ある知人に、
「どうやって、外国の人を紹介してもらうのか?
自分もしてみたいので、教えて欲しい」
と聞かれました。
思えば、どの場合も、わざわざ紹介してもらったのではなかった。
ハンガリーとの縁は、
既に書いたとおり、大使夫人とベルギー大使館のパーティーで、
たまたま目があって、お話したことがきっかけでした。
そこから、1999年に取材ツアーをアレンジしてくださることになり、
ハンガリー一周・二週間ほど取材。
共同通信から10回だったか、かなり長く連載した
「ロシア東欧紀行」や、エアラインの機内誌
(当時は、サベナ、スイスエア、ユナイテッド航空など、何誌かに連載していた)
、単行本「ヨーロッパお菓子紀行」、長らく連載している「醸界春秋」などに、
ハンガリーの連載や記事を書くことになった。
そんな中、本当に突然のことだったが、
こうした背景とは全く関係なく、ある日、突然に
私の著書がハンガリー語に訳されたという連絡!!!
自分でも、なぜ、今、ハンガリー語に?・・・とありがたく、嬉しい気持ちだった。
その偶然に、ただただ、びっくり。
そして、ブダペストで、TV、ラジオ出演。
ハンガリと日本の合同コンサートと懇親会に関わったり・・・
人に聞かれてみると、無意識の内に、
様々な「縁」と「繋がり」が広がっていたのを実感する。
「どうやって、外国の人を紹介してもらうのか?
自分もしてみたいので、教えて欲しい」
と聞かれました。
思えば、どの場合も、わざわざ紹介してもらったのではなかった。
ハンガリーとの縁は、
既に書いたとおり、大使夫人とベルギー大使館のパーティーで、
たまたま目があって、お話したことがきっかけでした。
そこから、1999年に取材ツアーをアレンジしてくださることになり、
ハンガリー一周・二週間ほど取材。
共同通信から10回だったか、かなり長く連載した
「ロシア東欧紀行」や、エアラインの機内誌
(当時は、サベナ、スイスエア、ユナイテッド航空など、何誌かに連載していた)
、単行本「ヨーロッパお菓子紀行」、長らく連載している「醸界春秋」などに、
ハンガリーの連載や記事を書くことになった。
そんな中、本当に突然のことだったが、
こうした背景とは全く関係なく、ある日、突然に
私の著書がハンガリー語に訳されたという連絡!!!
自分でも、なぜ、今、ハンガリー語に?・・・とありがたく、嬉しい気持ちだった。
その偶然に、ただただ、びっくり。
そして、ブダペストで、TV、ラジオ出演。
ハンガリと日本の合同コンサートと懇親会に関わったり・・・
人に聞かれてみると、無意識の内に、
様々な「縁」と「繋がり」が広がっていたのを実感する。