国宝大徳寺方丈の東側の妻部分です。屋根の垂木などは解体されていますが、破風板(はふいた)や妻格子(つまごうし)はそのままでした。
シンプルな形状ですが、格調の高さを示している梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)です。二枚の板を繋いで造られているようです。
野垂木(のだるき)の様子です。屋根の内部の部材の一種で、普段は見えない材ですから大雑把に作られるケースが多いですが、ここでは一本一本丁寧に鉋がけも行なって、しっかりと仕上げた材を使用しています。
後ろを振り返って破風を見上げました。大きな屋根の割には傾斜角が浅いのが特徴で、江戸時代の建物にしては古典的な要素が多いです。旧方丈の建物を参考にして、特徴的なところは踏襲しているということでしょうか。
見学路がぐるりと北側に回って、雲門庵の横で折り返して階段で下に降りました。その階段の手前から屋根を見上げたところです。屋根の野垂木が全く無い範囲が、雲門庵の規模をよく示していました。
屋根の北東隅部です。何十枚も重ねられた桧皮が、このように合板状になっているので、雨が降っても内側にしみこまず、桧皮の樹脂成分が雨水をはじいてゆきます。瓦屋根は、ヒビが入ったりすると雨漏りの原因になりますが、桧皮にはヒビも穴も生じにくいので、頑丈さや耐久性においては瓦よりも桧皮のほうが上とされています。
見学路が階段で下に降りるので、方丈の床面に近い高さになってきました。上図の手前が「衣鉢の間」で、向こうが「檀那の間」です。全ての床板が外されて、下の基壇面が見えていました。
各所に立てかけてあった床板。民家の戸口よりも大きな板ですが、いずれも一枚板であるのが凄いです。江戸期の日本の木材資源がいまよりも豊富であったことを物語っています。
「衣鉢の間」および「檀那の間」とその東側の外縁の空間です。方丈建築の約四分の一の部分ですが、このように広々としています。
方丈とは、本来は住職の居室であったのですが、ここ大徳寺においては塔頭がその役目を担い、そして方丈のほうは公的空間として、朝廷の勅使や幕府役人の接待、催事や仏事、宗教行事などに用いられたため、大人数を収容出来るように規模も大きくなったわけです。
見学路の脇の地面に並べられてあった各種の屋根瓦。嫁さんが「パズルのピースみたいですね」と話していましたが、モケジョさんならば「プラモのパーツみたいですね」と言うべきだろう、とひそかに思いました。
屋根つまり棟の各部名称の説明図。
屋根の解体によって下ろされた諸種の瓦は、再び屋根に上げられて葺き戻されるそうです。破損して新造する分はごく一部だそうです。
大棟の両端を引き締める巨大な鬼瓦です。色々な意匠が伝統的に伝えられており、上図の雲の模様のデザインは「吹流し三つ切」と呼ばれます。江戸時代の社寺建築の鬼瓦では一般的にみられる意匠です。 (続く)