愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

日本の言葉と音楽

2015-05-07 00:26:40 | 言葉と言霊

音楽と言葉の原点

春日大社宮司を平成20年3月退任、翌21年1月3日死去されました、

葉室頼昭(はむろよりあき)氏の「神道と<うつくしび>」

という著書の中で日本の音楽と外国の音楽の違いについて

次のように言っています。

 

外国の音楽というのは、どういうことでつくられているのかよくわかりませんが、

これも外国人のものの考え方が表れているんですね。

クラシック音楽もすばらしいものがたくさんありますが、要は作曲家が人に

喜んでもらおうと思ってつくったのか、あるいは自分の音楽を追求して

つくったのか、そこが問題だと思うのです。

日本の歌謡曲を聴いていると、皆を喜ばせようとしているこころが

感じられるのです。「はたらく」という言葉があるように、「はた」を「らく」にする。

そのように、人を幸せにすれば自分も幸せになる。そういう共生という

日本人の考え方が、歌謡曲には出ているのではないかと思います。

単に音楽的にすぐれているとか、すぐれていないとか、そういう判断では

間違ってしまうと思います。

ある作曲家が、日本の歌というのは、一言一言がはっきりしている。

それから、歌詞を紙に書こうと思ったら書ける歌である。というのは、

ゆっくりしていて、一言一言がはっきりしている。それが日本の歌の特徴である。

だから、歌う時もそういうふうに歌わなければいけない。そう言っていましたが、

これは本当のことだと思うのです。

 

日本語は一言一言に意味がある言葉ですから、その一字に一つの音が入る。

ドレミファの一つひとつが歌詞の一字一字にくっついていく。

ここに日本人の本当の特徴が出てくるのではないでしょうか。

 

一流の歌手とそうでない歌手とどこが違うのか。それは、一流でない人は、

歌のこころが表現できていないということがあります。もう一つは、

語尾がはっきりしていないということです。一流といわれる歌手は必ず語尾を

はっきり発音しています。

音楽的にいいとか悪いとかいうのではなく、日本の歌としてすばらしいか

どうかというのは、発音をはっきりするかしないかで大きく違ってくるのでは

ないかと思います。


何でもそうですが、特に日本の芸というのは、言葉をハッキリ発音するか

しないか、それが一つの大きな要素になっていると思います。


言葉というのはこころを伝えるものだとつくづく思います。

ところが最近は、こころではなくて、情報を伝えるものだと皆が思ってしまった

ところに、日本語の乱れが起こってきたのではないでしょうか。

インターネットとか、コンピュータやワープロの発達によって、いわゆる言葉

いうものが情報に変わってきてしまった。ここに日本社会の乱れというのは

あるのではないかと思います。


以上ところどころ抜粋しましたが、私も同感で、言葉の乱れは国の乱れに

繋がるとつくづく思います。

子供の教育の大切さ、家庭での家族との対話、そして学校での友達や先生

との対話をもっと重要視しなければならないと思います。