明けの明星

ラテン語で「光もたらす者」、釈迦も空海もこれを観て悟りを開いたとか。
ちょっと、だいそれたタイトルになっちまったかな。

懐かしい少年野球監督の頃 その2

2006年02月25日 21時21分06秒 | 少年野球
 
そのチームはコーチも少なく、練習も日曜日の午前中で終わり。

 子供の人数も各学年3人位で、試合には3年生もスタメンに入れ

 ないといけない状態で、結果はいつも一回戦の5回コールド負けの

 連続だった。  

 
 そんな中、子供の送り迎えをしていると、当然のようにいつの間にか

 コーチになっていた。  

 そして1年後。今度は前の監督が辞めることになり、私が監督を

 引き受けざるをえない状況になってしまった。 

 
 長男の通っている小学校には、常勝チームに所属している子供も多く

 いたので、なんとかしてそのチームと決勝戦を戦えるチームにしたい

 と夢のようなことを毎日考えていました。
 
 とりあえず、やれることは次男坊と三男をチームに入れ、友達を

 片っ端から連れてこさせてなんとかひき入れる算段をしたものです。

 ポスターを作り、あちこちに貼りにいったり、練習の後、焼き芋を

 焼いてみんなで食べさせたりしていたことしか余り記憶にない。

 
 夏には合宿と称して2泊3日で千葉のプールに行ったり、秋には

 ディズニーランドなんかにも行きました。

 この頃は強くしたい想いより、子供たちと楽しく過ごせれば

 いいと考えていたと思います。

 練習の合間、子供たちと輪になって食べるおにぎりの美味   

 しかったことは、いまでも、どんな物を食べてもかなわない

 とつくずく思います。

 
 それでも、チームは少しは強くなり、一回戦はなんとか突破できる

 ようになっていました。       
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懐かしい少年野球監督の頃 その1

2006年02月25日 16時52分52秒 | 少年野球
 長男が2年生の終わり頃、突然、野球チームに入りたいと言い出した。  

 日曜日に散歩がてら、家族で河川敷のグランドに行くと、

 少年野球のチームが2~3チーム練習していた。

 長男が入りたいというチームの監督さんに声を掛けると

 何と「うちのチームは人数もすくないし弱小チーム。あっちで

 やっているチームはいつも優勝するから、あっちの方がいいよ」

 なんて、云われてしまいました。 

 
 それでも、長男はこの弱小チームに入りたいと云うので、

 その監督さんにお願いして入れてもらうことにしました。

 このことが、その後20年にわたって、土日といえば野球漬け

 となってしまった我家の出発点でした。 
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