サンパウロ市地下鉄5号線=レール幅異なる車両26台購入で200億円以上の損害=使われないままに保証期限切れ

2018年04月20日 | 旅行


サンパウロ市地下鉄5号線=レール幅異なる車両26台購入で200億円以上の損害=使われないままに保証期限切れ
4/20(金) 7:20配信 ニッケイ新聞
サンパウロ市地下鉄5号線=レール幅異なる車両26台購入で200億円以上の損害=使われないままに保証期限切れ
建設中の5号線のシャカラ・クラビン駅
地下鉄の車両購入に伴う不手際で、州財政に6億レアル以上の損害を出したとして、サンパウロ州都市交通局長のクロドアルド・ペリシオーニ氏や、サンパウロ市地下鉄(メトロポリタン公社・以下メトロ)総裁のパウロ・フィゲイレド氏ら、9人を対象とした起訴状を、サンパウロ州地裁が受理したと、19日付現地各紙が報じた。
 サンパウロ州検察局が提出した起訴状には、11年7月にメトロが5号線用に購入した26両の車両が使われずに放置され、6億1500万レアルの損害が生じたと記されている(被告人の罪状は「不適切行政」)。
 起訴状受理を決めたのは、サンパウロ州地裁、第12公共財務法廷のアドリアーノ・ラロカ判事だ。
 被告人には、サンパウロ州都市交通局長、メトロ総裁の他に、サンパウロ市役所秘書室長のセルジオ・アヴェレーダ氏、メトロ元総裁のピーター・ウォーカー、ルイス・パシェコ、ジョルジ・ファガーリの各氏、元サンパウロ州都市交通局長ジュランジール・フェルナンデス氏、メトロ元役員のダヴィジ・ツルブキ、ラエルシオ・ビアッツォッチ両氏が名を連ねる。
 この9人は、車両購入契約書類に署名している。車両を販売したスペインのCAF社は告発を受けていない。
 訴状では、損害額の6億1500万レアルの3割に当たる、1億8400万レアルの賠償を、9人に請求している。
 5号線は未だに全線開通には至らず、一部区間はテスト中だ。被告人たちは無罪を主張しており、サンパウロ州都市交通局もメトロも、「州財政には損害を与えていない」としている。
 担当検事のマルセロ・ミラネ氏は、「(被告人たちは)とるべき措置をとらず、車両を放置した。サンパウロ州政府は、『メトロは完成した』と喧伝しているが、実際は完成していない」と語る。
 起訴状には、「車両は使われないまま放置され、メーカーの保証期間も過ぎようとしている。維持費として、更なる出費が必要で、公庫への損害は明らか」と記されている。しかも、5号線のレールの幅と26車両の車輪の幅は異なっているともいう。
 5号線は、1998年にパウリスタ都電公社(CPTM)の支線として建設が始まった。2001年にメトロが計画を引き継ぎ、カッポン・レドンド駅~ラルゴ・トレーゼ駅区間が02年に完成した。
 残りの工事は2010年に再開するも、すぐに談合疑惑発覚で中断。2013年に工事が再開され、14年2月にアドルフォ・ピニェイロ駅、17年9月にアウト・ダ・ボア・ヴィスタ、ボルバ・ガト、ブルックリンの3駅、今年3月にエウカリプトス駅、4月5日にモエマ駅が開通した。
 完成すれば、サンパウロ市南部のサントアマーロ地区とメトロ1号線を結び、住民の交通の便は大きく改善されるが、全線開通までには今年いっぱいかかると見られている。
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「自分だけ父から暴行」「本当の弟たちは慶應に…」 新生児取り違え事件、被害者たちの苦しみ

2018年04月20日 | 事件
これは即座に訴訟事案だが、貧乏家庭で法的な教養がない者なので事態が悪化、取り返しがつかないことに至る。

まして、真の家庭が裕福で大学進学の兄弟がいて幸せで自分がテレビのな無く、阻害されていた。貧乏なので連鎖反応で自分も下層労働者で生きてきたなら本当に悔しいだろう。

せめて今からでも損害賠償訴訟を提起して金銭で人生を補填するしかない。

順天堂大学病院を許すな!!



「自分だけ父から暴行」「本当の弟たちは慶應に…」 新生児取り違え事件、被害者たちの苦しみ
4/20(金) 8:01配信 デイリー新潮
「自分だけ父から暴行」「本当の弟たちは慶應に…」 新生児取り違え事件、被害者たちの苦しみ
順天堂医院
 新生児取り違えは、アイデンティティを奪われ、違和感に覆われた縁もゆかりもない場所で生きることを強いられる点で、拉致被害に似ている。にもかかわらず、小林義之さん(51)=仮名=が被害者となった「週刊新潮」報道の取り違い事件では、加害者たる順天堂医院が、小林さんと取り違えられた相手の「平穏な生活」を乱すなと強弁し、本当の親に会わせてほしいとの訴えを拒んだ。拉致の常習国をなお「地上の楽園」と呼ぶのにも似て、空恐ろしさすら禁じ得ない。

【動画】順天堂との「話し合い」音声

 ***

「本当の親が知りたい。それだけなんです。知る怖さはあるけど、知らないでいるほうが幸せだなんてことは絶対にない。近所の親子連れを見ても、親子が出てくるドラマを見ても”俺の本当の両親はだれなんだ”と考えてしまいます。50歳をすぎて本当の親を知っても、いまさら人生は変わらないでしょう。それでも知りたい。仮に私が生まれたとき30歳だったら、もう80歳。時間がないけど、ギリギリ間に合うかもしれない。母だって本当の子供に会いたいはずです。私は最後の親孝行に、母の本当の息子も探したいんです」(小林さん)

 取り違えの事実を突きつけられた被害者たちは、順天堂がいうように「平穏な生活」を乱され、恨んでいるのだろうか。1958年に都立墨田産院で取り違えられた江蔵智さん(60)が実名を明かして語った。

「私は父母と弟の4人家族で育ちましたが、小さいころから、家族のなかで自分だけ違うと感じてきました。どうして性格がこうも合わないのか、と思うことが何度もあった。笑うところも怒るところも私だけ違ったんです。顔についても、親戚が集まるたびに”どっちにも似てないね”と言われ、叔父に”チヨちゃん、浮気してたんだろう”と言われるたびに、いつもは勝気な母が泣いていました」

 その後の成り行きは小林さんと少し似ている。

「父からはよく殴る蹴るの暴力を受けましたが、弟は一度も殴られたことがないんです。中学に入ると反発し、14歳で飛び出してから、家にはほとんど帰りませんでしたが、私が39歳のとき父から母の入院を知らされ、久々に会いに行きました。そのとき母の血液型について、医者に”父も弟もO型、私はA型なので、AかOです”と伝えましたが、検査するとB型でした」

 遺伝子の突然変異と思い込むことにしたが、04年にDNA検査で、親子の関係が否定されたという。

「その瞬間から”産みの親に会いたい”と思い続けています。自分を産んでくれた親の顔を見たいし、どんな家で育ち、どんな人生を送ってきたのか、どうしても知りたい。父や弟は”もういいじゃないか”と言いますが、そう言ってしまえる時点で、自分とは血がつながっていないとあらためて思わされました」

 江蔵さんは06年、都を訴えて勝訴したが、実の親族には会えないままだ。

「死ぬまでにどうしても産みの親を知りたい。取り違えられた相手にも、私を育ててくれた両親がどんな人で、私がどんな家で育ったか教えてあげたい」

 そう強く語りながら、順天堂に意見する。

「平穏な生活を壊すという理由で本当の親を教えないのは、絶対に間違っています。私も取り違えられたと知って驚き、悩み、それから毎日本当の親のことばかり考え、時間もお金も費やしましたが、知らないほうがよかったと思ったことは一度もありません。真実を知ってよかった。平穏どころか、取り違えられて苦労している可能性があるので、事故を起こした病院がきちんと調べるべきです」


「一目会いたかった」
 13年には、墨田区の賛育会病院で1953年に取り違えられた男性が病院側に勝訴している。その後、本来の戸籍に入った大谷太郎さん(65)=仮名=に聞いた。

「11年10月、当時の兄から”探偵がきた。お前が病院で取り違えられた可能性があるらしい”と言われて。新手の詐欺かと思って警戒しましたが、探偵から何度も電話をもらうのでその探偵が連れてきた”弟”と会うと、一目見て間違いないと思いました。私は一緒に育った”兄弟”と体格が全然違いましたが、目の前の弟は私と体格がそっくりで、顔も似ている。DNA鑑定の結果は、大谷家の両親と親子である可能性がほぼ100%でした」

 大谷さんも、それまで違和感に縛られていた。

「2人の兄は両親に似ているのに、私は母に”あんたはだれに似たんだ”と言われる。私だけニキビができ、足の形も異なるなど、いろんな違いが見つかりました。一番嫌だったのはアパートの住人の視線。兄弟で私だけ似ていないからか、特に女性から悪意ある目で睨まれ、それがトラウマになって対人恐怖症になってしまいました。また、うちは貧乏でテレビもありませんでしたが、大谷家の弟たちは慶應大学を卒業しています。もしかしたら自分も……と、いまでも考えてしまいます。それでも真実を知ってよかった。いま、3人の弟たちと交流できるのも、真実を知ったからです」

 そして、順天堂にメッセージを送る。

「被害者の方々は、本当の親や兄弟に会わなければ絶対に後悔します。病院側がそういう機会を作ってあげるべきで、それが取り違えた病院の責任でしょう。私の場合、本当の両親は他界していましたが、弟たちから写真を見せられ、涙がこぼれました。生きているうちに一目会いたかった」

 数多(あまた)の切なる叫びを聞いても、順天堂は「平穏な生活」という建前の陰で生じているかもしれぬ悲劇から、目を逸らし続けるつもりか。

「週刊新潮」2018年4月19日号 掲載
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日本に異動したくない」ワーキングマザーの声~

2018年04月20日 | 旅行
小1の壁 ~「日本に異動したくない」ワーキングマザーの声~
平岩国泰 | 放課後NPOアフタースクール代表理事
4/19(木) 9:00

(写真:アフロ)

新学期が始まり、新1年生たちも小学校に通い始めました。保育園の待機児童が社会問題化して久しいですが、一進一退ながら少しずつ対策が効果をあげているように感じます。一方で、小学生が学童保育に入れない「小1の壁」問題への悲鳴は年々増してきています。日本の「小1の壁」について、海外の日系企業で働くワーキングマザーへのインタビューをしました。

「小1の壁とは」

子どもが小学生になり、子育てと仕事の両立が困難になる社会課題。学童保育に入れない、学童保育になじめない、など主に放課後の過ごし方に起因する。また子どもの環境が大きく変化し、子どもも保護者も悩みが複雑になる。特に4月は小学校の行事も平日に多く入り、ただでさえ忙しい新年度に保護者の仕事への負担は大幅に増大する。

4月は「小1の壁」を最も感じる季節かもしれません。私たちのところにもたくさんの悲鳴が聞こえます。そんな折、現在はマレーシアに住むワーキングマザーにインタビューができました。彼女は現地でこのように上司に訴えていました。

「ボス、日本にだけは異動したくないです!!」

彼女は元々マレーシア出身で、日本の大学に留学。大学卒業後、新卒で現在勤める日本企業に就職をしました。日本で4年間勤務し、現在はマレーシア支社に赴任して2年目です。2人のお子さんがいらっしゃいますが、お1人目を日本で出産し、長男が小学1年生までは日本で暮らしていました。仕事をしながら「小1の壁」に当たり、日本へ戻ることはもう考えられないそうです。海外から見た日本の「小1の壁」について聞いてみました。

Q:「日本ではAさんはどのような子育てをしましたか?」

Aさん「長男が保育園の時、保育時間は18時15分まで、延長で19時15分まで預けられました。通常勤務の場合、毎日の仕事をきっちり18時までに切り上げないと、お迎えに間に合わないような日々でした。1分でも遅れれば保育園からは電話が入り、お迎えを催促されます。朝もお見送りの後、仕事に遅れてはいけないと、毎日毎日が時間との戦いでした。

また、長男は頻繁に風邪をひいていました。熱が出ると呼び出しコールをいただくことになります。『熱だけは出さないで…』とよく長男に言い聞かせました。

一時期ですが、もう少し遅くまで預かってもらえる私立保育園に入園したことがあります。毎月の保育代が一気に10万円以上値上がりました。長男だけだったから、何とかしましたが、当時すでに下の子がいたら、おそらく仕事をやめざるを得なかったでしょう。」

Q:「お子さんが小学校にあがるとどう変わりましたか?」

Aさん「小学校に上がったら少し楽になるかと思ったらもっと大変でした。小学校に入ってからはもちろん放課後の学童保育を利用するしかありませんでした。集団登下校なので、お迎えの心配はなくなりましたが、学童は18時までだったので、私が仕事から帰ってくるまで家に一人で待ってもらいました。子どもにとってもかなりのストレスになっていた時期もあり、カウンセリングに行くべきかでかなり悩みました。」

「子どもだけでなく、私も大変になりました。保育園は園への送り迎えがありましたが、幸いなことに平日の行事はほとんどありません。その一方、小学校では保護者会・授業参観日など平日の行事が多々あり、そのために仕事を途中で抜けないといけない、休まないといけないこともありました。思い返すと、ここの部分が私にとって一番のストレスポイントでした。」

「今は子どもが2人いるので、もう日本で子育てと仕事が両立できるとは思えません。なのでボスに『日本にだけは異動したくないです!!』とお願いしています。」

Q「マレーシアで子育てがしやすい一番のポイントは何でしょうか?」

Aさん:「マレーシアでは住み込みメイドさんを雇うことがごく普通でして、家事や子育て全般をやってくれます。信頼できるメイドさんさえいてくれれば、安心して働けるのです。またベビーシッターサービスも充実していますし、近所の方に頼むこともできるし、生活レベルに合わせて必ず何かしら選択肢があり、子育てを手伝ってもらえる手段がとにかく豊富なのです。」

Q「マレーシアの子育てで苦労されることはないでしょうか?」

Aさん:「子育ての面では特に思い当たることがありませんが、教育の面については、日本の方が断然良いと感じています。マレーシアの保育園ではいかに早く読み書きができるようになるかを重点にしていますが、日本では片付け、身の回りのことが自分でできるようになる練習、言わば<人としての基礎教育>を教えてくれるところに魅力を感じます。」

Q「日本での子育てを振り返って感じることはありますか?」

Aさん「日本だと社会的な観念として、子育ては母親がやるものだという考え方が根強く残っています。授業参観日、保護者会議に出席するのは95%以上母親、緊急連絡先もなぜか必ず母親、子育てを手伝ってくれる父親にイクメンと愛称までつけてくれますね。『当たり前のことをやっているだけなのにね』といつも夫と話しています。私は幸い会社が子育てに対して非常に理解があったのでなんとか両立できていたと思います。日本の子育て環境は厳しく、家族も社会ももっとみんなで子育てをしなければいけないと思います。」

Aさんのお話は、日本の「小1の壁」の高さを強く感じさせるものでした。保育園から小学校に上がると予想外に大変だったという声が多いのです。Aさんのように子育て環境を理由に海外を選ぶ方もきっと他にもいらっしゃるでしょう。

日本企業の競争力の面では優秀な人材が子育て環境を理由に日本に入らないことは非常に由々しき事態です。

今年も「小1の壁」に苦しむ声が各地から聞こえます。いつかこの言葉がなくなるように私たちも頑張ります。
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釜山自治体長「国民感情には勝てない」…強制徴用労働者像の設置の可能性高まる

2018年04月20日 | 朝鮮エベンキ族
釜山自治体長「国民感情には勝てない」…強制徴用労働者像の設置の可能性高まる

4/20(金) 7:28配信 中央日報日本語版
釜山自治体長「国民感情には勝てない」…強制徴用労働者像の設置の可能性高まる
2016年12月、釜山の日本領事館前で少女像設置推進市民団体のデモ参加者が釜山東区庁撤去班員らに抵抗している。
5月1日に釜山(プサン)の市民団体などが釜山の日本総領事館前に強制徴用労働者像の設置を予告している中、該当地域の地方自治団体長が設置を強制的に阻まないとの立場を明らかにした。

朴三碩(パク・サムソク)東区庁長は18日、釜山地域の日刊紙「国際新聞」との電話インタビューで「法が国民感情に勝つことはできない」とし「少女像のように設置を防ぐ手立てがない」と述べた。続いて「この問題は外交部が解決しなければならない。地方自治体には力がない」とし「そういうものとは別に、国民的感情が先立つ。昨年、少女像を撤去したところ、東区が激しい袋叩きに遭ったではないか。(労働者像を不法に設置しても)絶対に前回のように撤去することはできない」と述べた。

強制徴用労働者像が設置される釜山の日本総領事館前の道路の管理責任は釜山東区にある。しかし、東区庁長がこのような立場を明らかにすることによって、労働者像が予定通り5月1日に設置される可能性が高まった。

一方、韓国外交部は16日、強制徴用労働者像について「政府は外交公館の保護と関連した国際礼譲と慣行の面で適切でなく、これにより外交的問題を引き起こす可能性が高い事案とみている」と明らかにし、「強制徴用労働者像を関連地方自治体が代替地として提示した釜山市南区所在の『国立日帝強制動員歴史館』など適切な場所に設置するのが望ましいというのが政府の公式立場」と述べた。
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