昨年の5月27日
夫の国家賠償請求訴訟の判決が東京地裁であった。
昨年の私のブログは、その前日、判決期日を示したままで、判決結果を投稿をせずに放置したままになっていた。
理由は「負けた」からではない。
私自身が、「勝った」ことの意味をその時にきちんと理解できなかった事。
「勝った」けれど、その詳細、原告である夫の気持ち、私の中のモヤモヤ感を
自分の言葉でうまく表現できなかったことによるかもしれない・・・。
雑駁な感想だが、
およそ国賠で勝つということは相当に難しいことだと聞いていた中で、夫と弁護団の主張が一部とはいえ認められたことは嬉しかったし、
裁判所に認めさせた弁護団の先生方のご努力に感謝の気持ちでいっぱいになった。
改めて「夫の自白」は、警察の偽計や利益誘導による不当な取り調べで引き出されたものであったこと、検察は夫たちの無実につながる証拠を隠して、有罪に追い込んだことが明らかになった。
そして、証拠開示がされていたら少なくても第二審で無罪になっていただろうとも裁判所が認めたのである。
嬉しい結果だった。
だけど、「それだけ」なの?という疑問が後にいろいろ出て来て、認められなかった部分の方が圧倒的に多かったことを知った。
しかも、この東京地裁決定を不服として、茨城県(県警)も国(検察)も東京高裁に控訴したのだ。
夫は、2019年の初めに「もうすぐ裁判が終わる」と言っていた。
だから、私もちょっとそんな気になってしまっていた。
「勝っても、被告側が控訴してくるから、まだ先に続くよ」と言われていたのに、である。
結果、相手が控訴するなら、夫も「もっと確実な勝訴判決を」と付帯控訴という形で高裁に臨むことになった。
そんな最中、夫の体調に異変が起きていたことを、今になって私は知ったことになるのだ・・・。
東京地裁判決後の夫のブログを以下に紹介します。
「勝った」
2019.5.27
布川事件の国賠裁判は、茨城県警察と検察庁の責任を認める勝訴だった。
検察官の証拠未提出の違法も認める、画期的勝利だった。
当たり前だよね。
警察が税金を使って集めた証拠を我が物顔に使い、弁護士の証拠開示請求に応じないなんて、本来は有り得ない。
でも、ここまで認めることは少ないのが、これまでの国賠裁判だ。
ホントに嬉しかった。
でも、判決を読むと、認められたのは、ごく一部分だ。納得出来ない部分はあるし、茨城県警察と検察庁が再審裁判になっても嘘を語り、布川事件の証拠が洪水で流失したと種類した理由が判る判決でもあった。
まだ布川事件の冤罪を作った証拠はあるし、茨城県警にも検察庁にも責任を追及する余地がある。
悪党茨城県警も腐れあう検察庁も、まだ抗うだろうが、こちらは倍返し。認められなかった警察と検察庁が結託して隠す部分を明らかにして、もっと完全な勝利を目指すだけだ。
皆さん、ひとまず有り難うございます!
「静かな喜びの一日」
2019.5.28
全国から勝利の祝福が届いた中で、静かな喜びを味わえる1日だった。
新聞各紙に掲載される記事内容は、どこも画期的勝利だった。
嘘を語り、無実の証拠を出さないのでは、裁判は真面に行えるはずはないのだから判決は当然だろうが、検察当局は、そうは思わないらしくて「今の制度でない時代のことを違法と言われてもと不満」との記事があった。検察は反省なし!
俺も判決を読んだが、再審裁判での証拠未提出は違法と認めないのは不満ではなくて不服。納得出来ない。
検察が控訴するならば反撃に事欠かない。
昨日、書いたのは中途半端だったが、この事件が発生したとき、親子が被害者宅にいる2人の男を目撃したことを警察に話した。
他に目撃者はいない。
警察は、どうするだろうか。
この親子の目撃事実を調書に作るよね?
ところが布川事件では、この親子の調書のうち、33才だったかの母親の調書は取らなかった、ないと言う。
信じられる?
いくら素人でも、そんなバカな!と思うだろう。犯人らしき男を見たと語る人の話を調書にしないような警察官は、即解雇だろうよ。
なぜ、調書にしなかったかは、簡単な話だ。
先ず母親が自転車で被害者宅前を通過して2人の男を見た。その後、同時に家を出た息子はお使い先から帰り、母親が野菜を買い出しに行った先に向かうな途中で被害者宅前で2人の男を見た。
少し時間差がある。
母親は、被害者宅前を通過した後、東という地区で前日にお金を借りた人に会って返金してから、同じ東地区の野菜買い出し先に行った。
旦那は外出。帰宅を待ちながらテレビで7時半、ニュース解説という文字を見たと語る。
この時間から経過を辿れば母親が被害者宅前を通過した時間帯が判明する。一方、俺たちが犯人にされた自白は「7時6分ころに布佐駅着。歩いて被害者宅へ」となった。駅から被害者宅までは17分掛かる。
大問題だ!
俺たちは、どんなに早くても7時25分ころにしか被害者宅に行き着かないのに、旦那の帰りを待って訪問先でテレビを見た母親は、どう考えても7時20分には被害者宅前を通過していることになる。
困った警察は、最重要目撃者だった母親の調書は取らなかったことにした。証拠捏造が常套手段の警察だ。取った調書を無きものにするなど、朝飯前だ。
純情可憐な精神を有する裁判官は、警察の言うがままを信じて「母親の言葉は信じられない」で終わりだ。
今回の画期的勝利でも、同じように母親の調書はスルーだし、問題にもならない。
でも、俺は納得しない。
彼女は真犯人を見た!警察と検察の違法行為は、まだまだある!
控訴審になったならば、更に警察と検察の違法行為を追及するぜ!
「花籠」
2019.6.11
国賠裁判の勝利を祝う花籠が2個、届いた。
1個は数日後に。もう1個に、鹿児島から帰った昨日。
最初のは柴田五郎先生のご家族からで、昨日のは親戚の娘からだった。もし柴田先生が生きていてくれたならば、きっと勝利を喜んでくれたはずだが、代わりに頂いたご家族からのお祝いは嬉しかった。
先生の笑顔が見えた!
親戚の娘は、俺が娑婆に帰って来たとき、まだ小学生。毎日のように遊びに来てくれ、俺を癒してくれた。今は3人の子の母親になった。
それぞれのメッセージも、ホントに嬉しかった!
夫の国家賠償請求訴訟の判決が東京地裁であった。
昨年の私のブログは、その前日、判決期日を示したままで、判決結果を投稿をせずに放置したままになっていた。
理由は「負けた」からではない。
私自身が、「勝った」ことの意味をその時にきちんと理解できなかった事。
「勝った」けれど、その詳細、原告である夫の気持ち、私の中のモヤモヤ感を
自分の言葉でうまく表現できなかったことによるかもしれない・・・。
雑駁な感想だが、
およそ国賠で勝つということは相当に難しいことだと聞いていた中で、夫と弁護団の主張が一部とはいえ認められたことは嬉しかったし、
裁判所に認めさせた弁護団の先生方のご努力に感謝の気持ちでいっぱいになった。
改めて「夫の自白」は、警察の偽計や利益誘導による不当な取り調べで引き出されたものであったこと、検察は夫たちの無実につながる証拠を隠して、有罪に追い込んだことが明らかになった。
そして、証拠開示がされていたら少なくても第二審で無罪になっていただろうとも裁判所が認めたのである。
嬉しい結果だった。
だけど、「それだけ」なの?という疑問が後にいろいろ出て来て、認められなかった部分の方が圧倒的に多かったことを知った。
しかも、この東京地裁決定を不服として、茨城県(県警)も国(検察)も東京高裁に控訴したのだ。
夫は、2019年の初めに「もうすぐ裁判が終わる」と言っていた。
だから、私もちょっとそんな気になってしまっていた。
「勝っても、被告側が控訴してくるから、まだ先に続くよ」と言われていたのに、である。
結果、相手が控訴するなら、夫も「もっと確実な勝訴判決を」と付帯控訴という形で高裁に臨むことになった。
そんな最中、夫の体調に異変が起きていたことを、今になって私は知ったことになるのだ・・・。
東京地裁判決後の夫のブログを以下に紹介します。
「勝った」
2019.5.27
布川事件の国賠裁判は、茨城県警察と検察庁の責任を認める勝訴だった。
検察官の証拠未提出の違法も認める、画期的勝利だった。
当たり前だよね。
警察が税金を使って集めた証拠を我が物顔に使い、弁護士の証拠開示請求に応じないなんて、本来は有り得ない。
でも、ここまで認めることは少ないのが、これまでの国賠裁判だ。
ホントに嬉しかった。
でも、判決を読むと、認められたのは、ごく一部分だ。納得出来ない部分はあるし、茨城県警察と検察庁が再審裁判になっても嘘を語り、布川事件の証拠が洪水で流失したと種類した理由が判る判決でもあった。
まだ布川事件の冤罪を作った証拠はあるし、茨城県警にも検察庁にも責任を追及する余地がある。
悪党茨城県警も腐れあう検察庁も、まだ抗うだろうが、こちらは倍返し。認められなかった警察と検察庁が結託して隠す部分を明らかにして、もっと完全な勝利を目指すだけだ。
皆さん、ひとまず有り難うございます!
「静かな喜びの一日」
2019.5.28
全国から勝利の祝福が届いた中で、静かな喜びを味わえる1日だった。
新聞各紙に掲載される記事内容は、どこも画期的勝利だった。
嘘を語り、無実の証拠を出さないのでは、裁判は真面に行えるはずはないのだから判決は当然だろうが、検察当局は、そうは思わないらしくて「今の制度でない時代のことを違法と言われてもと不満」との記事があった。検察は反省なし!
俺も判決を読んだが、再審裁判での証拠未提出は違法と認めないのは不満ではなくて不服。納得出来ない。
検察が控訴するならば反撃に事欠かない。
昨日、書いたのは中途半端だったが、この事件が発生したとき、親子が被害者宅にいる2人の男を目撃したことを警察に話した。
他に目撃者はいない。
警察は、どうするだろうか。
この親子の目撃事実を調書に作るよね?
ところが布川事件では、この親子の調書のうち、33才だったかの母親の調書は取らなかった、ないと言う。
信じられる?
いくら素人でも、そんなバカな!と思うだろう。犯人らしき男を見たと語る人の話を調書にしないような警察官は、即解雇だろうよ。
なぜ、調書にしなかったかは、簡単な話だ。
先ず母親が自転車で被害者宅前を通過して2人の男を見た。その後、同時に家を出た息子はお使い先から帰り、母親が野菜を買い出しに行った先に向かうな途中で被害者宅前で2人の男を見た。
少し時間差がある。
母親は、被害者宅前を通過した後、東という地区で前日にお金を借りた人に会って返金してから、同じ東地区の野菜買い出し先に行った。
旦那は外出。帰宅を待ちながらテレビで7時半、ニュース解説という文字を見たと語る。
この時間から経過を辿れば母親が被害者宅前を通過した時間帯が判明する。一方、俺たちが犯人にされた自白は「7時6分ころに布佐駅着。歩いて被害者宅へ」となった。駅から被害者宅までは17分掛かる。
大問題だ!
俺たちは、どんなに早くても7時25分ころにしか被害者宅に行き着かないのに、旦那の帰りを待って訪問先でテレビを見た母親は、どう考えても7時20分には被害者宅前を通過していることになる。
困った警察は、最重要目撃者だった母親の調書は取らなかったことにした。証拠捏造が常套手段の警察だ。取った調書を無きものにするなど、朝飯前だ。
純情可憐な精神を有する裁判官は、警察の言うがままを信じて「母親の言葉は信じられない」で終わりだ。
今回の画期的勝利でも、同じように母親の調書はスルーだし、問題にもならない。
でも、俺は納得しない。
彼女は真犯人を見た!警察と検察の違法行為は、まだまだある!
控訴審になったならば、更に警察と検察の違法行為を追及するぜ!
「花籠」
2019.6.11
国賠裁判の勝利を祝う花籠が2個、届いた。
1個は数日後に。もう1個に、鹿児島から帰った昨日。
最初のは柴田五郎先生のご家族からで、昨日のは親戚の娘からだった。もし柴田先生が生きていてくれたならば、きっと勝利を喜んでくれたはずだが、代わりに頂いたご家族からのお祝いは嬉しかった。
先生の笑顔が見えた!
親戚の娘は、俺が娑婆に帰って来たとき、まだ小学生。毎日のように遊びに来てくれ、俺を癒してくれた。今は3人の子の母親になった。
それぞれのメッセージも、ホントに嬉しかった!