「神人」自称の宗教指導者、10代女性信者へのレイプで終身刑判決 印

2018年04月25日 | 事件
「神人」自称の宗教指導者、10代女性信者へのレイプで終身刑判決 印
4/25(水) 22:46配信 AFP=時事
「神人」自称の宗教指導者、10代女性信者へのレイプで終身刑判決 印
インド西部グジャラート州アーメダバード郊外にある宗教施設で、信者に向けて説教を行うアサラム・バプ指導者(2008年7月18日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】インド西部ラジャスタン(Rajasthan)州の裁判所は25日、数百万人の信者を抱える宗教指導者の被告に対し、10代の女性信者に性的暴行を加えた罪で終身刑を言い渡した。被告の弁護士が明らかにした。

【関連写真】アサラム・バプ被告の僧院の前に集まる報道陣

 インドで最もカリスマ的な宗教指導者の一人で、「神人」を自称し物議を醸しているアサラム・バプ被告(77)の判決公判は、信者たちの反発に備えて警察官数百人が厳戒態勢を敷く中、拘置所内で非公開のまま行われた。

 被告の弁護士はジョードプル(Jodhpur)の裁判所外でAFPに対し、「アサラム(Asaram)は終身刑を言い渡された」と明かした。

 信者たちに性的欲求から離れた信心深い生活を送るよう説いていたアサラム被告は、2013年にジョードプルの僧院で、当時16歳だった女性信者を瞑想(めいそう)中にレイプした罪に問われていた。だが被告は犯行を否定しており、弁護士によると上訴する意向だという。

 現在は21歳の被害者である女性は、悪霊払いを口実にレイプされたと述べていた。【翻訳編集】 AFPBB News
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「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由

2018年04月25日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
4/25(水) 11:00配信 現代ビジネス
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
写真:現代ビジネス
名門校出身者たちを目の当たりにして
 教育と格差の問題といえば、しばしば話題にのぼるのが東大生の親の年収である。2014年の調査によれば、東大生の育った家庭の半数強が、年収950万円以上の比較的裕福な家庭だという。

 ここで問題視されているのは、階級の固定化である。つまり、裕福な家庭は多額の教育費を支払うことができるので、子供は高学歴化する傾向にある。学歴と収入は比例することが多い。結果的に、金持ちの家系はいつまでも金持ちだし、逆に貧乏人はいつまでも貧乏から抜け出せない――という問題だ。

 だが、こうした問題提起に出くわすたび、いつも「ある視点」が欠けていると私は感じる。それは都市と地方の格差、地域格差である。

 田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。

 あらかじめ、どんな地域で育ったどんな人物がこの記事を書いているのか、簡単に紹介しておこう。

 私は高校時代までを、北海道の釧路市で過ごした。初代の「ゆとり世代」であるらしい1987年生まれの男性で、これは2000年に中学に入学し、2006年に高校を卒業する学年である。

 中卒の母親と小学校中退の父親という両親のもとに生まれ、一人息子を東京の大学に通わせるだけの経済的な余裕はある家庭に育った。

 高校卒業後は浪人して東京大学の文科三類に進み、3年次で文学部へ進学、その後5年間の大学院生活を経て、現在はニューヨーク州立大学の博士課程に籍をおいている。

 釧路市は、見渡す限り畑が広がり家屋が点々と建っている、というほどの「ド田舎」ではないものの、若者が集まる場所といえば「ジャスコ」しか選択肢がなく、もっともメジャーな路線のバスは30分に1本しか来ず、ユニクロやスタバがオープンすると大行列ができるような、ある種の典型的な田舎町だ。

 私が住んでいた当時は、ちょうど人口が20万人を割ったころであり、現在も小中高のクラス数とともに、人口は減りつづけている。

 そのような田舎町で育った私は、東大に入学して、都内の名門校出身者をはじめとする「サラブレッド」たちに出会い、いたく驚かされることになった。

 文化と教育の地域格差が、想像以上に大きかったからである。

問題は「貧富の差」ではない
 私が主張したいのは、「貧富の差よりも地域格差のほうが深刻だ」ということではない。そうではなく、地方には、都市生活者には想像できないであろう、別の大きな障害があるということである。

 田舎では貧富にかかわらず、人びとは教育や文化に触れることはできない。

 たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。

 もちろん、文化と教育に無縁の田舎で幸福に暮らすのはいい。問題なのは、大学レベルの教育を受け、文化的にも豊かな人生を送れたかもしれない田舎の子供たちの多くが、その選択肢さえ与えられないまま生涯を過ごすことを強いられている、ということだ。

 「文化的」とは、おそらく、いまあなたが思い浮かべている次元の話ではない。たとえば私が想定しているのは、わからないことがあればひとまず「ググる」という知恵があり、余暇の過ごし方として読書や映画鑑賞などの選択肢を持ち、中卒や高卒よりも大卒という学歴を普通だと感じる、そういったレベルの話である。

 この記事は、以下のツイートの拡散をきっかけに執筆依頼を受けて執筆している。

 家庭が貧しいと教育が受けられず貧しさが再生産されるという話、もちろん大問題だけど、同時に知ってもらいたいのは、教養のない田舎の家庭に生まれると、たとえ裕福でも教育には到達できないってこと。教育の重要性じたいが不可視だから。文化資本の格差は「気付くことさえできない」という点で深刻。

― 阿部幸大/Kodai Abe (@korpendine) 2018年3月15日 私は社会学者ではない。田舎から運良く東京の国立大学に進学できたので、上記のような格差と落差を、身をもって体感した一個人にすぎない。

 だがこのような格差の紹介は、日本ではまだまだ驚きをもって受けとめられている――つまり十分に認識されていないようなので、私のような経験者がひとつの実例を提出してもよいだろうと考えた次第である。

 そしてこの「十分に認識されていない」という事実が、逆説的にこの格差の大きさを物語っているように思われる。


大学生を見たことがなかった
 私の育った釧路市のような田舎に住む子供の多くは、おかしな話に聞こえるかもしれないが、まず「大学」というものを教育機関として認識することからして難しい。

 言い換えれば、大学を「高校の次に進む学校」として捉える機会がないのだ。

 高校生の頃の私が「大学」と聞いたとき思い浮かべることができたのは、「白衣を着たハカセが実験室で顕微鏡をのぞいたり、謎の液体が入ったフラスコを振ったりしている場所」という貧しいイメージのみであった。仮に当時の私が「大学には18歳の若者が通ってるんだよ」と教わっても、驚くどころか、意味がよくわからなかっただろう。

 たとえば釧路市民にとっての「都会」といえば札幌だが、釧路と札幌は300km、つまり東京―名古屋間と同じくらい離れている。市内には2つの大学があるが、いずれも単科大学である(当時は知らなかったが)。

 日本の各都道府県にはそれぞれ総合大学(ユニバーシティ)が設置されているので、最寄りの総合大学からこれほど地理的に離れている地区というのは、全国を見渡しても、離島と北海道の端っこくらいのものであろう。

 都市部にも「大学と無縁の環境で育った」という人はいる。だが、この点において田舎と都会で根本的に異なると思われるのは、「文化」や「大学」といった存在が視界に入るかどうか、という差である。

 釧路にも大学は存在すると書いたが、しかし子供たちにとってそこは病院などと区別されない「建物」にすぎず、「大学生」という存在にじかに出会ったことは、すくなくとも私は一度もなかったし、また私の場合は親族にも大学卒業者が皆無だったため、高校卒業後の選択肢として「大学進学」をイメージすることは、きわめて困難であった。

 それに対して都市部では、たとえば電車に乗れば「~大学前」といった駅名を耳にすることになるし、そこで乗ってくる大量の若者が「大学生」であることも、なんとなく理解するチャンスはかなり大きくなるだろう。上京して、じっさい私は「世の中にはこんなに大学があったのか」と驚いた。

 さらに言えば、私が東大に入学し、なかば憤慨したのは、東大と同じ駒場東大前駅を最寄り駅とする中高一貫校が存在し、その東大進学率が抜群に高いということだった。なんという特権階級だろう!  しかも彼らには、自らがその地理的アドバンテージを享受しているという自覚はない。まさに文化的な貴族である。


遠すぎて想像がつかない
 地域格差の大きさを考えるために、以下のような比較をしてみたい。

 たとえば東京に隣接したある県の家庭で、ひとりも大学卒の親族がおらず、しかし、抜群に成績が優秀な子供がいたとする。この子と、たとえば釧路市に住む、やはりひとりも大学卒の親族を持たない、同程度に優秀な子供とを比べてみよう。

 それぞれの家庭の親が、「この子を大学に入れようかしら」という発想に至る可能性を想像してみてもらいたい。

 前者の場合、仮に経済的な問題があっても、すくなくとも「将来、うちの子はもしかしたら東京の学校に通うことになるのかもしれない」という想像までは働くだろう。なにしろ東京まで電車で1時間程度なのだし、それに都内でなくとも、関東には大学がいくつもある。

 だが、後者の場合、親はせいぜい子供の優秀さをなんとなく喜ぶ程度で、大学進学などという発想はいちども脳裏をよぎることがなく、高校の終盤に先生から打診されてはじめてその可能性を知り、やっとのことで「『大学』って……どこにあるんですか? と反応するといったありさまだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは私の実例である。

 釧路のように地理的条件が過酷な田舎では「街まで買い物に行く」ことも容易ではないので、たとえば「本やCDを買う」という日常的な行為ひとつとっても、地元の小さな店舗で済ませる以外の選択肢がない。つまり、まともなウィンドウ・ショッピングさえできないのだ。

 したがって、私が関東に引越して自宅浪人しはじめたとき、まっさきに行ったのは、大きな書店の参考書売り場に通いつめることであった。見たこともない量の参考書が並んでいる東京の書店で、はじめて私は「釧路では参考書を売っていなかったのだ」ということを知り、悔しがったものである。

 田舎者(私)の無知と貧弱な想像力の例をいくつか挙げたが、まさに問題は、この「想像力が奪われている」ということにある。こうした田舎では、とにかく文化と教育への距離が絶望的に遠いがゆえに、それらを想像することじたいから疎外されているのだ。

 あまりに遠すぎて想像すらできないこと、これが田舎者の本質的な困難なのである。
サバイバーズ・ギルト
 田舎の小中高生にとっては、「将来のために勉強する」という発想もまた、かぎりなく不可能に近い。これは「何のために役に立たない勉強なんてするの? といった不満とは異なる話である。

 たとえば当時の釧路市では、高校入試の倍率はどの学校でもほぼ1.0倍であり、進学先は中学校の成績で自動的に割り振られた。いわば、いつのまにか「生涯の偏差値」が――その意味さえわからぬまま――決定されていたわけだ。

 田舎から抜け出すには大学入試がおそらく最大のチャンスだが、しかし、その可否は中学時代にすでに決まっている。

 なぜなら、「都会には『大学』なる組織が存在し、自分も努力次第でそこへ入学するチャンスがある」という事実を教わることができるのは、中学で教師の言われるままに学区トップの高校に進学した者だけだからだ。

 高校で初めて「大学進学」という選択肢の存在を知った私の場合は、この事実を驚愕と、いくぶんかの後ろめたさをもって受け止めた。なぜなら自分の学力が高くて大学に行けるのだとしても、それは「努力の成果ではなく、偶然の結果にすぎない」としか感じられなかったからである。

 田舎から都市圏の大学に進学するということは、たまたま容姿に恵まれて街角でスカウトされるのにも似た、きわめて確率的な事象である。

 それをプライドに転化することもできるだろうが、いわゆる「底辺」と形容される中学に通っていた私には、高い学力を持ちながらも、その価値を知らず道を誤ってしまった親しい友人を多く持っていたため、むしろ自らが手にした幸運の偶然性に寒気がしたものであった。

 この「後ろめたさ」は、一種の「サバイバーズ・ギルト」のような感覚だと言える。じっさい、そうした友人たちは中学のある時点で未成年による犯罪のニュース報道とともに学校から姿を消し、のちに鑑別所か少年院で撮影されたらしい変色した写真が卒業アルバムに載っているのを目にするまで、生死さえわからない状態であった。

 その中には私よりも成績が良い者もいたのだが、彼らは大学どころか中学校にも通えなかったわけだ。私が同様の運命を辿らずに済んだのは、たんに運が良かったから――たとえば犯罪行為が露見した日に一緒に遊んでいなかったから――にすぎない。私は、彼らが学力の価値を少しでも知っていたらどうだったろう、と考えないわけにはゆかない。

 かように田舎において、学力というポテンシャルの価値は脆弱なのである。


東京との根本的な違い
 仮にめでたく大学進学という選択肢が与えられ、十分に学力があり、経済的にも恵まれ、いざ大学進学を志したとしても、田舎の子供にはさらなる障壁がいくつも立ちはだかっている。思いつくままに羅列してみよう。

 ○「せめて県内の大学に行ってほしい」と希望する親(北海道はとくにこの傾向が強かった)

 ○「女性は大学・都会になど行くべきでない」という根強い価値観

 ○都会に出ようとする若者への激しい嫉妬と物理的・精神的妨害

 ○受験に対する精神的な負担(多くの人は飛行機に乗ったことも大都市に行ったこともない)

 ○単身で「都会へ引越す」ことへの精神的負担

 ○都会での大学生活について相談できる大人の不在

 ○塾や予備校の不在(都会にどんな機関があるのか知る機会もない)

 ○近所の本屋に受験参考書が揃っていない(取り寄せるべき参考書を知る機会もない)

 ○過去問を閲覧することができない

 ○各種模擬試験の案内がない

 田舎者は、こうした数多の困難によって、教育から隔絶されている。

 こういう話をすると、かならず「いまはインターネットで教育が受けられる」という反応がある。だがこれは、くりかえすが、機会の問題ではなく想像力の問題なのだ。田舎ではそのような発想じたいが不可能なのである。

 田舎者は、教育の重要性はもちろん、インターネットの使い方もろくに知らない人がほとんどである。そのような情報弱者に、みずからの社会的地位の向上のためにインターネット教育を利用することを期待するという発想は、都会人の想像力の貧困を示していると言わざるをえないだろう。

「幸せかどうか」とは別問題
 「田舎だけの問題じゃない」「うちの田舎のほうがキツかった」「都会の貧困層には都会特有の問題がある」といった数々の異論があると思う。それはもっともだ。しょせん私はひとつの経験しか持たない。とくに都会特有の問題については無知である。

 だが、別の事例と問題点を挙げるとき、念頭においてほしいのは、弱者同士でケンカすることなどまったく不毛だということである。

 たんに私は、「教育の格差といえば貧富の差」という一般論において消去されがちな地域格差という側面にスポットを当てたにすぎない。別の問題を知るひとは、また別の問題として提起すればよい。

 また、「田舎は田舎で楽しくやってる」というのはまったくそのとおりだが、その事実と、都会と田舎のあいだには「格差」が存在するという問題は位相が異なる。田舎の幸福は格差を容認する理由にはならないのだ。

 ましてや、「知らないほうが幸せ」という意見は、「家事こそ女の幸福」と主張して女性差別を温存するのにも似た、差別と搾取と格差を是認するロジックと同じである。

偶然に翻弄される地方の子供たち
 地域格差が存在することは理解してもらえたとしよう。ではどうすればいいのか? 
 教育における地域格差の帰結をあらためて言い換えれば、それは「同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている」ということである。そして、「知っていたら大学に行っていた」人口は、間違いなく、かなりの数にのぼる。

 先にも述べたように、私自身が偶然によって東京の大学に進んだ。ということはつまり、別の偶然によって田舎に留まることも大いにありえたのである。

 そして私は、もし過去に戻ってみずからの意思によって進路を選択できるのなら、迷うことなく前者を選ぶ。なぜなら、大学進学は選択肢を可視化するためである。「知らなくて損をする」という可能性を小さくするためである。

 私が必要だと思うのは、こうした偶然性に翻弄される田舎の子供たちに、彼らが潜在的に持っている選択肢と権利とを想像させてやることであり、ひいては、東京をはじめとする都市部に住む人びとに、もうすこし田舎の実態を想像してもらうことである。

 本稿がその実現にむけた小さな一歩となることを願っている。

阿部 幸大




筆者の書いてる通りで、ど田舎は文化格差がある<<極端な話がJungleの原住民状態>>で世界が異なる。

その原住民の中でも自頭がよく高校進学させる親が子供の足を引っ張らない場合、高校教師から大学の話が初めて出る。

また時代性もあり、昔はさらにひどかった。友人の親は茨城出だが親が百姓には学問はいらねえと言われ勉学の邪魔をされ家出をして東京の寺に居候。塾を開いて早稲田卒業した親がいる。

勿論、その子供二人には教育の大切さを教え大学を卒業させた。

うちのバカ親は、酒飲み父親が小学校中退で最終的に運転手(大手だが)母親は女学校出と言うが戦時中で勉強などしてない算数がまるでできない(論理的思考力ゼロの馬ヵ)

自分は、父親に働け!とだけ言われ小学校から新聞配達。

高卒で公務員になったが、自分で大学をその後卒業した。卒業式に両親を誘ったが拒否された(自分らに

1,高学歴の親は子弟にも良い教育をほどこす。

2.低学歴の親は子供にはろくな教育をしない傾向が強く<<学有るものを妬むので子供にも仲間的に低学歴もしくは高卒程度にしておく傾向がある。また、教育に金をかけたくない>>

3,ど田舎はそれ以前の低世界なのでイかっぺ~~豚めどに餌やるっぺえ~~~~@@肥溜めに落ちタッペ~~、、ガッハは~~酒のむベエ~~田吾作~~~~の世界。。。


因みに、フィリピンは日本より強烈な格差<<田舎格差やインカム格差>>がある。

貧困層には頭がっ良いのが出る、、苦学してっち角の国立大学の学長は(若くして成る)Trafficコストが出せなくサンダル徒歩で通い奨学金などヘルプで博士号をとる。

うちの子供の同級生(特別進学校=サイエンススクール=35人学級)にも多数の秀才がいて国際数学コンテスト代表など多数が同席していた0

突然変異?遺伝継承か知らぬが結構いる。

一方でバカはとことん馬ヵのレン中も多い、、、馬鹿なので仕事を覚えない重症。
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「メシハラ妻」に別室で食事させられる夫たち、おかずも違い悲痛…離婚できる?

2018年04月25日 | 日記
「メシハラ妻」に別室で食事させられる夫たち、おかずも違い悲痛…離婚できる?

4/23(月) 9:58配信 弁護士ドットコム
「メシハラ妻」に別室で食事させられる夫たち、おかずも違い悲痛…離婚できる?
画像はイメージです(プラナ / PIXTA)


夫の食事(メシ)に嫌がらせ(ハラスメント)をする妻たち。「メシハラ」は身体的な暴力ではないとはいえ、夫の精神的ダメージははかりしれません。弁護士ドットコムの法律相談コーナーには、そんな夫たちの悲痛な声が寄せられています。

「嫁は完全に私を避けていて、外出はもちろん食事も一緒にはとりません。妻らしい事は、食事だけは用意してくれるだけですが、中身も明らかに嫁と子供に出すものも違います」という男性。夫婦関係の破綻を訴え、「離婚すればどうしたらいいですか?」と悩んでいます。

別の男性は、妻の両親と同居している「マスオさん」状態。妻や義理の両親からは何か月も無視され、ご飯は別室で一人、食べさせられているといいます。こうしたハラスメントに対し、「妻に慰謝料請求できるでしょうか?」と嘆いています。

他にも、Twitterで今年3月、既婚男性が帰宅時間が遅くなることを知らせるのを怠ったところ、妻が晩御飯をぶちまけていたとツイート。「女性から男性へのDVではないか」という反応が多く寄せられ、話題となりました。

果たして、妻から夫への「メシハラ」を理由に慰謝料を請求したり、離婚を求めることは可能なのでしょうか。山口政貴弁護士に聞きました。

●メシハラを我慢して同居を続ける限り、離婚請求は認められない可能性も

「『メシハラ』とは『モラハラ』の一形態を指す造語だと思われますが、結論から言うと、メシハラがある場合は、内容次第では離婚請求が可能であると思われます。

そもそも夫婦の一方が相手に離婚請求をすることができるケースは法律で決められており、(1)不貞行為(浮気)、(2)悪意の遺棄、(3)3年以上の生死不明、(4)強度の精神病、(5)その他婚姻を継続し難い重大な事由、の5つです。本件では(1)~(4)は関係ありませんので、メシハラが(5)『婚姻を継続し難い重大な事由』に該当するかどうかです。

重大な事由か否かはケースバイケースで一概には判断できませんが、食事の中身が嫁と子供に出すものと違うといった程度ではまだ離婚できる程度のメシハラではない可能性が高いです。一方、妻から何か月も無視され、ご飯は別室で一人で食べさせられているというところまで来ると、夫婦関係は相当程度破綻していると評価できますので、離婚請求は可能であると思われます。

とはいうものの、メシハラを受けながらもそれを我慢して同居を続けている限り、夫婦関係はまだ破綻しておらず、離婚請求は認められないという判断になる可能性もあります。本当に離婚しかないと考えるのであれば、早々に別居するのが離婚への近道ではないかと思われます」




何を悩んでいるネン。

そんなもの自室に冷蔵庫を置いて副食材、つまみやビール、冷酒、ワイン等を入れてエンジョイすれば良いだけ。

ホットプレートも置いて焼き肉をすれば天国@@あとはネットでもすれば楽しい時間だ。

そんな些細なことで悩んでるんじゃねえぞJapanese。
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中国人なら死刑だぞ」中国当局に捕まった私が生還できた理由

2018年04月25日 | 旅行
「中国人なら死刑だぞ」中国当局に捕まった私が生還できた理由

4/24(火) 13:00配信 現代ビジネス
「中国人なら死刑だぞ」中国当局に捕まった私が生還できた理由
写真:現代ビジネス
 ジャーナリストではなく「中国奥地で活動する70歳の自然写真家」という視点から、「中国の地方」の実態を写真と文章で切り取る青山潤三氏の連続レポート。なんと、「中国当局に取り調べを受けた」ことが2回もあるそうで…。

「中国人なら死刑だぞ」中国当局に捕まった私が生還できた理由
秦嶺山脈で撮影したオナガギフチョウ(筆者撮影)
タクシーの運転手にハメられた
 近年、日本人が中国で逮捕・軟禁されたという事件が時折話題になります。どれも日本から派遣された企業の職員だといいます。

 筆者も中国で、これまでスパイ容疑で2度逮捕・軟禁されました。ただし、筆者のようにどこにも所属しないフリーランスの個人が逮捕軟禁されたところで、ニュースにもなりません。

 一度目は1990年の春、陝西省の秦嶺山脈。日本固有種「ギフチョウ」に最も近縁な種で、当時発見されて間もない「オナガギフチョウ」という蝶の撮影・調査を行っていた時のことです。

 筆者は西安の町のホテルから、丸1日がかりでオナガギフチョウの棲む山間部へ往復していました。現地に向かう公共交通機関は存在しないため、タクシーをチャーターしていたのです。

 実はその前年、別の町から秦嶺の山にタクシーで向かった時、悲しい出来事に遭遇しました。山麓の田舎の道路で、自転車に乗っていた2人の女子中学生が、トラックにはねられて亡くなっていたのです。

 人だかりができ、傍らでは一緒にいた同級生が泣き続けています。しかし周りの大人はただ眺めているだけで、何一つ手助けをしません。

 そこへタクシーで通りかかった筆者に、彼女たちは懇願してきました。どうか、町まで連れて行ってほしい。みんなに知らせて(もう遅いけれど)救急車も呼んで…。

 面倒ごとに関わるのを嫌がる運転手を説得し、一人を町まで送って、改めて山に向かいました。その日の夕刻、調査を終えて町に戻ってきたら、街角で同級生たちがいまだに泣き続けていました。30年近く経つ今も、筆者の脳裏から消えることのない光景です。

 そんなことがあった翌年、西安のホテルでチャーターしたタクシーの運転手は、とんでもなく運転が乱暴でした。自分が事故にあうのはともかく、人を撥ねては大変です。何度も「安全運転をしろ」と運転手を叱りつけました。

 あまりにも乱暴なので、2日目は別のタクシーをチャーターしました(当時は丸1日チャーターしても2000~3000円ほどで済んだ)。そして、調査を終えてホテルに戻ったら、入り口に公安が待ち構えているではありませんか。

 実は、前日のタクシーの運転手が、叱られた腹いせに公安局に密告していたのです。この日本人は、誰も行かない山中に分け入って、道端の草むらや、何にもないただの山肌や、ただの河原ばかり撮影している。スパイに違いない、と。

 この時は大使館が動いてくれましたが、疑いはいつまで経っても晴れません。結局まる1ヵ月近くホテルから一歩も出れず、連日取り調べを受けました(取り調べ自体は紳士的でした)。

「観光客が行かないところへ行くな」
 彼らの言い分は、「日本人がわざわざあんな山中に行くわけがない。何もない場所で山肌や河原の撮影をしているのは、どう考えても怪しい」。

 蝶や植物の撮影が目的だ、と伝えても、端から信用してくれません。高いカネ(日本からの渡航費)を払って、わざわざこんなところまで蝶の写真を撮りに来るなんて、常識では考えられない、と。

 またそれ以前の問題として、著者が訪れた一帯は「開放地域」ではない、と彼らは言いました。20年ほど前まで、中国各地は外国人が自由に行ける「開放地域」と、立ち入りに許可が必要な「非開放地域」に分かれていました。著者の訪れた場所は、行政上は開放地域である西安市内です。

 しかし公安は「あなたの行ったところは西安市内には違いないが、そこは非開放地域なのだ」と言います。

 筆者は尋ねました。「どこが開放地域で、どこがそうでないのか教えてほしい」

 すると、こんな答えが返ってきました。

 「別に線引きがあるわけではない、日本人の観光客が行くところが開放されているのであって、日本人の観光客が行かないところには、日本人は行ってはいけない」

 まるで「循環論法」ですが、そう言われてしまえば反論のしようもありません。

 実は、この一帯(秦嶺最高峰である太白山の中腹以上)には軍事施設があります。太白山は、中国人にとっては手軽に訪れることのできる観光地ではあるのですが、外国人の入山は厳しく取り締まられているのです。

 スパイの疑惑が解け、釈放となるまで3週間もの長い時間がかかったのは、証拠となる、筆者が撮影した写真を当局がチェックできなかったからでした。

 持っていたフィルム100本近くは、全て没収されました。もちろん、現像して何が写されているかチェックしようというのです。

 当時は「コダクローム」というポジフィルムを使っていました。一般に使われていた「エクタクローム」とは現像方式が異なり、限られた現像所でしか現像できません。東アジアでは、日本、韓国、台湾、香港にしか現像所がありませんでした。

 スパイの証拠品を、台湾や、当時まだ返還されていなかった香港に持ち出すわけにもいきません。公安は「自分たちで現像できる」と豪語していたのですが、結局できなかったようです。

 筆者がスパイなどではなく、確かに蝶の調査や撮影を行っているということは、最終的に「中国科学院」と、なぜか「大英博物館(現在の大英自然史博物館)」の照会を得て、やっと分かってもらえたとのことでした。

たまたま軍事施設の前で…
 2度目の逮捕・軟禁は、2007年の秋、雲南省保山市。この時も、タクシー絡みでした。

 市街地の端っこで運転手が道を間違え、袋小路に入ってしまいました。仕方なく車を降りて歩いて街に戻ることにしたのですが、その途中、通りかかった子供たちを写そうとシャッターを切りました。そこがちょうど、軍事施設の前だったのです。

 即座に連行され、厳しい取り調べを受けました。よりによって国慶節の日(10月1日)、しかも台湾経由での入国。最悪のシチュエーションです。この時は日本人と見るや、嫌がらせでしょうか、露骨に威圧的な態度をとられました。

 丸2日間ホテルの部屋に缶詰めになり、公安が泊まり込みで見張っています。起きている間は、1日中ビデオカメラで撮影され続けるのです。

 パソコンの専門家が、持っていた100枚近いCDとDVDおよびUSBメモリーの内容を全てチェックしました。すべてが終わり釈放されたのは、3日目のことでした。

 悪意に満ちた対応の幹部とは対照的に、現場の公安職員はその時も紳士的に接してくれました。ただ一つ腹が立ったのは、まだ封も開けていないまっさらのUSBメモリーを、使用済みのものは返してくれたにもかかわらず、没収されてしまったこと。

 異を唱えたところ、「逆らうなら釈放は取り消すぞ。外国人だから釈放するのであって、中国人ならこれは死刑に等しい罪だということを認識しろ」…そう言われたら、理不尽でも従わざるを得ませんでした。

「中国人なら死刑だぞ」中国当局に捕まった私が生還できた理由
高黎貢山(保山市)の眺め。道を尋ねた民家は、ここから数時間歩いた場所にある(筆者撮影)
日本人には優しいのだけれど
 ちなみにこの保山市は、「保山市」(中国では広義の「市」の中に「県」や狭義の「市」が含まれる)と、ミャンマーとの国境に面した「謄沖市」の、2つの地方中心都市からなります。

 前者はメコン川とサルウイン河の間、後者はイラワジ河流域に位置し、下流部はミャンマーをはじめとする東南アジアの国々に流れ出ます。両市の間に挟まれた急峻な高黎貢山の山嶺は、野生生物の宝庫で、筆者も度々探索に訪れています。

 この2つの町は、かつて日本兵により南京に次いで多くの中国人が殺された地と言われています。第二次大戦の「ビルマ戦線」の時です。でも現在は、住民の多くは日本人にも非常にフレンドリーで親切です。

 筆者はここで、逮捕・軟禁のほかにも、興味深い出来事に何度か遭遇しました。

 ひとつは、高嶺貢山の奥深くを訪ねた時のこと。目的地の山中に向かうため、3日かかりでバスとトラックを乗り継ぎ、さらに何時間も歩いて最後の人家に辿り着いたとき、山に分け入る道を訊ねました。

 「私は日本人です…」と話し始めたとたん、そこにいた民家の住民数人が、血相を変えて一目散に逃げていくではないですか。向こうも「日本人」が怖かったのかも知れないけれど、筆者もその後しばらくは、生きた心地がしなかった。

 もう一つ。これは謄沖の中心街での出来事です。夜、売店で買い物をして交差点を渡り終えた時、一人の青年が息せき切って筆者を追いかけてきました。

 「もしかすると貴方は日本人ですか? そう聞かれたので、「そうです」と答えました。すると、彼は喜色満面で言いました。「嬉しい、初めて本物の日本人に会いました、大感激です! サインをしてください!」。

 実は、彼はこの地方の大学で、「南京大虐殺」の研究をしているのだとのこと。実在の日本人に会うという夢が、今まさに叶った、というわけなのです。筆者はこの時、(複雑な心境とともに)「スター」の気分を味わったという次第です。

青山 潤三




変わり者だな、、、



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年金いらないから、払った金額全部返して欲しい。

2018年04月25日 | 政治社会問題
sei***** | 13時間前
年金等を含む社会保障制度そのものを根本的に見直さなければ何の解決にもならない。
そもそも年金制度は欠陥だらけの制度であり、破綻を早めたのは官僚どもの無駄遣いにも原因の一端はある。
目先の1万円に困るような老齢の国民が多数存在する中で、問題を起こした官僚が5000万円もの退職金を得るなど、一体誰が納得するというのか。
いい加減にしろ!

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mam***** | 14時間前
ふざけるな!どれだけ国民の生活設計を狂わせれば気が済むんだ。まず徹底的に無駄を排除しろ!今すぐ60歳支給に戻せ!バカヤロウ!

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poc***** | 9時間前
毎月3万ほども給料から引かれてこんな仕打ちを受けるわけか。
この1、2年で必ず脱サラして年金なんか絶対に払わんからな!
覚えとけよ!

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☆★あっしウチ あやこ★☆ | 13時間前
は?
結局お金をドブに捨てるみたいなこのシステムを改善しろ!

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yid***** | 9時間前
呆れすぎて、笑えてくるねw
そういうことでしか、改善できないバカしかいないの?www
ちょっとしたハムスターの方が頭いいんじゃね?w

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sho***** | 10時間前
財務省のバカ者共、いい加減な考えは辞めろ!
てめえらの悪行の数々、堪忍せい!!
官僚だか何だか知らないけどよ、もう完了(笑)

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sal***** | 17時間前
騙される国民が悪いのか?
国が行う詐欺だ。
いつまで働かせるのか。
昔は55歳だった。
若者に未来を語れない。

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one***** | 12時間前
いい加減にしろよ。
何年生きれるんだよ。金返せ︎

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top***** | 7時間前
過去にいろんな物勝手に建てたのは誰だっけ?
そして金が足り無いとは…



「年金支給68歳」案に非難囂々 財務省に新たな火種


4/24(火) 10:10配信 産経新聞
「年金支給68歳」案に非難囂々 財務省に新たな火種
森友学園をめぐる決裁文書改竄問題、事務次官のセクハラ疑惑に揺れる財務省。「年金問題」が新たな火種となる可能性も=東京都千代田区(桐山弘太撮影)
 財務省が厚生年金の支給開始年齢を引き上げるべきだとする主張を展開し、波紋が広がっている。現在は65歳へ段階的に上げているところだが、さらに68歳まで延ばす案を提示。高齢化で社会保障費が増える中、年金制度の持続可能性を確保する狙いだが、インターネットユーザーらは「勘弁してほしい」「絶望しか感じない」と猛反発。財務省は目下、学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる決裁文書改竄(かいざん)や、福田淳一事務次官(4月18日に辞任表明)のセクハラ疑惑に揺れているが、「年金問題」が新たな火種となる可能性も出てきた。

【写真で見る】 「納税者ナメるな」とプラカードを掲げ、森友学園問題の真相解明などを訴える人たち

 ことの発端は、4月11日に開かれた財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の財政制度分科会。この日のテーマは社会保障制度改革で、財務省の担当者は、65歳に引き上げつつある支給開始年齢について「さらに引き上げていくべきではないか」と提言した。

 財務省の主張はこうだ。今後「人生100年時代」がやってくる中、年金財政が悪化することにより、将来世代の給付水準が低下。平成47(2035)年以降に団塊ジュニア世代が65歳になることなどを踏まえると、早期の支給開始年齢引き上げが望ましいというのだ。

 その上で、欧米の主要国が67、68歳としている現状を踏まえ、日本でも68歳へ引き上げる案を提示。平均寿命は伸びているため、高齢就労が促進され、納付保険料が増えて受給水準が上昇すると強調した。ただ、どのくらい上昇するかには触れなかった。

 分科会に出席した委員からは賛否両論が相次いだ。「支給開始年齢の問題は方向性として避けられない」「日本では支給年齢が低く、受給期間が長い」と支持する意見があった一方、「65歳でもらえると思っていたのに、延ばされて受け取る総額が減るなどデメリットを受ける世代もあるのではないか」との慎重な見方も聞かれたという。

 一方、ネットでは短文投稿サイト「ツイッター」を中心に反発する声が相次いでいる。あるユーザーは「高齢社会とはいえ元気な人ばかりではない。少しでも早く年金をあてにしている庶民の声も聞かずに理不尽だ」と指摘。「勘弁してほしい。生涯賃金が下がっている(超就職氷河期に社会人になった)ロスジェネ世代以降は定年後に暮らせない人が続出するんじゃないか」と危惧する意見もあった。

 さらに、「68歳どころか60歳まで働くのも精神的にもたないだろうと思っている。高齢者になったとき、社会に居場所はあるのだろうか」という悲痛な思いを吐露する人もいた。とはいえ、年金給付が急激に増えているのは確かだ。昭和45年度の社会保障給付費総額は3.5兆円で、そのうち年金は24.3%の0.9兆円。それが平成29年度予算では、総額120.4兆円のうち、年金は47.1%の56.7兆円となった。高齢化で給付は増え続けるため、制度の見直しは避けられない。

 しかし、森友学園にかかる決裁文書改竄問題や、福田氏のセクハラ疑惑で、財務省に対する信頼はガタガタ。こうした中で、「国民に痛みを強いかねない議論は受け入れられにくく、思うように進まない」(関係者)のが実情だ。ただ、財務省にも差し迫った事情がある。政府が6月に策定する新しい財政健全化計画に、財政制度等審議会の議論をできるだけ反映させたいのだ。

 そのためか、財務省は支給開始年齢引き上げの提案に踏み切ったものの、「個人の人生設計や企業における雇用のあり方など大きな影響を与えるので、十分に準備期間を設けて実施していく必要がある」と歩み寄る姿勢もみせている。それでも、ただでさえデリケートな問題を、この時期に提言したことで、財務省への批判がさらに高まりそうだ。(経済本部 中村智隆)



金矢 人28号FX | 19時間前
年金いらないから、払った金額全部返して欲しい。

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守護霊がハムスターでした | 20時間前
庶民は常に後回し。卓上理論はいらない。苦労を分からない人達が考えるとろくなことにならん

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abc | 19時間前
これはもう舐めてると思う。

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Tomorrow Made New | 20時間前
これは詐欺だよね?

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******** | 19時間前
昔なら上級職甲、今ならⅠ種? 事務次官クラスになるような方々の給与体系を見直してサラリーマンの平均年収並みに下げて、更に民間企業の並みの成果主義導入にして年功序列を廃止してはどうでしょう。更に退職金も民間企業並みに低くしては?
国家公務員上級職の方々の賃金体系を変えることによってそこへ回されていた皆様の税金を年金の公的負担分に充てるのでどうでしょう。

そもそも「68歳」にしないと財源がないというなら、なぜ「議員年金復活」の声が出てくるのか。
そこもおかしいですよね。

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ike***** | 19時間前
普通に、財務次官がセクハラがバレて辞めてもらう退職金が5,300万円に違和感がある

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mk | 20時間前
今40代です。
もう安心すら感じない、、なのに毎月毎月、自動的に徴収されて、、まるで詐欺だな。

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mig***** | 19時間前
人生100年時代は来るかもしれないが、伸びているのは人生のエピローグ部分だけだぞ。
本編の長さは変わらない。
仕事は以前の様には出来なくなるし、一定の運動能力が必要だったり手先の器用さが要る趣味も満足にこなせなくなる。
運転免許すら65で返納しろと言う風潮になっているのに、寿命が延びたから年金は後回しだ、もっと働けと言うのは横暴極まりない。

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wao***** | 20時間前
60歳支給開始だったのが65歳になって
今度は68歳か

そのうち70歳、75歳支給開始となって
くる可能性もあるね

公務員の退職金を捻出するために必要
なのかな?

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***** | 20時間前
結局名前の違う税金


owa***** | 13時間前
「高齢就労が促進され」る事はありません!採用したがる企業なんて稀だよ!お前ら役人都合の作り話すんな!支給を遅らせたいだけ!

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cat***** | 7時間前
年金徴収=国家公認詐欺
クソがっ!!!

jyj***** | 8時間前
国の おおがかりな 詐欺 詐欺 詐欺
みんなだまされてんや

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ken | 24分前
財務省の糞どもがそれをぬかす権利はねえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
いつからくそ役所が政府よりでかい口をたたけるようになったんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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dee***** | 6時間前
死ぬまで働くことを背負わされた、日本に生まれた不幸よ
いっそのこと安楽死法案を通してくれよ、孤独死に怯える人たちも多いんだからさ

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vat***** | 17時間前
どうせはした金しか貰えないから払った金一円残らず返せ!人の金で株とかするんじゃねぇよ!
詐欺国家!

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yamaton | 13時間前
高齢化で給付は増え続ける・・・20年も前から分かっていた事。
これは当時の無能な自民党議員の結果である!
恥を知れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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mam***** | 14時間前
アホか!60歳から貰ったら3割り削減だよな!
68歳からになったら65歳からも削減するんだろうが糞ボケが!!
財務省を潰そうぜ!

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kkt***** | 6時間前
そんなに切迫してるんなら議員年金や定数の削減から始めろよ。政治資金団体を経由して相続税をちょろまかすどこぞの首相からもふんだくってやれ。あとは、そうそう在日のナマポなんて法的根拠すらないんだから今すぐにでも廃止しろ。

uen***** | 11時間前
自民党政権が今までいかに国民を舐めバカにしてきたかがよく分かるね。100年大丈夫の年金制度は泡と消えたか。政治家はお友達に忖度し、官僚は政治家に忖度している国家はもう破たんに近づきあるようだな。国家として世界中に恥ずかしい事ばかりをニュースとして発信している現状を政治家、官僚はどう思ってんだよ。国民をバカにするのもいい加減にしろよ。



コメント
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