ふくの映画ブログ

映画の紹介です

「暗くなるまで待って」

2023年10月10日 | 1990年以前のアメリカなどの映画(西部劇以外)
1968年公開の映画の紹介です

監督は、テレンス・ヤング。
フレデリック・ノットの戯曲が元になっている、サスペンス映画です。
主演・出演は、オードリー・ヘプバーン、アラン・アーキン、リチャード・クレンナ、
エフレム・ジンバリスト・Jr、ジュリー・ハーロッド。



(あらすじ)
仕掛けを施した人形を手に持つリサは、到着したNYで監視する男に気づき通りがかりの男性に人形を渡します。
その後、仲間のマイクとカルリーノがリサに呼ばれた家に付きますが、
家の様子がおかしいと気付きリサの死体を発見するのです。
直後、侵入した男・ロートは、リサが接触した男性の家と話し人形を探すよう強要するのです。
間もなく夫人・スージーが帰宅し、3人はあちこちに隠れますが目が見えないことを知り出ていきます。
その後帰宅した写真家の夫・サムを翌日送り出した後、
何かが燃える煙にスージーはパニックになります。
直後マイクが訪問し、火を消し、自分はサムの旧友と話します。
信頼したスージーですが、その後入れ代わり立ち代わり男たちが現れ、
サムが預かった人形が事件との関係を話されるのです。
しかし人形は一向に見つからず、実はあるところにあったのです・・・

***********************************************
戯曲の舞台初演は1966年ですが、初演の前からヘプバーン主演での映画化が決まっていたとか。

グロリア役のジュリー・ハーロッドは、舞台でも同じ役を演じていたようです。

ハリー役は、今年5月、89歳で他界してしまわれたアラン・アーキン。
このころは30代前半で、誰かわかりませんでした。

マイク役は、リチャード・クレンナ。
ちょっとの役どころですが、「ランボー」(1982)の出演が印象的です。
映画は他に、その後の「ランボー」シリーズ、「砲艦サンパブロ」(1967)、「宇宙からの脱出」(1970)、
「新・悪魔の棲む家」(1978・劇場未公開)、「リバイアサン」(1989)、「裸の銃を持つ逃亡者」(1999)などの出演・主演があります。




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オードリーの珍しい役どころで、ケガをしないか心配でした~

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2 コメント

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「暗くなるまで待って」について (オーウェン)
2023-11-06 09:36:38
テレンス・ヤング監督の「暗くなるまで待って」を久しぶりに観たら、かつて観た時より面白かったですね。

もともと芝居だった作品で、舞台がほぼアパートの中だけに限定され、緻密な脚本の妙と役者の演技で魅せる渋いサスペンスものですよね。

ハリウッド製の派手なスリラーに比べると地味に思えるかも知れないが、精密に計算し尽くされた脚本は、お見事の一言。

だんだんと緊張感が高まっていき、最後には息をつかせぬ迫力で、我々観る者を釘付けにする。
CGもエロもグロも血みどろもなし。
これこそ美しき職人技だなと思います。

主人公のスージーは盲目で、彼女の夫が麻薬入りの人形をたまたま預かってしまうことから、ギャングたちの抗争に巻き込まれてしまう。

要するに、彼女のアパート内に貴重な麻薬入りの人形があり、それを手に入れたいギャングたちが、あの手この手でスージーを騙すというお話なんですね。

スージーを演じるのはオードリー・ヘプバーン、彼女を騙そうとするこわもてのギャングたちは三人。
スージーの夫は、最初と最後に出てくるだけで、彼女の力にはなれない。
彼女のヘルパーになるのは、小さな女の子一人だけ。

まず最初に、盲目のスージーの無力さが強く印象づけられる。
すぐ目の前に落ちているものを拾うことさえできず、灰皿の中で紙がくすぶっているだけでパニックになり、警察に電話して「部屋の中で何かが燃えてる! 助けて!」と叫ばなければならない。

あまりにもか弱い存在だ。それからおもむろに、このスージーを脅すためにアブナイ男三人が登場する。
この三人の使い方も実にうまい。

ロートとトールマンとカーリノの三人だが、最初はトールマンがメインになってスージーに接し、ロートは脇に回る。

トールマンは、ギャングの一味だが、どこか侠気がある男で、実際にスージーの立場に同情し、手を引こうとする。
すると不気味で残酷な男ロートが前面に踊り出して、終盤の容赦ない恐怖を盛り上げていく。

ラストのロート対スージーの対決は、様々なアイディアを盛り込んだ直接的なアクションで見せるが、前半のトールマン対スージーは心理戦だ。

トールマンの嘘にあっさりと騙されてしまうスージーだが、その後で少女グローリーとの連携がうまく活用される。
あの「電話のベルを二度鳴らす」という仕掛けで、スージーが真相に気づくくだりは、非常に巧いと思います。

そして、有名なあのラスト。絶対絶命を悟ったスージーは、無我夢中でアパート中の電灯を壊して回る。
暗闇が、彼女を守る最後の砦となるのだ。

アメリカでこの映画が上映された時、このシーンでは、映画館中の電灯が消え、実際に客席が真っ暗闇になったそうだ。
心憎い趣向である。そういう状態でこの映画を観たら迫力は倍増だろう。

冷酷な殺し屋ロートが、盲目のスージーを容赦なく襲うクライマックスに盛り込まれた、サスペンスを盛り上げるためのアイディアの量は、半端ないものがある。

マッチとガソリン、ステッキ、そして冷蔵庫。
あらゆる小道具大道具が、驚くべき展開を担う。
そして、追い詰められるスージーの絶望の演技と、名優アラン・アーキン演じるロートのサディスティックな凄み。

今観るとそこまで強烈なことは何もしていないにもかかわらず、もの凄く、非常に残虐でサディスティックな印象を醸し出す。

もちろん、それは華奢なヘプバーンの恐怖に打ち震える演技の見事さにもよるものだが、それまでの伏線がガッチリ効いているからでもある。

リアリティという意味で言えば、ギャング三人が盲目の女性一人を相手に、あそこまで手の込んだ芝居を打つだろうかとか、スージーがああまで懸命に人形を守る理由がないなど、突っ込みどころはあるが、これはリアルな犯罪映画というより、パズラーに近い人工的なエンターテインメントなんですね。

緻密な設定と伏線が、ジグソーパズルのように噛み合って、サスペンスを醸成する、知的遊戯なのだと思います。

そういう意味において、これは精緻な脚本と演出によって、職人的に作りこまれた、見事に知的なサスペンス映画の傑作であると思います。
返信する
こんにちは (オーウェンさんへ)
2023-11-06 13:31:29
とても詳しい感想を頂いて、
恐縮でございます 
私もたくさんの感想を持ちますが、
先入観なくご覧頂くために、ご紹介に留めています
この映画はお恥ずかしながら初めて観ました
オードリーの珍しい演技が新鮮でした
返信する

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