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紫野大徳寺15 方丈修理現場公開 その一

2023年03月14日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2022年11月6日、久しぶりに大徳寺へ行きました。

 

 目的は、国宝の方丈の解体修理現場公開でした。嫁さんが何度も、見に行きたい、と話していたので、晴天となったのを幸いとして出かけました。モケジョの嫁さんは、模型と同じく古社寺散策が趣味で、文化財指定の建築の解体修理というのにも非常な関心を寄せています。解体された古建築の様子は、組み立て前のプラモデルを見ているようで面白くて楽しいから、というのが理由だそうです。

 

 こういった解体修理現場の特別公開というのは、それ自体が稀な機会であるだけに、見学希望者が殺到して予約制、抽選制となって行ける人が限定されるケースが多いです。しかし、今回の大徳寺方丈においては、珍しく予約無し、抽選無しの通常公開となっていました。

 なので、朝一番に行きたい、という嫁さんの希望により、公開開始時間に合わせて行きましたが、既に待機行列が約80人ほどになっていました。

 

 今回いただいた案内パンフレットです。今回の大徳寺方丈解体修理の簡単な説明がありました。

 

 受付付近に立ててあった、近くの仏殿の屋根の修理状況のパネル表示です。大徳寺では方丈の他に国重要文化財の仏殿も修理工事中で、ここ数年はずっと非公開区域になっています。

 

 受付までの順路の帰路ルートには、解体修理関連の諸工法、諸技術の実演展示テントが並んでいました。嫁さんはそういった伝統的な技術の数々にものすごく興味があるそうで、帰りにあれ全部見ていきましょう、と息を弾ませていました。

 

 公開時間になり、待機行列が一気に進みだして私たちも数分と待たずに受付を通り、公開コースの出入口になっている上図の方丈玄関をくぐりました。行列に流されて中に入りましたので、見事な唐破風と蟇股の意匠に見とれている暇はなく、写真を撮るのが精一杯でした。

 

 見学路は、御覧のように上にあがって屋根軒下の位置にテラス状に設けられていました。方丈の床面および基礎面は修理工事の現場になっていて、関係者しか立ち入り出来ないからでした。

 

 見学路にあがると、解体を終了した方丈の大屋根が視界いっぱいに広がってきました。正面29.8メートルの大建築の大屋根が、巨大な覆屋のなかに収まっていて、全ての屋根材を外された状態で横たわっていました。

 

 方丈の修理前の外観と現在位置の案内図です。右の図の右上の朱色の部分が方丈とその玄関廊です。図でも分かるように、方丈は伽藍の仏殿や法堂よりも規模が大きいです。江戸時代の寛永十二年(1635)の再建で、伽藍の法堂や仏殿が禅宗様建築であるのに対して、こちらは純和風の建築です。

 

 方丈の平面図。これらの空間をほぼ一周する形で今回の見学路が設けてありました。一般的な方丈建築は、大徳寺の諸塔頭の事例にも見られるように、前後2列、左右3列の計6室を並べる平面形式が多いですが、今回の大徳寺方丈は前後2列、左右4列の計8室をもつ特異な形式となっています。

 向かって右から2列目の前後2室は、開基の宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の塔所(墓所)である雲門庵となっています。その雲門庵の奥部は、方丈北面の広縁を越えて北側に張り出した形になっています。大徳寺方丈が特異な形式であるのは、この雲門庵が含まれるためです。

 

 解体された屋根の構造材が部位ごとにまとめられて覆屋内の支柱上に積まれていました。嫁さんが「ウッディジョーの木製建築模型のパーツの実物大やわー、国宝のパーツやわあー、めっちゃステキ過ぎますー」と大喜びでした。

 

 見学路は、屋根の軒下の位置に設けられていたので、大屋根の全容を軒の高さから仰ぐようにして見ることが出来ました。見学者は受付でヘルメットを渡されてかぶってから中に進みました。

 

 西には方丈に繋がる国重要文化財の庫裏の建物が望まれました。庫裏は江戸時代の寛永十三年(1636)頃に再建されたものですが、かつての旧方丈の古材を使用しており、部材の多くは現在の方丈のそれよりも古くて良質であるそうです。

 上図の左手前のブルーシートの奥に桧皮屋根の一部が見えていますが、それが玄関廊の屋根で、今回の見学路の出入口ルートの上にあたっていました。  (続く)

 

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