えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

対決

2020-02-09 | 日記
 先の「黒い巨塔」の中で、主人公笹原判事補(最高裁判所事務総局民事局付)と絶対的権力を持つ須田最高裁長官が対峙する場面がある。
そのやり取りが印象に残った。

須田「戦後、新憲法の下で三権分立が制度上も確固としたものになり、また、違憲立法審査権が与えられたことによって、司法は、権力の一部を担うようにもなった。すなわち、戦後の裁判所は、権力の一翼を担うものとして、政治の一環に組み込まれた。わしは、そう考えている」

笹原「・・・失礼ながら、どうもよく理解できないのですが、今のお言葉からすると、長官は、司法と行政に本質的な相違はないとお考えなのでしょうか?」

須田「少なくとも戦後はそうだ。違憲立法審査権を得たことによって、裁判も政治の一部になったのだ」

笹原「お言葉ですが、そのお考えには承服できかねます。司法は、三権の一つとして立法、行政をチェックすべきものです。憲法の番人、法の番人という言葉の意味もそこにあると思います。司法が行政とその本質において同じだという考え方は、司法の権力チェック機能を見失わせるものではないでしょうか?」

須田「しかし、司法にも、行政同様のバランス感覚は必要だ。若造の君にも、それくらいのことはわかるだろう?」

笹原「バランス感覚が必要だということまでは、否定いたしません。司法には、これは動かしてはならない、ここは譲ってはならないというプリンシプル、原理、原則もまた必要です。人権にかかわる事柄はその典型です。そうした事柄について司法が行政と同様の機会主義的な『政治』を行うとしたら、行政のほかに司法を置くことに、何の意味があるのでしょうか?」

須田「君の言うことには、理屈としては正しい部分があるだろう。だが、日本の裁判官にそんな立派な司法を担う気概があるのだろうか?わしは深く疑うね」

笹原「そうですね・・・。確かに、日本の裁判官には、昔から、ここぞという所できちんと踏みとどまって司法の役割を全うする気概が、足りないように思います。でも、たとえば、戦後、1960年代までの裁判所には、そういう部分もかなりあったのではないでしょうか?
 たとえば、多数の公安事件や大規模な疑獄事件で、政治や世論に迎合することなく無罪判決を出したという例もありますし、行政訴訟も、その時期の方が、しっかりした、見識のある判断をしていたのではないかと思います」

・・・・中略・・・・

須田「・・・君の言うことは、1から10まで、全て理想論だ。そういう理想論で日本の社会が動くなら、大変結構なことだがな。だが・・・」

笹原「だって、司法が理想論を吐かなくてどうするんですか?司法の役割というのは、やせても枯れても理想論を吐き、筋を通すことにあるのではないでしょうか?司法が立法や行政と一緒になって『政治』をやっていたら、法の支配だって、正義だって、公正だって、およそありえないと思いますが」

・・・中略・・・

笹原「・・・そのように、人間というのは、自分の運命を決定することができるよう人物の前でさえ、その意に沿わないことを、どうしても言いたくなる時があるのです。きわめて弱い立場にある人間にでも、なお、そのようなことはありうるのです。
・・・
私が申しあげたいのは、人間の行動や考えにはそのような面が否定しがたくあるのですから、それをただ一つの枠組みで統制、制御し、ひいては支配しようとするような試みは、たとえその意図に正しい部分が含まれているとしても、いつか必ず破綻をきたすのではないか、・・・そういうことです」
「・・・もうひとつあります。
それは、長官の行われていることが、まさに『政治』であって『司法』ではなく、右と左の真ん中を行くというその御方針も、確固とした原理、原則によるものではなく、ただ、その時々の権力の方向にみずからの御方針を合わせておられるにすぎない、そうした、きわめて日本的なバランス感覚にのっとった『政治的感覚』によるものにすぎない。そうなのではないかということです。
 その意味では、まことに失礼ながら、長官もまた、ひとつの『権力の駒』にすぎないのではないでしょうか?長官の仰るような中道は、結局、司法を古い国粋保守の基盤、根城にするという結果に、行きつくことになるのではないでしょうか?大変失礼ながら、私には、そのように思われます」

・・・・・

 笹原は辞職を覚悟していたが、須田長官の報復人事を受けることなく、東京地裁へと異動になった。
それだけ、笹原の言葉は痛烈だったが、道理ある進言だったと言えるのかも知れない・・・。

やっと読みきる

2020-02-09 | 日記
「黒い巨塔」最高裁判所 瀬木比呂志著(講談社)
を、やっと読み終えた。
当初、小説だから、と言う思いがあった。
でも、読み進むうちに何とも言えない「気分悪さ」が襲ってきた。
作者は東京地裁、高裁、最高裁で裁判官として勤務してきた元裁判官。現在は民事訴訟法、法社会学等の研究者でもある。

以前に、著書に「絶望の裁判所」という本があることは聞いていた。でも、夫が裁判中と言うこともあり、タイトルを見て、少し避けたい気分が働いた。

 同じ作者が「小説」として書いたという今回の本。夫の数ある本の中に見つけ、「読んでみよう!」と思ったのだが、小説だと分かっていても、読み進むうちに、その内容があまりにリアルで心が凍りついて、なかなか先に読み進むことができなかった。
最高裁長官の権力の乱用について、人事権を持って、一人一人の裁判官を威圧し、逆らえないようにする卑劣な行為や、長官が政権党の意向に沿って、下級裁判所の担当裁判官を集めその「方針」を導き出して(押し付けて)いく方法、など、など・・・。
嘘でしょう⁉️という思いより、
実際多くの裁判を見聞きしたり、一部とはいえ裁判ごとに会ってきた裁判官の姿、そしてかつて夫の裁判で何度か訪れた最高裁の建物やその内部(もちろんこれも一部だけど)を知る私は、「これは小説ではない!事実だ!」と思えて、怖くなってしまったのだ。

「絶望の裁判所」というなら、この本はまさにそうさせている『最高裁の闇』をフィクションという形であぶりだしたものと言えた。

最近続いている最高裁の、予想だにしない判決(決定)や、今まさに最高裁に係属している「袴田事件」、「北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件」、「今市事件」の事を思わずにはいられなかった。

 ただ、ここには、行政、民事の題材として「原発裁判」が引用されている。
小説だから、と気軽に読めるようなものではない。想像ができないわけではなかったが、ここまで統制されて裁判が進められている内容を知ると、「司法権の独立」「裁判官の独立」などありえない、本当にむなしい現実となって返って来る。(現在、原告・国民の意に沿った公平、公正な判決が下級裁判所でいくつか出されていることにかすかな救いを覚えたが、それすら担当裁判官が自らの良心、良識に従い、左遷を覚悟してのものなのだろうと推しはかってしまう・・。被告側の控訴により、この後の勝てる保証はまだ何とも言えないが・・・)

 途中で読むのをやめようと思ったが、絶望のままでは、今、裁判所を相手に闘っている私たちに希望がないことになってしまう。最後には、何らかの光を感じさせて完結するのだろうという淡い期待と、どこかに、「冤罪」に触れる部分があるのではという興味で先に読み進んだら・・・。


最高裁長官が、任期を半ば過ぎ、節目として、司法行政を司る事務総局各局長、課長、裁判部門の主席、上席の各調査官など幹部職員を集め宴を催す場面がある。そこで、最高裁長官が言う。
「・・・前略・・・
 我々は、先の戦争に敗れた。そのことは否定できない。しかし、わずか40年余りで、焼け野原からここまでの復興と成長を成し遂げた。そのこともまた事実なのだ。
この輝かしい日本民族の成功の下にあって、司法も、また、戦後、長足の進歩を遂げた。
…中略・・。
近年、経済発展の陰で、行政組織の弱体化、また、行政官僚の劣化傾向が指摘されている。わしも、そのことは否定しがたいと考えるし、おそらく、今後も、ますます、その傾向は進むことだろう。
 しかし、それは、我々にとって、飛躍のまたとない機会でもある。司法が、司法こそが、裁判所こそが、来るべき日本の未曽有の繁栄と覇権の時代にあって、その礎とならなければならないのだ。
 その意味で、ことに、今後の民事裁判のあり方は、極めて重要だ。純粋な民事訴訟、通常訴訟のみならず、行政訴訟、労働訴訟、国家賠償請求訴訟、憲法訴訟、そして、原発訴訟等も含めて、それはいえることだ。諸君には、日本司法の司令塔としての役割を、存分に果たしていただく必要がある。…後略・・・。」

次に、総務局の一課長が、
「…私は民事裁判のみならず、刑事裁判もまた、国家の安寧秩序保持のためには、きわめて重要なものであると考えております。…中略…
日本の刑事司法は、精密司法は、まさに、世界に冠たるもの、誇るものであり、日本が刑事司法の分野で最も先進的な国の一つであることには、疑う余地はありません。
これまではわずかに冤罪事件も存在し、再審開始決定、再審無罪判決も、微々たるものではありますが、下されて参りました。しかし、私は、さらに日本の刑事司法が進化した結果、今後、日本では、冤罪などというものは、事実上消滅するのではないかと考えております。私どもが、厳格な訓練を受けたキャリア裁判官が、厳正な審理を行った結果として、有罪の判決を下せば、その被告人は有罪なのです。もはや、その事を疑う余地などありません。今後、日本には、冤罪などというものはなくなる、なくなってゆくだろうと、私は、考えております。…略」

こう来たか…と、私は尚一層気分が落ちていった。
でも、作者は、この2人の言葉を借りて、司法の荒廃と崩壊を知らせたかったのだろうと思った。

作者のあとがきに、
「この作品は、架空の事柄を描いた純然たるフィクションであり、実在の人物、団体、事件、出来事等には一切関係ありません」
「これは、この世界の出来事ではない。あるパラレルワールドの物語である」と最初に断り、純然たる物語として書いたとある。
「ただ、裁判所の戦後の歴史、その概要についていえば、現実の日本におけるそれから示唆を得た部分が、全く無いとまではいえない」とも…。

だとしても、
2016年10月の刊行だと思っても

単なる小説として受け止められない私が、まだ、ここにいる…。

実家の畑でこんな花が❗

2020-02-04 | 日記
ほんとに、ほんとに、「春」が来ちゃってる⁉️

今はこんな発見に喜びを感じているけど、
このあとに当然やって来る四季の楽しみが、異常気象でどうなっていくのか、不安もいっぱいです…。

飛蚊症…

2020-01-31 | 日記
半月前ぐらいに、家の中で「コバエ」が発生してしまってる❗とあわててそれを手で払った。でも、実物を確認できず、家の中の「発生源」を探したが見つからなかった。

そして、二日前、今度は「糸屑」が右目の周辺に付いているように感じて、一生懸命前髪を触ってみたり、まつ毛を拭いてみたりしたが、「モノ」を確認できなかった。

鏡で右目を見てみたが、それらしきモノはない…。

アッ❗
もしかしたら飛蚊症⁉️と思い、
ネットで検索したら、間違いないようだった。

加齢によることが主な原因で治療は特に必要としないが、重要な病気の場合もあるので、一度眼科受診を、とあった。

友人に話したら、
「私もずっと前からそうだよ」と二人から返ってきた。
そうなんだ…✨みんな経験してるんだと、
ちょっと安心。

で、
今朝、起きていつものようにカーテンを開けようとしたらやっぱり目の前に「コバエ」が右側だけの狭い範囲で飛んでいて?はたと気付いた‼️
そうか✨
飛蚊症はあのときから始まっていたんだった、と何故か今になって二つの現象が結びつき、納得。

それにしても、なんと気付くのが遅いのか…😅

鈍感な自分に一人(苦笑)

受診は、検査で瞳孔を開かせる薬を使うので、出来れば運転を控えるように、との注意が。
そんな日、あるかな~。

一日

2020-01-26 | 日記
朝からはっきりしない天気で、気持ちも滅入りがちだった。
そんな中、
映画を観られなかった「カツベン」(片島章三著)を読んで、映像を想像しながらちょっと楽しみ、
前から気になっていた
「黒い巨塔」最高裁判所(瀬木比呂志著)を読んで、小説とはいえ、まさにあり得ること、と裁判を闘う現実を多少なりとも知っている者としてさらに滅入ってしまった。
 でも、でも、でも
大相撲の千秋楽で
「徳勝龍の初優勝!」を見ることができて
私の気分も上昇🤗

水のある風景が好き

2020-01-21 | 日記

水戸市の中心部にある千波湖。
これは昨日の夕景です。
奥が千波湖。手前は桜川。
とっても素敵でした。

初めて見たのは、小学校4年生の時の遠足で、偕楽園から眼下に広がる千波湖を担任の先生から説明を受けながらだったような…。
以来、高校進学以降、50年水戸に住み着いてしまった。
川が好き、海も好き、
ここ千波湖の風景も。
水のある風景は、いいですよね。
見ているだけで癒されます…。

2020お年玉

2020-01-21 | 日記
年賀ハガキは、
3等切手シートが
10枚
でした🎵

正常な決定が出た

2020-01-19 | 日記
四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止め訴訟で、広島高裁(森一岳裁判長)は再び、運転を認めない決定を下しました。

極めて正常な判断と思うが、皆さんはどう考えるのだろうか?

茨城の訴訟にいい影響があるといいな…🌠

東海第2原発の再稼働に反対する理由

2020-01-15 | 日記
 東海第二原発の再稼働の是非を問う、県民投票条例を求めた署名活動が始まった。

私が原発に反対する理由は簡単だ。
 2011年の福島原発の事故を間接的と言われるかもしれないが、それでも私なりにこの茨城で直接体験したからに他ならない。

当時、私は総合病院に勤務していて、地震を5階建ての建物の3階で経験した。大きな揺れの中、患者さんを建物外に避難誘導する際に嗅いだ埃の匂い、見たひび割れ、外来の椅子を外に出し座らせ、ブルーシート、外の寒さ対策にリネン室の毛布を全部運びだしたこと、その後の停電、(断水も?)により、一旦病棟に戻った患者さんの夕食(弁当とペットボトルのお茶)を5階まで階段を使って運んだこと、それでも管理職の皆さんが泊り込みになる中、私は7時前には帰途についたが、市内は大混乱。渋滞で、進まず、やむなく車を知り合いの駐車場において歩いたこと。どこまでも続くテールランプの列を追い越し、車が途切れると全くの漆黒の闇が続き、すれ違うまで人の気配を感じる余裕もなく、崩れた塀で足元を取られながら歩いたこと。幸い迎えに来てくれた夫と会えた時の安ど感。時間は深夜11時になっていた。自宅は、団地の4階。夫が「寝るスペースだけは作っておいたから」ということで、懐中電灯でガラスなどが散乱している畳の上をじゃりじゃりとスリッパで踏みながら部屋に入り、洋服を着たまま寝たこと。家の中は恐いと言って車に寝る人が多かったけれど、夫は「家の中の方がまだ寒さはしのげる」と言った事。寝てからも余震が続き眠れなかったけれど、傍に夫がいてくれたことの心強かったこと。
その後も、通勤のためのガソリンが確保できない現実。流通も止まり、お店から品物が消え、線路も落ち、電車も止まったまま・・・。今までに体験したことのない異常な光景がそこにあった・・・etc.

その時、福島だけでなく、東海原発もあと一歩のところまで危険が迫っていたことを知った。
そして、私たちは、福島の汚染を事故後に降った雨を何の意識もせずに浴びた後に知らされたのだった。

・・・・・・・・・

(あの3月・・・。
地震の二週間後、
44年かかってやっと再審で「無罪判決」が夫に下されることになっていた裁判所も被災し、結局、5月に判決日が延期された。)

・・・・・・・・・

「原発は安全でクリーン」と言われてきたことが完全に崩れ、地元でどれだけ悲惨な状況が生まれたか、そして地元ばかりでなく隣県、関東圏で(陸上ばかりでなく海洋にまで)汚染が実際に起こり、家族の絆を割き、自然の恩恵を受けながら自然と共に生きて来た日本人の生業を奪い、生きる希望まで奪った事故を、二度と繰り返してはならない。

人間の力で事故の終息をなしえないものを動かしてはならないということ。
自然災害は止められないが、原発事故は原発を止めることで防げることを学んだ。

そして、次の時代を担い、引き継いでくれる子どもたちに「負の遺産」など絶対残してはいけないということ。

日本のエネルギーは、原発に代わる再生可能エネルギーに転換が可能なはず。
再稼働の是非、それを選ぶのは、私たち国民、地元住民ではないのか。

先ずは、大井川茨城県知事に「県民投票条例」を求める声をまっすぐ届けたい。


春、そこまで

2020-01-13 | 日記
 弘道館園内の梅、
もうこんなに膨らんでいました。
暖冬なんですね・・・。