明けの明星

ラテン語で「光もたらす者」、釈迦も空海もこれを観て悟りを開いたとか。
ちょっと、だいそれたタイトルになっちまったかな。

懐かしい少年野球監督の頃 その4

2006年02月26日 17時04分14秒 | 少年野球
 
 長男の代とその次の代は、ベスト4がほとんどで

 優勝、準優勝には今一歩とどかず、しばらく足踏み状態となった。

 しかし、ベスト4となって、これまでの弱小チームから

 強豪チームとのイメージを他のチームに植えつけることが

 できたことが、大きな収穫となった。

 監督1年目の抽選会では、我がチームと一回戦の対戦が

 決まったチームの主将がガッツポーズをしていたのを

 今でも思い出します。        

 代表選手に選抜され、夏の県大会にも出場できたり

 子供たちは確実に勝つことの喜びを意識しはじめて

 くれた時期でした。


 そして何よりこの時期は、監督としての戦術や考え方を

 認識できた大切な時期でした。


 宿命のライバルチームの練習方法や試合運び、あのチームに

 あって我がチームに欠けているものなど、多くのことを

 学ぶことができました。

 
 そういった意味では、長男たちの頑張りは、その後の我が

 チームに大きな大きな大輪の花を咲かせる土台を作って

 くれたと感謝しています。      


 
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懐かしい少年野球監督の頃 その3

2006年02月26日 10時33分47秒 | 少年野球
 長男が5年生の夏。姉妹都市から少年野球チームが来て親善試合を

 行うことになった。

 ただ、代表の選手はベスト4のチームが主力となり、我がチームからは

 一人も選抜されることはなかった。

 そんな中、姉妹都市から来た子供のホームスティ先がないとのことだったので、

 我家ともう一軒で率先して引き受けることとした。

 勿論、このイベントを通して子供たちには、来年こそベスト4に

 なるんだ、なりたいという思いを持ってもらいたいとのひそかな

 企みがあったが・・・・・  


 そして長男が6年生となる年が始まった。

 この代はやはり6年生は4名だけで、4~5年生が半分以上

 混じったへなちょこチームの印象が強かった。

 (実はその後もずーとこのチーム構成は同じだったのだが・・・)


 ピッチャー候補は長男しかいなかったことから、正月明けから

 毎朝、会社の出勤前にピッチィングの練習をすることにした。

 不思議なことに、長男も嫌がることもなく、外で壁にボールを

 ぶつけている音で私が起きることが多かったような気がする。 
 


 そして向かえた春の大会では、見事に強豪を破って念願の

 ベスト4入りを果たすことになった。   

 監督はもとより、お母さんたちは大はしゃぎ、まるで

 盆と正月が一緒にきたかのような状況だった。     
           
 試合の日の夜は、祝勝会と称して、一家庭一品持ち寄り

 の飲み会が始まったのは、丁度この頃で、それがその後営々と

 続くことになる。   

 ただ、憧れの市営球場での準決勝では、同じ小学校に通う

 子供のいるあの宿命のライバルには、なにもできないまま

 0対4で敗れ去った。    

  
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