、仕事が丁寧だったのでは? という感じを強く持ちました。



ちなみに、
出版人 京都府平民 岡田茂平冶 ならびに 永田調兵衛 (求版?)

とあり、住所を見たら、現在もお聖教等を出版している永田文昌堂のようでした。

当時の職人のこだわりを感じたひとコマでした。

合掌

偏見

2011年11月18日 09時00分00秒 | 日記
いきなり、痒くなりそうな写真で失礼します。



これを見て、「毛虫の赤ちゃんたち、きちんと並んでまあ行儀のいいこと!」
なあんて思う人はまずいないでしょうね。

でも、これが豚の赤ちゃんだったら、大方の人が「可愛い!」と思うでしょう。

このことこそ、私の(私たち)自己中心的考え方による偏った見方でしかないわけです。

そういえば、昔の人は「イナゴ」などは佃煮にして食べたそうですが、僕はやはりちょっと抵抗があります。
エビだと思えば、なんてことないのに。頭のどこかで「虫を食べる???」という偏見がじゃまをしています。

この日、残酷にも僕はこのあと、足でつぶして殺してしまいました。口に「なまんだぶ」と称えながら…。



今年の報恩講のお参りにかける思い

2011年11月08日 09時00分00秒 | 住職の戯言
先月から報恩講のお参りをしていますが、今年はテーマを「いつも開けないところを開いてみよう」にしています。

正信偈の中で頂くご和讃を、いつもの「弥陀成仏のこのかたは…」の代わりに現世利益和讃を頂いております。
浄土真宗ではあまり「ご利益」を前面に出さないですが、親鸞聖人はこの現世利益和讃に「南無阿弥陀仏をとのおればこの世の利益きわもなし…」と説かれ、お念仏をいただく人は、この世での利益が沢山あると、説かれているわけです。
一年に一度しかない大事なご縁ですから、いつも変わらないお勤めをすることで安心をして頂いているかも知れませんが、今回はお手元に置いておられる聖典の中の、見たことのないところを開いてみる。
それによって、少しでもお法のりが深まればとの思いで試みました。

もう既にお参りをしたご門徒のお宅では、慣れないことに戸惑いが見られましたが、みなさん好意的に受け入れて下さり感謝しております。

これからのかたも、もう既に終わったかたも、どうぞ今月の28日、29日のお寺での報恩講法座にお参りください。

それから、29日にはお斎も用意いたします。

沢山のかたのお参りを、お待ちしております。

合掌


最近の事

2011年11月01日 09時00分00秒 | 報告
先月の21日、22日に婦人会の法座がありました。

ご講師に結城思聞師をお迎えして、二日間いつもとちょっと違った感覚の法座を開催しました。



1日目は「やさしい、難しいはどっちも本当だ」
2日目は朗読による法話「ガン告知」

先生からは、お説教の従来の型ではない風にさせてくださいとのことでしたので、どういう風なお話をされるのか、興味津々でした。

さすが、アナウンサーを長くされていただけあって、声が非常に柔らかく、淡々とお話になっても何をおっしゃっているのかちゃんとわかる、とても聞きやすくお話の内容も良いお説教でした。
と言いますのも、講師の先生によっては、折角の良いお話も聞き取りにくいことが無かったわけではないですから。

そういえば、最初にアナウンサーならではの、発音についての講義?もあり、興味深かったです。

1日目の「やさしい、難しいはどっちも本当だ」は、世のなかの著名な方々のエピソードを交えながら、最後に浄土真宗のみ教えのことに他ならない、というまとめになったところは、巧くまとめられたなあ!と感心させられました。

「お念仏ひと声で助かる」「そのままでよい」「厳しい修行もいらない」等、一般的にはあまりにも平易なため、かえって間違って解釈されてしまう、み教えの危うさへの注意を促されたようでした。


2日目の「ガン告知」のなかで紹介された、ある住職さんの話は、とても印象に残る良い話でした。
告知を受け、自分の命が限りがある中で、きちんと身辺整理を済ませ、いずれ行くであろうお浄土への道をどのようにとらえるかが、「お手本」というか、立派な方だなあ! と感服したお話でした。

僕の中で、「生前に書く、自分の葬儀の会葬の方々への挨拶文」という会を設けて、いつ訪れるかわからない臨終への備えとして、考えてもいいのでは? と思ったのでした。

結城先生、ありがとうございました。

次回の法座は、11/28~29に広島県安芸高田市吉田の福泉坊住職・福間制意師をお迎えして秋供養・報恩講法要の法座です。
29日には、仏教婦人会の方々手作りのお斎(おとき)もふるまわれますので、どうぞお参り下さい。