えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

毛筆は苦手・・・

2011-02-23 | 日記
こういうときはやっぱり毛筆なのかな?・・・
苦手だな・・・

 先日、夫が寝てしまった後、深夜に毛筆の練習をした。
黙々と続けていたら、何だか気持ちが落ち着いてきて、
少しずつ上手くなってきたようにも思えたのは気のせいだったかな?

  毛筆で、
    退職願書きつつも
     思い出返り
    明日に持ち越し
             
  
 明日もう一度、書き直しです。
 一気にささっと書いてしまうことのできない私・・・でした!     
    
      
     

困った・・・

2011-02-21 | 日記
 忙しくしていて、なかなか地域の方たちと話す時間がない私たちだが、それでももう何年も前だけど、、
水戸駅で宣伝していたら、遠巻きに私を見ていて、それからつかつかと近づいてきて
「やっぱりそうだよね。そうかなぁって思いながら見ていたんだけど・・・」と。
挙句に
「この前、テレビで見て『上の階にいる人に似てる人だなって思ってたんだけど、でも、そんなことないよな。弟さんかな・・・と思ってたんだよ』なんていわれたこともあった。
その人は、夫のことを知るや、近所の人に署名をお願いして歩いてくれた。
そんなわけで、
「布川事件を知る会」を我が家でして、予想以上の参加をいただいたこともあった。
今回は、映画「ショージとタカオ」を観てくれた人の一人が・・・・

う~ん・・・・祈祷師の方で・・・
真剣に、
「ご主人が一日も早く無罪になるように奥さんがお祓いを」との手紙をいただいたのだ。

 その日、夫と諍いが会った翌朝で、まさかそんな誘いだと思わなかったこと、読む間もなく出かけなければならない用事があったことで話さないままもう二日たってしまった。

えん罪の原因が祟りだと考えること自体、ナンセンスだが、こんな現象を呼んでしまうことに妙な気持ちを抱いている。

夫に伝えたら、また、興奮させてしまうのだろうか・・・。
それとも、大きな声で笑い飛ばしてくれるだろうか・・・。

手紙をくれた人は、夫も顔を合わす近所の人だ・・・。

お別れの会

2011-02-20 | 日記
茨城の会代表世話人をしてくださっていた茅野さんの、お別れの会が行われ夫と出席した。

故人の希望で、無宗教。
献花と参列者一人ひとりのお別れの挨拶(メッセージ)を贈ることをメインとした、とても温かな会だった。

遺影に使われたお写真は、先日、茨城の会新年会に参加されたときのものが使われていて、
本当に、ほんとに、つい2週間前お会いした萱野さんのお姿がそこにあって、信じられない気持ちと、
でも、現実には、お棺の中で眠っておられる萱野さんがいて・・・。

私がお付き合いさせていただいたのは、布川事件を知ってからだから、まだ10年余り。
布川の行事にはいつも、いつも茅野さんのお姿があった。
中田先生が亡くなられた後、代表世話人としてのご挨拶をいただくときの茅野さんの言葉は、いつも短い言葉の中にも
しっかりと気を引き締めて頑張らなければという緊張感を私の中に引き戻してくれた。
足が不自由だったため、杖をつきながら、回を重ねた裁判所要請も土浦、東京へと何度も足を運んでくださった。
そして、その帰りは、いつも土浦駅宣伝にも参加くださった。
冬の、寒い、寒い街頭で暗くなるまでの宣伝にも何度もしてくださったお姿がよみがえって来て、それだけに
後一月後の判決を一緒に聞いていただけない悔しさで涙が流れて仕方がなかった。

参列者の数の多さ、親交の深かった皆さんのお言葉を聴きながら、茅野さんがどんなに多くの人たちに、慕われ、愛されていたか
伝わってきた。
私の知る萱野さんも
「本当にそうだったなぁ・・・」
そんなことも考え続けていた。

お酒もタバコも大好きという萱野さん。
天国で、中田先生と一緒に布川の判決を見守っていてくださいね。





新しい携帯電話になったけど・・・

2011-02-20 | 日記
docomoショップへ行って、使えなくなった携帯の相談に行った。

案の定「不具合が生じています。修理を希望される時には、1週間ほどお預かりします」とのこと。

そういう訳にはいきません、とばかりに私は、
「機種変更して、新しいのをいただいていきます」ということに・・・。

あまり迷うことなく、今までのものと操作の同じようなものをすぐに選んだ。

古いほうの携帯を
「どうしますか」と言われ、
「置いていきます」と即答したのだが、情報を全部新しい機種に移してもらった後、
「じゃ、こちらは情報が取り出されないようにお客様の前で穴をあけさせていただきます」という。
「どうぞ」と言っては見たけれど。
目の前で、グリグリグリと機械で穴を開けられているのは、ついさっきまで私が手にしていたもの。
「何だか、寂しいですね」
つい、言葉にしてしまった・・・。

あっさりと「使い捨て」してる・・・と思ったら何だか一瞬だけど心が重くなった。

もちろん、新しい携帯の便利さに一方では喜んでいるのだが・・・。勝手なものですね。

そんな言い方、しなくたって・・・

2011-02-18 | 日記
携帯が壊れてしまった・・・?

 夫が、今夜、九州から戻る予定で、電車の到着時間が携帯に入る予定になっていた。
救援会の会議中だった私は、連絡が入ってないかどうか確認しようとオフにしておいた電源を手元で入れた。
そしたら、いきなり耳慣れない高い着信音?のような音が出て、T会長が挨拶している最中にもかかわらず部屋中に鳴り響かせてしまった。
「えっー!マナーモードにいつもしているのに、いつの間に解除しちゃってたんだろう・・・」と、どきどきしながら廊下に出て、見たら、通常の待ち受け画面が表示されていて、ニュースのテロップも流れている。
なんでもなかった、とほっとしたが、そこに夫からの着信通知、兄からのSMS受信通知が出ていた。
すぐに発信しようとしたら、

「FOMAカードの異常です」と赤字でメッセージが出てきた。
なんどやっても同じだった。

 壊れちゃった?・・・
 何で?・・・

えっ?どうしよう!
9時ごろ水戸駅って聞いていたけど・・・

終了8時40分。落ち着かないまま参加していた会議だったが、急いで自宅に戻り、そこから夫の携帯に
「今、どこ?!」と連絡を入れるしかない、とあわてて家路に着いた。

ところが・・・駐車場から自宅を見上げると、
家に、電気が点いている。

「よかったー!帰ってたんだ・・・。」

と、ほっとして玄関に入って、

「ゴメンナサイ!携帯壊れちゃったみたいで、あわてて帰ってきたの!」と言ったら、


「腹、減ったー」とのこと。


  ハイ?食べて帰るって言ってたんじゃナカッタ・・・


「メールしたろう!食べる時間がなかったんだよ。」と、その言葉に、イラ感状態がちらり・・・

「携帯が壊れちゃったみたいなの。だから、急いで帰って、ここからあなたに電話しなけりゃって思ったの」、というと、

「取り替えろって言ってるのに、いつまでもそんなの使っているからだよ!」

「そんな言い方しなくてもいいでしょ?」

「だってほかになんと言えばいいんだ。
  それ以外に言いようがないだろう・・・」

 確かに・・・。
 そうかもしれないけど・・・。


そうこうしているうちに9時はとっくに過ぎて・・・。

結局、何にもなくて、冷凍ご飯を温め、お茶漬けを二人で食べた。
ドキドキしながら数時間を過ごし、心配もし、夫が家に帰っていてくれたことでほっとし・・・。

おなかが空いていたせいもあって、何だかお茶漬けがとても美味しく思えた・・・。

明日、新しい携帯を見てこよう・・・。






またも・・・

2011-02-16 | 日記
訃報が入った。

 奇跡が起きて欲しい・・・そう願い続けたけれど、
 叶わなかった悔しさを思う・・・

医師が限られた刻限を告げようとも、きっと3月16日の判決をしっかりと見届けてくれるはず・・・
何故なら、つい先日、11日前の2月5日に私たちは彼、茅野徳治さんにお会いし、話し、まもなく出る勝利の判決を確信し合う楽しいひと時を共有したのだった。

ご本人の
「ぜひ参加したい」との強い希望で
入院中の病院から、「茨城の会合同新年会」にお出で戴いたのだ。

杖をつかれていたけれど、ご自身でしっかりと歩いていらして、お帰りになる時も、見送る私たちに車の窓から手を振ってこたえて下さっていた。

 布川事件に私が関わるずっと前からご支援を頂いて、これまで茨城の会の代表世話人をされてきた。
誰よりも、何よりも3月16日を見届けたかったことでしょう。

2月16日・・・
ちょうど、ちょうど判決日の1カ月前の今日・・・。



 茅野さん、本当に、本当に有り難うございました・・・。

「繕いながら生きている」

2011-02-13 | 日記
新聞に、服飾デザイナーの森南海子さんの記事があった。
手縫いにこだわり続けて来たという森さん。

「母も私も夜、よく電球の下で継ぎあてをしていました。そこには会話があり、繕うと言う行為に女は思いを込めてきました。・・・」

のことばに、私も同じ情景を思い出し共感できるものを感じた。

そして、
「私たちは失敗したことを繕いながら生きているんだと思います。気恥ずかしい部分を抱えているほうが謙虚になれるでしょう?・・・」のことばにも、

うん!全くその通り!と、うなづいている自分がここにいた・・・。



「人として生きる権利」

2011-02-12 | 日記
NHKの番組で、高齢者ばかりでなく若い人たちの間にも

「誰からも支えられていない」

「誰からも必要とされていない」

という、孤独感、絶望感が広がっていることが報道されていた。

ここまで「個人」が大切にされなくなった時代がかつてあっただろうか?

番組を見ながらそんなことを思った。

「あなたが必要とされてないなんて、そんなことないよ」なんて言っても、当事者には何の意味も持たない。
なぐさめも自己責任論も却って追いつめてしまうだけ。
現実そう思って苦しんでいる人がいる以上、何かを変えなければならない。
それも大至急のはず。
だけど番組の中で光は見えなかった。
それだけ深刻ということだが、コメンテーターの発言も混乱を招いただけで失望した。

 まずは「SOS]を発することのできる環境、受け入れる環境づくりが急がれなければならない。

根本的には、国民一人一人の生きる権利を保障するために社会の仕組みを変えること、経済の仕組みを変えること、教育の在り方を変えることだと強く思った。
政治の責任のなにものでもないだろう。


「人としての権利がしっかりと守られる社会」

「人として生きて行く権利が保障される社会」

で、なければならないと思う。


えん罪に巻き込まれ、「人として当たり前の人生」を取り戻したいと闘う夫たちに温かな支援の手を差し伸べてくださる人たちがいて、44年もの歳月をかけたこの闘いにまもなく裁判所の判断が下されようとしている。
支え、支えられ、
「自分を大切にし」
「自分らしく生きる権利」を全うできる夫たちの人生を思う時、いま苦しんでいる人たちに

先ずは SOSを!と声を大にして言いたい。



地元の人たちと

2011-02-12 | 日記
 夫の住む町内で亡くなられた人がいて、同じ班の私たちに通夜、葬儀の手伝いの連絡がきた。
嬉しいことに同じ班内に、親戚が2軒あり、私はその方たちといつも一緒に行動させていただいているので本当に心強いのだが、今回も、

「syoujiちゃんと連絡がつかないのよ。だから、水戸に掛けたの」と電話連絡を受けた。

手伝いは、1軒ひとりでいいとのこと。
忙しいことを知っていてくれるSさん(夫のハトコの奥さん)は、
「無理な時はいいですよ」と言ってくれた。

 当家は、夫の家の道路を挟んだ向かいの家。
夫の話では、遡れば遠い親せきにあたるとのこと。子どものころからよく世話になったそこのおばあちゃん(95歳)が亡くなられたとのこと。
もちろん、そんな位置的関係もあり、今も、そのご家族には夫も私もお世話になっているのだから、何はおいても行かなければならないのだが、通夜の予定された10日は外すことのできないTV局の取材が入っていた。
 夫は11日の葬儀・告別式の日も、埼玉県に行くことになっていたため2日目だけではあるが私が行くことになった。

 最近は特に家の老朽化が進み、利根町では生活そのものが出来ない状態の私たちだが、それでも皆さんが、

「わざわざ水戸から来てくれたの?ごくろうさま!」と

温かく迎えていただいた。
折しもその朝は、関東地方もこれまでにない大雪になるという予報が出されていて、雪降りの中、常磐道を走って向かったのだ。

 葬儀の手伝いとは不思議なもので、普段聞くことのできない話をたくさん聞くことが出来る。当家のことも、故人のことも、地域のことも・・・。
それらのお話を聞きながらいろんなことを考えさせられた。

 少し安堵したのは、夫も私も中途半端な住民にも拘わらず、「仲間」として迎えて頂いていると感じられたこと。

「もうすぐだね」という皆さんのことばが、とても嬉しかった。


本物じゃない・・・

2011-02-10 | 日記
取材を受けるたびに思うことがある。
それは、

「私は何にも分かってないのに・・・」の思い。

なのに『妻』としての意見を求められる。
求められると、やっぱり曖昧なままの自分が答えてしまう。

夫の苦しみも、えん罪の恐ろしさも、えん罪への怒りも私が理解しているのはほんの一部分だけ。
だから想像の範囲だけで答えてしまう・・・。

私だから話せること、私にしか語れないこと・・・
もう少し整理しておかなければ・・・。

今日の取材を終えて、そんなことを考えている・・・

何だか、放送が怖い・・・。