井川湖畔遊歩道のメインルートとなっている、旧井川線の井川駅から堂平駅までの区間の線路です。実質上の廃線ですが、書類上では廃線ではなく休止区間とされていますので、このように線路のレールもそのまま維持されています。時折メンテナンスがなされているらしく、枕木にレールを留める釘にところどころ新しいものが見られました。
井川湖を見下ろしつつ線路を歩く、というのは格別の感慨をともないます。既に紅葉の盛りは過ぎていましたが、それでも紅や黄の彩りはまだ鮮やかに頭上に散らばって、青い空と絶妙のコントラストを織りなしてくれました。しかも私以外には誰も居なくて、要するに貸し切り状態でした。
この区間が休止となったのは昭和46年(1971)のことですが、それから50年が経とうというのに線路は撤去されずに生きています。実は休止後に昭和63年(1988)から資材輸送列車の運転が再開されて平成8年(1996)まで使用されたほか、1980年代には同区間で蒸気機関車の動態保存による遊覧列車が計画されたりしています。
さらに平成20年(2008)5月に井川駅前で発生した土砂崩れにより静岡県道60号南アルプス公園線が封鎖された際、その迂回道路としてこの線路休止区間が転用されています。井川ダム展示館裏手から堂平広場までの区間の線路敷に保護シートを敷き、その上に砂利を敷いて整地した上からアスファルトで簡易舗装し、路肩にガードレールを仮設して車道として供用し、一年後の災害復旧後に簡易舗装をすべて撤去して原状に戻しています。
このような経緯があったため、現在ではこの休止区間は、非常時の予備連絡ルートとしての機能も併せもつものと見なされているようです。線路が現在も維持され、今なお廃線となっていないのも、そうした事情によるのかもしれません。
実際のところ、大井川沿いに井川へ入る唯一の道路である県道60号線は、接阻峡温泉から井川に至る数キロが車一台やっと通れるほどの細い険路のままで、落石や崩落も多く、いつ自然災害でやられて通行止めになってもおかしくない状態です。台風や豪雨などで通行止めになってしまうと、残る交通は井川線しかありませんから、その延長上にある休止区間もいざとなれば唯一の連絡ルートになり得ます。
加えて、上図のように、井川線において井川湖を横に見ながら走る唯一の区間であって、湖畔の綺麗な景色が楽しめるので、現在のアプト式列車が井川駅までになっているのを残念がる意見も少なくないと聞きます。実際に堂平駅まで全線を運行すれば、井川本村にすぐ行けるうえに井川湖遊覧船との連絡も短くて済みますから、観光客もより増えるかもしれません。
ですが、井川駅が地形上の制約からスイッチバック方式の線路レイアウトになっており、仮に堂平駅まで運行する場合は、いったん駅に入った列車を本線まで戻したうえでポイントを切り替え、再度進むという手順が要求されます。その場合は安全確保のための人出も必要となるし、ダイヤも組み直さなければなりませんが、現状の運行本数よりは明らかに減ってしまいます。
しかも、まだ地元民の利用も多かった昭和46年に採算がとれずに休止していますから、それよりも利用客が減って観光客の増加もそれをカバーし得ない状況が続いていれば、運行再開というのは夢のまた夢でしょう。
それよりも線路が今なお維持されているのを活かして、岐阜県の旧神岡線のレールマウンテンバイク「ガッタンゴー!!」のような観光遊覧用のアクティビティとかを試みたらどうか、と思います。奥静の観光行政も、いつまでも我関セズの後ろ向き姿勢に甘んじることなく、積極的に攻めのアクションに転じるべきでしょう。
ここが遊歩道になったのは平成25年10月からですので、まだ10年も経っていません。遊歩道化に際して側溝がチップで埋められて歩きやすいように配慮されていますが、あとは上図左に見える転落防止用の防護柵が設置されたのみで、線路自体はそのまま保たれています。
歩いているとトンネルがありました。休止から50年を経てもなお劣化がみられませんでした。
内部に補修がしてあって、現役のトンネルそのままでした。平成8年までの資材輸送列車の運行に際してメンテナンスが施されたからでしょうか。それからでも25年ぐらいが経過していますが、どうも内部のメッシュ状の壁面補修は、ここ数年の間になされたもののようで、まだ新しく感じられます。これもこの区間が廃線になっていないことを物語っているのでしょう。
数分歩いて、トンネルを振り返って撮影しました。紅葉のトンネルの中でしたので、線路にも落ち葉が積もって御覧の通りでした。
さらに歩くと、いきなりレールが途切れました。約20メートルほどの区間でレールを外してありますが、それは前述の平成20年からの一年間の迂回路転用にかかわる措置であったのかもしれません。ここから井川展示館裏に続く車道が分かれているので、例の迂回路はここから線路に入ったのでしょう。
レールが外されているのは、上図のシャッターで覆われたトンネルの所までで、軌道の石台と枕木がシャッターの手前に残されてありました。向かって左に道が見えますが、それが井川展示館裏に続く車道つまり、災害時の迂回路であった道です。
ちなみにこのトンネルを向こうへ抜けると、井川駅の構内に入ります。井川駅で降りた際に見かけた分岐とトンネルへ、ここから繋がっています。レールを元通りに敷いて繋げば、堂平方面への運行は理論上は可能になるわけです。
かくして、井川エリアの散策で一番面白くて楽しかった廃線小径歩きも終点に達しました。横から見える井川湖の湖面は水位が大幅に下がっていたものの、なお悠々たる静けさを保って私の心にも深い余韻を残したのでした。 (続く)