井川の夢の吊り橋から車道に出て長い下り坂を降りてゆくと未舗装路になり、残土置き場に出ました。上図のように、道の左手に私の背丈の倍ぐらいに積まれた残土が一帯に広がっていました。一度上まで登って見たところ、残土置き場はもう長い事使われていないようで、残土の上には深い草薮が繁っていました。それを見てガッカリしました。
奥静の観光情報等では一切触れられていませんが、この広い残土置き場が、かつての井川線の終点であった堂平駅の跡です。上流域に建設された赤石発電所の建設工事のために平成8年までここに資材輸送列車が運行されていたそうです。その時期の平成6年に撮影された写真が「エンジ軌道」というサイトの記事「大井川鐵道井川線 貨物専用線」に載せられており、それらの写真により、いまではもう見られない現役時代の堂平駅の広いヤード、長いホームや三本に分かれた線路、ホームに停まった貨車などの姿を知ることが出来ます。大変に資料価値のある貴重な写真ばかりで、旅行前の情報収集にて拝見して参考にさせていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
(追記 上述のサイトおよび記事は閉鎖されていますので、代わりの記事として「大井川鐡道・井川線」を紹介します。その記事の一番下に、休止線となった直後の平成9年頃の堂平駅の画像があります。)
その広いヤード跡が、残土で覆われてしまってホームも留置線も完全に埋まってしまっているのですが、井川のビジターセンターの案内情報でも、奥静の観光情報等でも全くそのことに触れていません。だから、現地に行くまでは駅跡が残土置き場になっていることを知らず、駅の遺構が一部でも見られるかなと期待していたのでした。それだけに、残土置き場の様子を知って茫然とし、落胆してしまいました。
実は、この堂平駅を含めた井川駅からの区間は、大井川鉄道の書類上では現在に至るまで休止扱いとなっており、廃線にはなっていません。しかし、堂平駅跡が埋められてしまっている以上、実質的には廃線扱いなのだろうと思います。だから堂平駅に至るまでの線路を廃線小径として散策路にしているのか、と理解しました。
道をそのまま奥へ進むと、上図の開けた場所に出ました。観光マップ類ではここを堂平駅跡として紹介し、堂平広場の名称を付けています。厳密には駅の手前の広場にあたり、上図にも見える右上からの車道が駅へ繋がっている場所でした。よく見ると左手に線路と思われる高堤が伸びていて、駅の位置でないことがすぐに分かりました。ホーム自体はこの先で残土置き場になって埋もれていますから、ここが駅の位置でないことは来る前から分かっていました。
なので、ここを堂平駅跡として紹介している現地の観光行政当局の基本認識はどうなってるのだろう、実際の堂平駅の経緯も現状も把握していないのじゃないかな、と思いました。残土置き場になっている状況を、知られたくないのかもしれません。奥静の観光情報は実態がきちんと反映されていないな、と感じました。
現地のイラスト地図板です。今回歩いたコースの半分ほどが、この井川湖畔遊歩道にあたりますが、表示される所要時間が私の実際の移動時間と異なっていました。
ビジターセンターから井川大仏まで40分とありますが、実際には28分でした。井川大仏から夢の吊り橋まで15分とありますが、実際には8分でした。その後に歩いた夢の吊り橋からの廃線小径も、井川堰堤渡船場まで35分とありますが、実際には26分でした。いずれも表示される所要時間より短かったのでした。
私は各務原なでしこ並みの脚力を持つらしく足が速いほうですが、聖地巡礼の常で各所の景色を眺めたり写真を撮ったり、メモをとったり現地の案内板を読んだりしていますから、どちらかといえばゆっくり移動しているほうです。それでこの時間差はどういうことなのだろう、この調子だと井川駅に帰り着くのは予定より早いだろう、と思いました。
さらに問題なのは、この広場に関する案内情報が何もなく、堂平駅跡の手前の広場であった旨を示す解説板の類が見当たらなかったことでした。しかも井川湖畔遊歩道のルート表示も無かったので、これからどう進んで廃線小径に行くのか、ちょっと迷いました。未舗装路そのものは上図のようにさらに奥に続いているように見えましたが、肝心の廃線跡の痕跡が見えなかったので、この未舗装路ではない、と直感的に察しました。
それで周囲を見回すと、道から左手の少し奥まった所に、上図の看板がありました。それでやっと遊歩道の位置が掴めましたが、こういう看板はもう少し道から見えやすい場所に設置してほしいものです。
看板の示す先へ進むと、高堤の奥に御覧のような廃線小径があらわれました。休止扱いの区間ですから、線路のレールもそのまま残されていました。上図手前の分岐が廃線小径の端になっていて、それより先は埋まっていて見えませんでした。この分岐が、かつての堂平駅への第一分岐点であり、その先に第二分岐点があって、広いヤードにホームと2本の留置線があったわけです。いまの残土を全部撤去すれば、それらの線路もよみがえるのでしょう。
しかし、予想以上に状態の良い線路跡でした。レールが残されているので、いまにも向こうから井川駅発の列車がやってきそうな錯覚にとらわれました。
歩いていくうちに、現役の線路と大して変わらない状態になってきました。向こうから井川駅発の列車がやってきそうな錯覚がより強まってきて、ここ本当に歩いていいのか?線路内を歩くのは違法だろう・・・、と思ってしまいました。
素晴らしいほどに状態がよく保存されています。20代後半の昔、鳥取県に住んでいた頃に国鉄倉吉線の廃線跡を歩いたことがありますが、竹林の中の線路跡にレールが残されていて、ここと似たような雰囲気でありました。
いいですねえ、この廃線小径。休止区間であって廃線跡ではありませんが、実質上の廃線ですから観光遊歩道にして活用しているのは正解だと思います。私は鉄道マニアでも廃線マニアでもありませんが、こういった歴史的風情のある遺跡遺産を見るのは好きなので、歩いているうえに楽しくなってきて、テンションも上がってきて、記念の自撮りもやってしまうのでした。
もう最高でした・・・!間違いなく、今回の聖地巡礼旅行で印象に残ったスポットの一つになりました。残念だったのは、この線路跡を志摩リンと土岐綾乃が歩かなかったことでした。もともと人気の観光スポットらしいですが、ゆるキャンに出ていれば、知名度もさらに上がったことでしょう。 (続く)