大和心と大和魂とは?
日本人の精神の根底にある「大和心」は、日本列島の恵まれた風土の中から自然に育まれたもの
のようです。縄文時代の太古から日本人の心として、涵養されてきたもので、
この心は対立抗争を嫌う和の心です。
自国のことを「大和」の国と主張してきたのも、和をもっとも大切な国家形成の基本と考えたからです。
(聖徳太子は十七条憲法の第一条に、『和以って貴しとする…』としたもの)
大和心(和魂・にぎたま)は、平和的で穏やかな女性性、母性性の心でもあります。
この女性的な大和の国が、外力によって乱される場合は、男性は決然と立ってこれを守ろうとします。
その心を「大和魂」といいます。
これを和魂(にぎたま)に対して「荒魂(あらたま)」ともいいます。
古代の東国の防人や、幕末の国難時の吉田松陰、坂本竜馬などの志士や、昭和期の対戦の
勇士に、大和魂は生き続けてきました。
国学者・本居宣長は、大和心とは何かと問われて、
”敷島の大和心を人問わば 朝日に匂ふ山桜花”
と即座に答えました。平和で静かで、みやびやかな純粋の民族性を見事に詠いあげたのです。
幕末の救国愛国の志士・吉田松陰は、安政の大獄で三十歳で国に殉じた時、
”身はたとひ 武蔵野野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂”
の辞世の句を遺しました。
この二首が、大和心(和魂)と大和魂(荒魂)を代表しています。