「わに塚」の脇にある新旧の案内板のうちの古い方です。説明文は赤錆で殆ど読めませんでしたが、昔は「わに」を漢字で王仁または鰐と書いたことが分かります。鰐は完全な当て字ですが、王仁のほうは各地にある王仁渡来伝承と同じく、古代の当地への渡来人の移住入植の歴史を伝えている可能性があります。
古代の日本への渡来人は中国や朝鮮やツングース系、南方ベトナム系など多様であったとされていますが、最も多かったのが朝鮮系であったことは地理的な近さからも首肯出来ます。古代朝鮮語では王族、一族の長、グループの代表にあたる人物に対して尊称の意味で名前の後に「ワン」を付けたといい、ここ武田郷にやってきた渡来人のリーダーの尊称「ワン」が「わに」の語源であった可能性が考えられます。
なので、「わに塚」が中世戦国期から江戸期までは「王仁塚」と表記されていたのは、現地の人々もこの塚を渡来人系の人々にまつわる塚だと認識し言い伝えていたからだろう、と思います。日本武尊の子の武田王、というのも原イメージは大和朝廷の支配下に組み入れられた現地の渡来人系の有力者、ということであったかもしれません。
「わに塚」の周りを散策路が半周しています。そして上図のアングルが、原作コミック第13巻41ページ1コマ目の図でした。この地点で各務原なでしこがスマホでサクラを撮っていたわけです。
原作コミック第13巻40ページ2コマ目の各務原なでしこのスマホ撮影視点で、「わに塚」のサクラを撮りました。
原作コミック第13巻41ページ1コマ目の描写範囲はこのあたりまででした。
原作コミック第13巻41ページ1コマ目にて各務原桜が行っていた地点へと歩きました。
で、原作コミック第13巻41ページ3コマ目の、各務原桜のスマホ撮影画像のアングル。望遠モードで引き寄せた状態で、開花時の見事な美しさがリアルに想像出来ました。
実際の見え方はこういう感じでした。カメラの望遠モードでサクラだけを画面一杯に引き寄せるのとはまた違った風情があります。
「わに塚」の右奥に八ヶ岳の連峰も望まれました。甲斐路ならばでの景色です。
機会があれば、桜の開花期にも訪れてみたいですね。
八ヶ岳を遠くに眺めつつ、レンタカーを停めてある駐車場へと戻りました。 (続く)