前原誠司はハニトラ北朝鮮工作員「拉致問題を無視して北朝鮮を支援しろ!」・週刊文春が証拠写真公開

2017年09月14日 | 政治社会問題
前原誠司はハニトラ北朝鮮工作員「拉致問題を無視して北朝鮮を支援しろ!」・週刊文春が証拠写真公開


http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-6794.html




前原誠司民進党代表と北朝鮮美女“親密写真”を入手
国会議員になって既に結婚もしていたが、平成11年(1999年)に国会を抜け出し北朝鮮を訪問し、ハニートラップにかかっていた前原誠司

前原が身体を密着させて後ろから女性に下半身を押し付け、ジャレ合っているシーンとは、次のシーンのことだと考えられる。
「後ろから前原♪」


▼前原誠司と北朝鮮▼

平成4年(1992年)前原誠司が、初めて北朝鮮を訪問

平成11年(1999年)、前原誠司が、2度目の北朝鮮訪問。
前原は衆議院議員となっていたが、国会をサボって極秘に訪朝して北朝鮮美女のハニートラップにかかって「後ろから前原♪」(写真)
なお、この時、前原は、「よど号」をハイジャックして北朝鮮に亡命した実行犯4人とも対面し一緒に記念撮影!

平成19年(2007年)、国会で、前原誠司は、北朝鮮への重油支援を拒否した日本政府(安倍晋三政権)に対して「北朝鮮に重油支援をすべき!」と主張!

平成20年(2008年)、国会で、前原誠司は、日本政府(福田康夫政権)に対して「拉致問題の進展がなければ何もかも支援をしないということは、むしろ外交の裁量を狭める」などと述べ、拉致問題の進展なしでも北朝鮮を支援するよう要求!

平成22年(2010年)、外務大臣に就任した前原誠司は、それまでの「日朝交渉の基本は拉致問題の進展が前提」という原則を白紙にして「日朝直接対話を進める」旨の発言を繰り返す!
すると、北朝鮮は、拉致問題を無視して直接対話に意欲を見せる前原誠司外務大臣の発言を歓迎!

平成29年(2017年)9月、民進党代表になった前原誠司だが、「週刊文春」によって1999年に国会をサボって極秘訪朝した時に撮った『北朝鮮美女“親密写真”』を公開される。
以前から前原誠司は露骨な北朝鮮工作員だったが、少なくとも1999年にはハニートラップにかかっていた証拠が出る。
【動画】文春「前原誠司民進党代表 北朝鮮美女の“ハニートラップ疑惑”」

【動画】文春「前原誠司民進党代表 北朝鮮美女の“ハニートラップ疑惑”」

前原誠司民進党代表と北朝鮮美女“親密写真”を入手
http://bunshun.jp/articles/-/4105
前原誠司民進党代表と北朝鮮美女“親密写真”を入手
source : 週刊文春 2017年9月21日号

 9月1日の民進党代表選で、新代表となった前原誠司氏(55)に、北朝鮮との不可解な蜜月関係が発覚した。

 小誌は1999年6月3日に北朝鮮を代表する観光地・妙香山で撮影された複数枚のスナップ写真を入手。そこには大自然をバックに、親密に身体を寄せ合い、カメラに向かって微笑む当時37歳の前原氏と、北朝鮮美女の姿が写っている。中には、前原氏が女性の頬に後ろから手をまわして顔を引き寄せたり、身体を密着させて後ろから女性に下半身を押し付け、ジャレ合っているシーンもある。

 小誌取材班が取材を進めたところ、これらの写真は、当時2回生議員だった前原氏が地元・京都の支援者とともに、訪朝した際に撮影されたものであることがわかった。この支援者は次のように語った。

「(写真は)妙香山の河原でバーベキューをした時。(相手の女性は)炭をおこしたり、セッティングしてくれる接待係。(中略)あの時もベロベロになるくらいビールや焼酎を飲んだ」
●山尾幹事長を撤回、新人事からつまずいた前原新代表 ©時事通信社
山尾幹事長を撤回、新人事からつまずいた前原新代表 ©時事通信社

 前原氏を直撃した。

――(写真を見せながら)99年に訪朝された時の写真ですが、記憶にありますか?

「ありますね」

――女性とかなり親密な感じだが。

「外ですし、たくさんの人数の中ですから。北朝鮮の方もたくさんいますから」

 事務所を通じて、ハニートラップの疑いを指摘したが、「やましいことは何もありません」と回答した。

 インテリジェンスが専門の軍事アナリスト、上田篤盛氏はこう指摘する。

「こうした国で女性と親密になるのは論外ですし、写真撮影などのちょっとした友好関係も後に弱点になると考えるべき。(中略)訪問者はあらゆる場所において監視され、弱点を探られているのです」

 YouTubeの「週刊文春公式チャンネル」では問題の写真を含んだ動画を配信中(https://youtu.be/M7Rl5Mwp4PE)。

 前原氏と北朝鮮の間に何があったのか。疑惑の詳細は、9月14日発売の「週刊文春」9月21日号で報じている。
前原誠司民進党代表 北朝鮮美女の“ハニートラップ疑惑”≪予告編≫
■動画
前原誠司民進党代表 北朝鮮美女の“ハニートラップ疑惑”≪予告編≫
https://www.youtube.com/watch?v=M7Rl5Mwp4PE



>9月1日の民進党代表選で、新代表となった前原誠司氏(55)に、北朝鮮との不可解な蜜月関係が発覚した。


前原誠司は、以前から「拉致問題の進展を無視して北朝鮮を支援しろ!」と国会で要求してほど露骨な北朝鮮工作員だった!

今回「週刊文春」は、前原誠司が北朝鮮工作員であることを裏付ける証拠写真を公表したということだ。





>小誌は1999年6月3日に北朝鮮を代表する観光地・妙香山で撮影された複数枚のスナップ写真を入手。そこには大自然をバックに、親密に身体を寄せ合い、カメラに向かって微笑む当時37歳の前原氏と、北朝鮮美女の姿が写っている。中には、前原氏が女性の頬に後ろから手をまわして顔を引き寄せたり、身体を密着させて後ろから女性に下半身を押し付け、ジャレ合っているシーンもある。


前原が身体を密着させて後ろから女性に下半身を押し付け、ジャレ合っているシーンとは、次のシーンのことだと考えられる。
前原が身体を密着させて後ろから女性に下半身を押し付け、ジャレ合っているシーンとは、次のシーンのことだと考えられる。

【才能のムダ遣い】文春砲2弾、前原さんで歴史に残るAAがうpされ2ch騒然

「後ろから前原♪」 【才能のムダ遣い】文春砲2弾、前原さんで歴史に残るAAがうpされ2ch騒然
「後ろから前原♪」





>事務所を通じて、ハニートラップの疑いを指摘したが、「やましいことは何もありません」と回答した。


いや、前原誠司が北朝鮮の工作員だということは、かなり以前から確信されていた事実であり、実際にやましいことも山ほどある!

前原誠司は、国会を抜け出して極秘に北朝鮮を訪問し、北朝鮮美女と「後ろから前原♪」をやっておいて、その後は「拉致問題の進展を無視して北朝鮮を支援しろ!」と国会で要求したのだから、北朝鮮にハニートラップ工作員であることは間違いない!

「やましいことは何もありません」などと良くも言えたものだ!

平成23年(2011年)2月1日の予算委員会で、当時外務大臣だった前原誠司は、自民党の稲田朋美議員から、前原の2回の訪朝後に北朝鮮の工作員丸出しの言動について追及されている。
――――――――――
稲田朋美
 最後に、前原大臣にお伺いをいたします。
前原大臣は昨年の暮れから、日朝直接対話を進める旨の発言をされています。
しかも、日朝間の交渉の進め方は白紙とおっしゃってい ます。
いったいどういう意味かわかりません。
 日朝交渉の基本は拉致問題の進展が前提のはずです。
大臣の発言は、拉致問題で日本が軟化したとのメッセージになります。
現に北朝鮮メディアからは、直接対話に意欲を見せる前原大臣の発言を歓迎し、肯定しております。
 安倍総理のとき、六か国協議で北朝鮮に重油支援をすることに決めましたが、日本はそれを拒否しました。
国益に合致した正しい判断でした。
ところが大臣は、一貫して重油支援をすべきだという姿勢で質問をされたのです。
 また福田総理のときも「拉致問題の進展がなければ何もかも支援をしないということは、むしろ外交の裁量を狭める」という、そういう質問をされております。
 どうして大臣は、そんなに北朝鮮に甘いのでしょうか。
 大臣は平成四年と平成十一年、二度、北朝鮮を訪問されています。
平成十一年、大臣はすでに衆議院議員でしたが、ご地元の支援企業と一緒に訪朝されています。
その目的は何で、北朝鮮でどなたにお会いになりましたか。

前原誠司
 あのまず後者からお話をいたします。
私の地元の企業で、手機の織物をしている会社が、中国で仕事をされておりましたけれども、中国の人件費が上昇したということで、北朝鮮で仕事ができないかということを相談を受けまして、そして京都の朝鮮総連を通じて、その企業が北朝鮮に工場をつくられることになったと、その工場ができたところを見に行ったというのが、私の二回目の訪朝の全体像でありまして、それ以上でもそれ以下でもございません。
――――――――――


ちなみに、前原誠司が結婚したのが平成6年(1994年)で、北朝鮮でハニトラにひっかかっていたのが平成11年(1999年)だから、一種の不倫とも言える。

前原誠司の妻の愛里は、創価短大を卒業し、大手人材派遣会社「パソナ」に就職し、創価学会信者の南部靖之社長の秘書をやっていた。(南部社長の愛人もやっていたと言われている)
前原誠司の妻の愛里。創価短大出身で、創価学会信者であるパソナグループの南部靖之代表の元秘書。
前原誠司の妻の愛里は、創価短大出身で、同じく創価学会信者であるパソナグループの南部靖之代表の秘書だった。


なお、前原誠司は、ハニトラにかかった1999年の二度目の訪朝の際、日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に亡命したテロ実行犯4人とも対面して一緒に写真を撮影していた!
前原大臣、北朝鮮で痛恨のピースサイン!
前原大臣、北朝鮮で痛恨のピースサイン!

前原は、上記の「よど号」ハイジャック犯との対面についても、平成23年(2011年)2月21日の衆院予算委員会で同じく稲田朋美から追及を受けている。
――――――――――
稲田朋美
北朝鮮でよど号の犯人に会って何をお話になり、何故、よど号の犯人にお会いになったんですか?

前原誠司外務大臣
えー高麗ホテルというところに宿泊をいたしまして、その高麗ホテルたまたまバッタリ玄関でお会いをいたしました。
(略)
おそらく4名だったと思いますが、4名の名前は忘れました。

稲田朋美
偶然に会ったとか、4名の名前を忘れたとか、日本に対する国家的な犯罪をして北朝鮮に匿われている犯罪者、犯人とお会いにって公安調査庁にも報告をされた。それが偶然にだとか、名前を忘れたとか、私は理解が出来ません。また、大臣はその4名と写真を撮ったのではありませんか?

前原誠司
写真も撮りましたし、その写真も公安調査庁に提出しました。

稲田朋美
それが私は信じられませんね。普通、日本の国家犯罪をした人と偶然に会って、大臣はバッジを外して私企業の工場視察に行って、用心深くバッジを外して行って、よど号の犯人と一緒に写真に収まる。これ私は信じられないですけど、最初からよど号の犯人と会うようにセットされていたんじゃありませんか?
――――――――――



最後に「前原誠司と北朝鮮のまとめ」を再掲載!

▼前原誠司と北朝鮮▼

平成4年(1992年)前原誠司が、初めて北朝鮮を訪問

平成11年(1999年)、前原誠司が、2度目の北朝鮮訪問。
前原は衆議院議員となっていたが、国会をサボって極秘に訪朝して北朝鮮美女のハニートラップにかかって「後ろから前原♪」(写真)
前原が身体を密着させて後ろから女性に下半身を押し付け、ジャレ合っているシーンとは、次のシーンのことだと考えられる。
なお、この時、前原は、「よど号」をハイジャックして北朝鮮に亡命した実行犯4人とも対面し一緒に記念撮影!

平成19年(2007年)、国会で、前原誠司は、北朝鮮への重油支援を拒否した日本政府(安倍晋三政権)に対して「北朝鮮に重油支援をすべき!」と主張!

平成20年(2008年)、国会で、前原誠司は、日本政府(福田康夫政権)に対して「拉致問題の進展がなければ何もかも支援をしないということは、むしろ外交の裁量を狭める」などと述べ、拉致問題の進展なしでも北朝鮮を支援するよう要求!

平成22年(2010年)、外務大臣に就任した前原誠司は、それまでの「日朝交渉の基本は拉致問題の進展が前提」という原則を白紙にして「日朝直接対話を進める」旨の発言を繰り返す!
すると、北朝鮮は、拉致問題を無視して直接対話に意欲を見せる前原誠司外務大臣の発言を歓迎!

平成29年(2017年)9月、民進党代表になった前原誠司だが、「週刊文春」によって1999年に国会をサボって極秘訪朝した時に撮った『北朝鮮美女“親密写真”』を公開される。
以前から前原誠司は露骨な北朝鮮工作員だったが、少なくとも1999年にはハニートラップにかかっていた証拠が出る。
【動画】文春「前原誠司民進党代表 北朝鮮美女の“ハニートラップ疑惑”」



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左:「サイコパス」中野信子著(2016/11/18)
右:百田尚樹『今こそ韓国に謝ろう』2017/6/15(関連記事)




「前原誠司は、北朝鮮のハニトラ工作員!」
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フィリピン糞ネット問題

2017年09月14日 | フィリピン永住生活、、天国か地獄かな
フィリピン糞ネット問題


先程、ネットの営業所からテクニシャンが来て、、、ルーターやpcを点検したが問題ない。

<<こんな事、素人の俺でも分かる>>

結局フィリピンのネットのキャパが低いのが原因だ!!!!!!!

ネット利用者、増加にネット トラフィックが追いつかない。


マニラにレポート送るなどと行ったが<<改善されないだろう>>根本はフィリピンのネットインフラが悪いからだ!!!


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カワサキ問題、、、フィリピンライフ

2017年09月14日 | モーターサイクル整備関係


カワサキ問題、、、フィリピンライフ


昨日、オイルラインの修理をしたが<<まだ、少しリークする>>、、、わざわざシリンダーヘッドOutしてマシンしョップでねじ山を再生した。

原因は、入れ墨メカニックが<<コッパーワッシャーを紛失してごまかして組み上げた>>からだ!!

この野郎!!!


現在、新しく見つけた真面目なメカニックにやらせている。

フィリピン人には珍しく厳しい仕事をする。


今朝は、昨日溶接した車両が、、他箇所がヒビなどと言うので<<ブラザーと呼ぶ、うちの高技能ドライバーに溶接してもらった>>助かる。

こういう人材が稀にいる(殆どはどうしようもない連中だが)


このブラザーは長男で、次男(これは真面目だが馬ヵ)、三男(これは少し邪悪が有るので夜間だけ)、ヨンナン(これは観察中)もうちで働いている。








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「キムチばかり食べて頭おかしくなったのか」 中国、韓国罵倒 THAAD配備で

2017年09月14日 | 朝鮮エベンキ族
「キムチばかり食べて頭おかしくなったのか」 中国、韓国罵倒 THAAD配備で
9/14(木) 9:30配信 産経新聞
 【ソウル=名村隆寛】北朝鮮の弾道ミサイルに対処する米軍の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の配備を完了させた韓国が、配備に猛反発する中国からの本格的な報復に不安を募らせている。

 THAADは7日に4基が追加配備され、13日までに事実上、全6基での運用に入った。配備に前後して中国外務省は駐中国の韓国大使を呼んで抗議し、同省報道官が連日、配備中断や撤去を求めた。

 韓国への露骨な反発を示したのは中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報(7日付)の社説だ。同紙は「韓国の保守主義者はキムチばかり食べて頭がおかしくなったのか」「北朝鮮の核開発と大国間の勢力争いの中を漂う浮草になる」「韓国は寺や教会が多いのだから、その中で祈ってろ」などと韓国を揶揄(やゆ)した。

 韓国メディアはこの侮辱に一斉に猛反発。「非常に下品な言葉」「中国共産党指導部の水準そのもの」(朝鮮日報)、「特有の暴言を吐出した」(中央日報)といった批判が噴出した。特に韓国の国民的食品であるキムチまで持ち出したことに、民族感情を強く刺激されたようで、「韓国人全体への罵(ののし)り」(東亜日報)だとして不快感をあらわにした。

 THAAD配備は朴槿恵(パク・クネ)前大統領が昨年1月に検討を表明。当時、野党側で反対していた文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、核・ミサイル脅威の現実に目覚め、急遽配備を認めた。「国益と安保的な必要性に従い決定した」(康京和=カン・ギョンファ=外相)わけだ。

 しかし、中国側は韓国の国益など気にも留めていない。最大貿易相手国で輸出の25%を中国に頼る韓国は、中国国内で小売業や製造業など各業種が大打撃を受け、撤退や営業停止、店舗売却をする企業も出ている。また、韓国を訪れる中国人観光客も激減を続けている。

 韓国は「幼稚なTHAAD報復」(中央日報)と批判しているが、報復による経済損失は8兆5000億ウォン(約8500億円)に上る見通しだ。中国在住の韓国人が巻き込まれた犯罪の急増も韓国外務省の報告で判明している。

 韓国政府は経済への打撃をめぐり世界貿易機関(WTO)への提訴も選択肢の一つに考えているというが、「中国による国を挙げての報復は始まったばかり」(東亜日報)のなか、韓国としてなすすべがないのが実情だ。
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退職前のサラリーマンを襲う「役職定年」実はこんなに怖い

2017年09月14日 | 政治社会問題


退職前のサラリーマンを襲う「役職定年」実はこんなに怖い
9/13(水) 13:00配信 現代ビジネス
退職前のサラリーマンを襲う「役職定年」実はこんなに怖い
写真:現代ビジネス
 こんなはずじゃなかった――。ゴールを目前に控えて訪れる「屈辱の日」。権力と権威を奪われ、年下の上司の顔色を窺う生活。今から準備しなければ、会社員人生の最後の数年が「針のむしろ」になる。

退職前のサラリーマンを襲う「役職定年」実はこんなに怖い
Photo by iStock
もっと出世するはずだった
 自分は大企業の管理職だったのだ。役職定年になって管理職を退いても、社内、社外問わず、有益な人材として引く手あまたのはずだ――。

 そう思うのは多くの場合、勘違いだ。パナソニックOBが言う。

 「うちは55歳前後で役職定年となり、役職定年者にはネクストステージパートナー制度という再就職先を斡旋する制度が用意されています。これは人材派遣会社を経由して、再就職先を探すというもの。

 しかし、4社も5社も再就職試験を受けては落ち、1年が過ぎることも少なくない。その場合は、会社に頼み込んでどこかに配属して残してもらうんですが、これはみじめですよ。

 周りの部員は経緯を知っていますからね。元管理職であろうとも、ダメ社員のレッテルを貼られ、まったく相手にしてもらえません。結局、パナソニックの課長をしてきただけでは、世間ではまったく通用しないと思い知らされるんです」

 一定の年齢になると、能力にかかわらず、自動的に管理職の職務を解かれる――これが役職定年だ。各社によって制度は様々だが、一般に「53歳までに課長以上にならない場合」、その次は「57歳までに部長以上にならない場合」に管理職から降格されることが多い。

 会社側は「これまでのキャリアを活かして、今後も頑張ってくれ」と耳触りのいい言葉を言うが、実際は部下もおらず、満足な仕事ができないケースがほとんどだ。

 これまでのキャリアと畑違いの部署に飛ばされることもよくある話。役職定年は、大企業の約5割で導入されているが、多くのサラリーマンがその現実に向き合っていない。

 自分はもっと出世するに違いない。部課長で終わるはずがない。そんな思い込みが、不都合な現実から目を背けさせる。

 富士通グループでは彼らの処遇に頭を悩ませている。現在はグループ会社に転籍している本社の元部長がこう話す。

 「一昔前ならば、役職離任(富士通では役職定年をこう呼ぶ)した社員が、とくに何の仕事もせずに同じ部署にそのまま残っても大して気にもしていませんでした。

 しかし、現在は役職離任者の人数が増えて、部署の仕事の邪魔になっています。元管理職の年上社員に現場の社員は遠慮する。一方で、役職離任者は何かと現場に口を出してくる。お互いが部署内でギクシャクする環境ができてしまっているのです。

 そこで数年前から富士通では役職離任者ばかりを集める子会社を設立しました。役職離任者を、まずは別会社に移すんです。要するに口減らしですね。役職離任者の仕事はこの子会社から提供されますが、これまでのキャリアを活かせる仕事はそう多くない。

 ひどいケースでは、富士通のグループ会社が手がける工事現場の交通整理の仕事が斡旋されてきたこともあるそうです」

 役職定年の目的は、限りあるポストを社内でスムーズに回していくことにある。中高年専門ライフデザインアドバイザーの木村勝氏が言う。

 「大企業は、毎年大量の新入社員を採用するところが多く、どんどんポストを回していかないと、組織がうまく機能しません。

 また、役職定年によって世代交代を行うことで、組織や人材の硬直化を防ぐ目的もあります。ポストの数は限られており、同じ人がずっとその地位に居続けると、下の人が昇進できなくなってしまいますから」

 現在、企業は人手不足で、役職定年を見直して、シニア人材の積極的な活用に舵を切っている会社もある。しかし、これで中年管理職が安泰かと言うと、そうではない。


誰も言うことを聞かない
 今後、役職定年はさらなる問題になると、木村氏は指摘する。

 「今年、バブル世代が48~52歳になり、まさに管理職世代になっています。そして、その下には人口の多い団塊ジュニア世代(43~46歳)が控えている。団塊ジュニアが上がってくると、かつてのようにポスト不足になることが予想されます。

 以前は役職定年の前後で、関連会社に出向、あるいは転籍するケースが多かった。ところが、現在は関連会社にも余裕がなくなっています。本社から『天下り』のような人材を受け入れることを敬遠しがちです。

 そうなると、役職定年を迎えてモチベーションが低くなっているシニア社員が社内で目につくようになり、若手社員に不満が溜まりやすくなる。今後、バブル世代が役職定年を迎えると、その傾向はさらに加速するでしょう」

 ある電子機器メーカーの元販売部長(60歳)はこう嘆く。

 「入社以来、営業一筋で、52歳で販売部長に出世しました。自分で言うのもなんですが、同期では出世頭と自負していました。取締役は間違いないと思っていましたし、周囲もそう見ていたはずです。

 その歯車が狂い出したのが、3年前。以前からかわいがってくれていた役員が派閥争いに敗れてからです。

 私自身、仕事上のミスをしたわけではないし、求められる目標もクリアしてきた。しかし、現主流派としては、私も目障りな存在だったのでしょう。57歳で部長以上に上がれなければ、役職を解く『役職定年』の制度を建て前に、上層部から排除されました」

 元販売部長は、お客様相談センターの次長に異動になった。しかし――、

 「次長といっても、部下がいるわけでもないし、コールセンターのオペレーターがお客様とトラブルになったときにアドバイスをする程度で、これといった仕事もない。

 日がな一日、新聞や雑誌を眺めて過ごしているだけです。困るのは昔の癖が抜けないこと。気になる記事があったら、つい『誰かこれのコピーを取ってくれないか』と言ってしまう。

 部長だった時なら、すぐに誰かが飛んできてくれたのですが、今は誰も立ち上がりません。『このジジイ、役職定年で飛ばされたくせに、何様のつもりだ』などと思われているのでしょう」


もうゴルフにも行けない
 また、大手化学メーカーの元営業部長(60歳)は、役職定年の制度自体に納得していない。

 「役職定年の壁を突破できるのは、同期の中で1割にも満たないことはわかってはいました。とはいえ、昨日まで部長と呼ばれていたのが、◯◯さん、と名前で呼ばれる。

 それもかつての部下からそう呼ばれるのは屈辱です。出世競争に敗れて左遷されるとか、成績を出せずに降格されるのなら、納得はできます。しかし、役職定年は、年齢だけで役職を奪い取る制度。これが釈然としない。

 役職定年になって年収は35%ほど下がりました。小遣いも半分に減らされた。これまでは昼食を近所のレストランで取っていたのですが、女房と相談して、弁当を持って行くことにしました。それを見た女子社員がクスクスと笑っていたときの屈辱は忘れられません」

 まさに今年、役職定年を迎える、バブル世代の大手電機メーカーの現役担当部長(53歳)にも話を聞いた。

 「課長から担当部長は53歳、統括部長は55歳、部門長は57歳で役職定年を迎えます。なので、私は来年度の4月から別の役職になるでしょう。

 私が部長だった時、役職定年になった50代の元課長2名が部署に入ってきたことがありました。この人たちが使いにくかったんですよ。モチベーションが続かないし、プライドも高いので、部署内で軋轢も起きていた。年下の上司である新任課長に対して、自分のほうが能力があるとマウンティングをしたり、公然と課長を批判したり。

 そりゃ、年下の上司より、自分のほうが仕事ができるという気持ちはわかります。役職定年は年齢に沿った仕組みで、若いから優秀とも限りませんから。一方で役職定年は若い人が役職に就くチャンスでもある。それを支えてあげるのが、先輩の役割でしょう」

 結局、この担当部長は二人を呼び出し、「あなた方はこの部署に合わない」と言い渡したという。結局、一人は異動し、もう一人は転職をした。

 「立場上、私は役職定年者の気持ちも、新任課長の気持ちも両方ともわかるんです。

 ただ、それが自分自身の身に起こるとどうなるのか、それがわからない。いざ、私も年下の上司に仕えたら、私がかつて追い出した役職定年者と同じような振る舞いをしてしまうかもしれません。達観して年下の部下を支えられるか、不安な部分があります」

 かつて部下にした仕打ちがそのまま自分に返ってくる。これもまた役職定年者を待ち構える試練である。中堅電機メーカーの元営業所長(59歳)は、かつて「鬼所長」と呼ばれていた。

 「私はこれまで、一貫して営業畑でしたが、部下に対してはかなり厳しく接していました。私が若い頃の上司もそうでしたし、それが当たり前と思っていた。

 本社での会議を終えて支店に戻り、部下に会議の内容を説明する際、気に食わない部下に対して『君は参加しなくていい。それより契約を取ってこい』と追い返したこともありました。

 今回、役職定年を迎え、同じ支店の次長になりました。次長と言っても部下はいません。それだけでも屈辱なのですが、なんと今の支店長が、当時、私が厳しくあたった部下なのです。

 当然のように、かつて私がやったことを、そのままやり返されました。支店の営業方針を決定する会議の時、私も会議室に行ったら、『いや、◯◯さんは結構です。自分の仕事をしてください』と締め出された。

 ドアの向こうではどっと笑い声が上がりました。自業自得といえばそれまでですが、娘が結婚するまではなんとか会社にしがみつこうと思います」

 会社で居場所がなくなったことを、家族に説明するのも辛い。大手食品メーカーの元部長(62歳)がこんな経験を明かす。

 「私が以前、役職定年を言い渡されて困ったのが、家族への説明です。私自身、役職定年を理解していなかったのは、自分が対象になるとは夢にも思っていなかったから。最初、部長を外されることになったと妻に告げたときは、『会社のおカネでも使い込んだの? と心配されたほどです。

 私の趣味はゴルフでしたが、給料が減ったため、妻からは小遣いを半分にされ、そんな余裕はなくなりました。さすがにプライドがあり、外部に部長を外されたからとはいえなかったので、毎週、断る言い訳を考えるのに疲れましたね」


プライドを捨てられるか
 もちろん、役職定年になったすべての人が不幸になるわけではない。むしろ、そこで無駄なプライドを捨てて、新たなモチベーションを発見することで、人生を再出発できるいい機会と考えることもできる。

 人材育成支援会社、人財プロマッシー代表の増島和彦氏は、日産自動車でキャリアを積んだ後、人材育成のプロとして独立した。増島氏が語る。

 「私は'74年に入社し、海外畑を中心に働いてきましたが、'99年にカルロス・ゴーンが登場し、仕事や組織も抜本的に見直されました。51歳の時に当時のフランス人役員から『日産の外でキャリア開発をしたほうがいい』と引導を渡されました。

 ラッキーだったのは、人事担当役員が私に興味を持ってくれ、社内異動できたことです。日産の部長の役職定年は55歳で、私もその時点でラインを外れましたが、新たに人材開発部シニアインストラクターとして再スタートを切りました。

 もちろん、普通の管理職と比べると収入は低くなります。でも、せっかく人事部門に席を移した以上、人材育成のプロになりたいとコーチング関係の資格も取得しました。結局、62歳まで日産に勤め、現在はノウハウを活かして独立・起業しています」

 そして、増島氏はこう続ける。

 「組織の新陳代謝を促すために、役職定年自体は悪い制度ではないと思います。ただ、制度の運用の仕方に問題がある。

 私のように役職定年をポジティブな転換点として捉える人は少ないと思うんです。だから、会社側が役職定年者に対して、もっと積極的に働きかけていかないといけない。

 企業は原則的に65歳まで雇用する義務があります。そうなると、役職定年してから会社人生は約10年もある。

 その間、愚痴をこぼしながらネガティブに生きていくより、自分の強みを見つけてそれを活かしたほうがいい。長い間働いてきたのですから、絶対に何らかの強みはあるはずです」

 役職定年の日を漫然と待つか、それとも動き出すか。それが人生の終盤戦を大きく左右する。

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